知床峠を越える(羅臼~宇登呂~峰浜)  1997年8月12日

 今日はいよいよ今回のツーリングで最大の難所・知床峠を越えてオホーツク海岸へと向かいます。

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    羅臼

 寒い夜がようやく明けると、今にも雨が落ちてきそうな曇り空。
 とりあえず、身体を温めるために夜明けとともに「熊の湯」に出かける。もう先客が大勢いる。熱いのは相変わらずだが、少しは身体が馴染んだのか、わりとすんなり入れるようになった。
 テントに戻って、パンで簡単な朝食を済ませ、それからもう一度寝袋を探すが、結局、見つけ出すことはできなかった。一体、どこに行ってしまったのだろうか。
 もう寝袋捜索は諦めて、テントの撤収を始めようとする頃になって、ついに雨が降り出した。今日は知床峠を越えるというのに、どうしてこういう時にかぎって雨になるのか、と恨めしく思う。

 昨夜一緒に酒を飲んだ仲間たちに見送られて、7時過ぎに出発。
 そのまま峠へ向かうのではなく、いったん羅臼の街へ下る。思い出の土地をもう一度眺めたいという思いもあったが、寝袋を紛失してしまったので、新しいものを入手できるような店があるかどうか偵察に出たという意味合いもある。スポーツ用品店でもあれば、開店まで時間をつぶしてでも、と思ったのだが、見当たらなかった。
 コンビニエンスストアに立ち寄り、最後に雨に煙る根室海峡と国後島を眺め、それから国道334号線・知床横断道路を走り出す。時刻は7時半。

     知床横断道路

 めざす知床峠の標高は740メートル。今は海岸部にいるので、これはほぼ正味の標高差である。去年の夏、対馬で越えた茶屋隈峠は280メートルほどだったが、それでもヘロヘロになってしまった。今回はその倍以上の高さ。しかも、標識によれば峠までは16キロもある。延々16キロもの上り坂なんて考えただけでも気が遠くなるが、まぁ、ほとんど自転車を押して歩くつもりなら、なんとかなるだろう。

 というわけで、羅臼の街をあとに、今し方、勢いよく下ってきたばかりの道を再び上り始める。
 「熊の湯」のあたりには朝湯につかろうという人たちが大勢いたが、ここはもう一気に通過。レインウエアに身を包み、雨に濡れながら、いくらか悲壮感を漂わせつつ、いよいよ初めての道を知床の山中に分け入る。この先にはもう人家はなく、ヒグマは棲んでいても、人は住んでいない。
 細かい雨が降り続く中、羅臼川の峡谷に沿った道をしばらく行くと、ヘアピンカーブの向こうに防護トンネルに覆われた道路がぐんぐん上っていくのが見えた。あんなところを走るのか。いかにも険しそうな感じである。右手の谷には「熊越の滝」というのがあるらしい。どんな滝か分からないけれど、いかにも知床らしいネーミング。
 鬱蒼とした原生林の中、連続する急カーブと急勾配。何はともあれ、重いペダルをただ黙々と踏み続けるしかない。昨年の対馬のような暑さがないことだけが救いである。



 やがて、標高280メートルの1合目の標識があり、すぐに翔雲橋を渡る。橋の下をのぞくと、深い緑に交じってナナカマドが1本だけ鮮やかに紅葉している。いくらなんでも早すぎると思うのだが、冷たい夏のせいで樹木も季節を早トチリしたのだろうか。

 勾配は緩くなったり急になったりだが、とにかく一貫して上り続ける。だんだん自転車を押して歩くことが多くなってきた。初めから無駄な抵抗をするつもりはないので、ちょっときつくなるとあっさり自転車を降りてしまう。ほかに自転車で走っているのがいれば、多少は負けじと頑張るが、今のところ、ライバルは1人も見かけない。
 頭をすっぽり覆うフードの先から雨の滴をしたたらせ、夏なのに真っ白な息を吐きながら、足元に視線を落として、重い足取りでトボトボと重い自転車を押していると、追い抜いていくライダーが手で合図を送ってくれる。挨拶というより激励という感じか。近づいてくる音でバイクが来たな、と分かると、その時だけ顔を上げて、まだ余裕があるように見せかけつつ、こちらも右手をあげる。
 もちろん、バイクだけでなく、クルマや観光バスもやってくる。観光バスの乗客の目に僕は一体どんな奴に映るのだろうか。まぁ、「物好きな奴がいるもんだ」とでも思われているのだろう。自分でもそう思う。結局、自転車旅行ができるかどうかは体力の問題というより「物好きさ」の強度の問題なのだ、ということがだんだん分かってきた。僕は体力にはあまり自信がないけれど、物好きさの度合いは人並み以上だと思っている(自慢にならないけど…)。

 それにしても、あまりに道が曲がりくねっていて、方角がさっぱり分からない。おまけに雨と霧で景色はほとんど何も見えない。雨は空から降ってくるというより、自分の方が水分をたっぷり含んだ雲の中に入ってしまって、雨が身にまとわりついてくる感じである。もし晴れていたなら、眼下に遠く根室海峡や国後島や羅臼市街が望めるのかもしれないし、前方には知床連峰の雄大な眺めが展開するのかもしれないが、今はすべてがただ真っ白で、周囲にどんな風景が広がっているのか、皆目見当がつかない。まぁ、視界が良好なら、遥か高いところに白いガードレールが見えたりして、かえって気が滅入るのかもしれないけれど、とにかく、今は自分がどこにいるのかもよく分からないまま、道路の左端に引かれた白線を忠実になぞるように進む。
 唯一の励みは道路際に0.5キロごとに立つ距離標であるが、これもなかなか次が見えてこない。500メートルという距離がこんなにも遠いものだったかと思う。それでも、羅臼からの距離が10キロを超え、10.5キロ、11キロ、11.5キロ、12キロ…と着実に数字が増えていく。また、登山道の何合目というのはどういう基準なのか知らないが、これも時折、4合目、5合目、6合目…と標識が現われる。
 早く峠に着かないかとそればかり考えて、ペダルを漕いだり自転車を押したりを繰り返す。うーん、きついッス。



 ついに15.5キロ地点を通過。ますます霧が深くなり、景色はほとんど見えないが、そろそろ峠が近いという雰囲気にはなってきた。
 反対車線を自転車の一団が縦一列になって勢いよく下ってきた。今日初めて出会う自転車。宇登呂側からの一番乗りであろう。みんなの表情に苦しい上りから解放された喜びが溢れている。僕もあとひと踏ん張りだ。
「ファイト!」
 嬉しい声援にこちらもとりあえず笑顔で応えて、ラストスパート。

     知床峠

 16キロ標識を過ぎるが、まだ峠は見えない。おかしいな、と思いながらも、疲れを忘れて突っ走ると、17キロ地点を目前にして、ついに駐車場が見えてきた。

 着いたぁ! ついに知床峠に到達である。
 時計を見ると、いつの間にか9時40分になっている。あれ、もうこんな時間か。確かに遠い道のりだったけれど、2時間10分も経過したという実感はない。
 とにかく、やっと着いたという安堵感と虚脱感。そして、自転車で知床峠を極めたという達成感と征服感。しかし、何よりも走るのをやめた途端に雨と汗に濡れた不快感に全身が包まれる。しかも、寒いので、急速に身体が冷えていく。温度計によれば気温は10度。道理で吐く息が白いはずだ。真っ先にトイレに直行。



 それにしても疲れた。疲れすぎて何もする気が起きない。
 晴れていれば、きっと圧倒的な山岳風景が眼前に立ちはだかり、遠く眼下には青い海が広がっているはず(よく知らないけど、たぶんそうなのだろう)。ここが今回の旅で一番の感動ポイントなのかもしれないが、その素晴らしいはずの風景も今日はすべて白一色に塗りつぶされ、周辺の緑の影もモノクロームの世界に溶け込んでいる。目を凝らすと、高山というほどの標高ではないのに、すでに森林限界を過ぎて、あたりにはハイマツが生えているようである。その程度のことは辛うじて分かる。絶景を期待していた人なら、せっかくはるばるやってきたのにこんなにひどい霧ではガッカリだろうけれど、僕はもともと予備知識があまりなかったので、それほど失望したというわけでもない。雲の中を自転車で走るというのも、それなりに貴重な経験ではあった。

 ところで、この知床横断道路が開通して半島の宇登呂側と羅臼側を結ぶ観光ルートが開かれたのは昭和55年のことである。日本最後の秘境ともいうべき知床半島であるだけに、開発か自然保護かの論争もあったようだし、クルマの排気ガスで沿道の木々が枯れ始めたという話も聞いた。今日の霧ではどの程度の被害が出ているのか判然としないが、いずれにしても、この道路が知床の自然にとって大きな傷となっていることは間違いないだろう。
 もしかして知床峠というのは土産物屋が軒を連ね、「知床旅情」のメロディが流れるような俗っぽい場所なのではないかと嫌な予感がしていたのだが、実際には駐車場とトイレのほかには何もなく、悪天候のせいか、拍子抜けするほど閑散としているのだった。

 せっかく苦労して上ってきたのだから、ここでゆっくりしたいところであるが、冷たい雨の中、寒さに震えていても仕方がないので、わずか5分の休憩で、9時45分に峠をあとにする。ここからはオホーツク海岸の宇登呂まで一気の下りである。
 体力を使い果たした後の脱力感を抱えたまま、重力に任せてグングン加速していくが、すぐにまたストップ。なにしろ、気温が低いので、雨に濡れたまま素手でハンドルを握って風を切ると、まるで氷水に手を突っ込んだようである。風が冷たいというより痛い。それでフロントバッグの中の軍手を探していると、青年が疲れ切った表情で自転車を押して上ってきた。さっきまでの自分を見る思いがする。でも、峠はもうすぐそこだ。

 さて、僕も行こう。苦労して蓄えた貯金を一気に使ってしまうみたいで、少しもったいない気もするが、それが快感でもある。
 少し下ると、急に雨が上がった。というより、驚いたことに、路面がまったく濡れていないのだ。オホーツク側も上空は雲に覆われているものの、雨は最初から降っていないのだった。途中で何度か自転車の一行と出会ったが、彼らは峠の向こうが雨だとは知らないのかもしれない。
 羅臼側がヘアピンカーブの連続だったのとは対照的に宇登呂側には急カーブはほとんどなく、ほぼまっすぐ。クルマもさほど多くないから、時速45キロ程度で快調に下っていくと、峠から約10キロ、20分ほどで知床自然センターという施設があった。ここはかなり賑わっている。

 こぎれいな身なりをした観光客の間で自分だけ鬱陶しい存在であるような気がして、人の多い駐車場の片隅でレインウェアを脱ぎ、ついでに汗臭いTシャツも着替えてしまう。自転車旅行に慣れてくると、こういう行為が平気になってくる。
 とりあえず、身なりをととのえてから、売店やレストランもあるセンター内で休憩し、それから、この近くにあるフレペの滝というのを見にいく。

     フレペの滝遊歩道

 散策路の入口には「ヒグマに注意!!」の看板。

「この辺り一帯はヒグマの生息地です。草原内には食痕、糞も見られ、ヒグマの通り道となっています。十分に御注意下さい」

 そのあとに、ヒグマも人間を恐れているので、鈴など音の出るものなどで人間の存在を知らせてやればヒグマは自ら離れていくとか、万が一遭遇したら慌てずにヒグマの動きを確かめながら少しずつ後退するのが良策であるとか書かれているけれど、こんな注意書きを読むと、自分はいま野生の聖域・知床半島にいるのだと改めて思う。

 我々は人間の生命は他の動物の生命よりも価値が高いものだと勝手に決めて、地上の支配者のように振舞っているけれど、現実の世界は人間だけのものではないわけだから、「人命尊重」とか「ヒューマニズム」とかいう人間に都合のよいイデオロギーがいつでもどこでも通用するわけではない。ここ知床半島ではいつヒグマに襲われても文句は言えないのだ。そう思えば、さすがに緊張する。まぁ、ほかにも観光客がいるから、さほど不安はないけれど、一応、周囲に生い茂る熊笹のざわめきにも注意を払いながらミズナラやカシワの原生林の中の小径を下っていく。

 林を抜けると、なだらかな起伏のある草原になり、彼方に銀色のオホーツク海が見えてきた。この旅で初めて目にするオホーツクの海である。振り返れば、緑から濃緑、そして青へとグラデーションのかかった知床の山並みが輝きを失ったまま、重畳と連なり、山頂の方は白い霧の中に消えている。



 草原のはずれまで行くと、緑の大地がざっくりと抉り取られたように突然、断崖絶壁となって一気に海に落下していた。海面との標高差は100メートル以上ありそうだ。



 その崖っぷちに設けられた展望台に立つと、緑と崖の境目から水が湧き出し、直接海に落ちているのが見える。水量はさほど多くなくて、落差が大きいわりに迫力はないが、それが「フレペの滝」。その女性的な印象から「乙女の涙」とも呼ばれている。ちなみにフレペとはアイヌ語で赤い水の意味だそうで、滝の水は鉄分を含んでいるというが、ここから見ただけでは分からない。
 滝の周辺の断崖はオオセグロカモメやウミウやケイマフリなど海鳥の営巣地になっていて、とても騒がしい。鳥の糞で岩が白くなっている。鳥たちを観察していたバードウォッチャーの望遠鏡を覗かせてもらうと、カモメの巣にヒナの姿も確認できた。

(フレペの滝)


 自然センターに戻る途中、「100平方メートル運動ハウス」というのに寄ってみる。
 この一帯はかつて開拓民の手で開墾されたものの、農業をやるにはあまりに自然条件が過酷で、結局は放棄されてしまったそうである。その土地に開発業者が目をつけるところとなったため、乱開発から守ろうと地元の斜里町が主体となって始められたのがナショナルトラスト「知床100平方メートル運動」である。これは一般からの寄付金で土地を買い上げて町有地とし、失われた原生林を植林によって復元しようという試みで、1口8,000円。これがちょうど100平方メートルの土地の買い上げ資金となる。ハウスには運動参加者(つまり出資者)全員の名札がぎっしりと掲示されている。8,000円ぐらいなら僕も参加したいところだが、すでに目標を達成して受付は終了したとのこと。都道府県別に並ぶ名札の中には有名人の名前も散見され、また、海外からの参加者の場合は「外国」のコーナーに一括して名札が掲出されているのだが、その中に「魔界・デーモン小暮」という札が交じっている。悪魔のくせに結構いいこともしているのだ。こういう発見をした時は一緒に笑える仲間が欲しい。

 さて、自然センターから北へ原生林の中の道を9キロほど上っていくと、有名な知床五湖があり、さらに奥には滝壷が天然の露天風呂になったカムイワッカの滝もある。いずれも知床観光の上でははずせない場所なのだろうけれど、なんだか峠を越えたら、すっかり気が抜けてしまって、改めて奥地へと上っていく気にはならない。というわけで、あとで後悔するのは覚悟の上で、このまま海辺の街・宇登呂へ下る。

     宇登呂

 斜里町・宇登呂は知床観光の拠点となる町である。大規模なホテルや旅館、観光物産館からカニ売店、食堂、ラーメン屋、アイヌの民芸品店、民宿、ライダーハウスなどが立ち並び、その間を観光バスやクルマやバイク、自転車が絶え間なく通る。土産物屋の店先では檻の中のキタキツネが観光客の人気を集めている。夏の観光シーズンの真っ最中ということもあって、大変な賑やかさ。秘境・知床半島といっても、実際にはかくも世俗化が進んでいるのであった。

 宇登呂のシンボルともいうべきオロンコ岩という岩山がそびえる港だけ眺めてから、すでに昼時なので、「ゴールデンハウスしれとこ」という、どこがゴールデンなのかよく分からない食堂でイクラ丼を食べ、ついでに売店で携帯食としてビスケットを買って、再び走り出す。
 町なかで見つけた電光表示の温度計によれば、現在の気温は17.9度。このところずっとこんな肌寒い天気が続いている。

 オホーツク海沿いに斜里へ向かう国道334号線を走りながら、このまま知床半島をあとにしてしまうのは惜しいような気もして、何度も宇登呂へ引き返そうかと考えたのだが、結局、そのままペダルを踏み続ける。今日は斜里に泊まるとすれば、あと40キロほどの道のりである。
 岩の形が亀にそっくりなチャシコツ岬を過ぎると、もう沿道に人家はなく、山と海の狭間の道をひたすら行く。起伏はあまりなく、まずは快適なサイクリングである。斜里方面からやってくる自転車も多い。知床半島を走っているということは、これまでにかなりの距離を走ってきて、これからもまだ相当な距離を走らなければならない連中ばかり。ほんの一瞬の出会いだけれど、お互いに自然に笑みが浮かぶ。こういう瞬間は本当に清々しい気分になる。

     オシンコシンの滝

 海に突き出た岬を貫くオシンコシントンネルを抜けると、オシンコシンの滝が左側の山から流れ落ちている。宇登呂~斜里間では唯一の観光ポイントでもあり、駐車場が整備され、観光客も多い。滝の水が海にそそぐ河口周辺には釣人の姿がちらほら。鮭か鱒でも狙っているのだろうか。しばらく眺めていたけれど、釣れている様子はなかった。

 そろそろ行こうか、と思ったところで、事故発生。
 斜里方面から走ってきたバイクが大勢の観光客の目の前で突然転倒したのである。転倒の瞬間を見ていなかったので、原因はよく分からないが、ライダーは路上に投げ出され、いくつかの部品が飛び散ったバイクはひっくり返ったまま、けたたましい唸りを上げている。近くにいたライダーたちがすぐに倒れているライダーに駆け寄り、またバイクを起こして路肩に寄せてやる。転倒した彼はしばらく茫然自失といった感じだったが、やがて、ゆっくりと立ち上がったから、どうやら大きな怪我はなかったようだ。
 ほかの観光客に交じって遠巻きに見ているだけだった僕もホッとしたが、まだ心臓がドキドキしている。とにかく、前後に接近中のバスやトラックがいなかったのが不幸中の幸いで、もし直後にトラックでも来ていたら、と思うと、背筋が寒くなる。僕も安全には気をつけなければ、と改めて気を引き締めた。

     トド

 オシンコシンの滝を出発して、海側の歩道をのんびり走っていると、やがて海岸に茶色い巨大な物体が横たわっているのが目に入った。普通なら気づかずに通り過ぎてしまいがちだが、なぜか僕の視線はそういうものを捉えてしまう。
 最初はヒグマが死んでいるのだと思った。しかし、どうも違う。トドだろうか。
 少し先に海岸へ下りられるところがあったので、自転車を止めて、わざわざ確かめに行ってみる(本当に物好きだ)。
 それはやはりトドの死骸であった。体長は3メートル近くはありそうだから、かなりデカイ。こんなに巨大な動物の死骸は見たことがない。すでに腐敗が進み、皮膚が異様に変色して、口元と後肢のあたりは骨ものぞいているが、腐臭はそれほど感じない。
 すべての生命はいつか尽きるわけだから、特にかわいそうとは思わないが、こうしてひとつの死に遭遇すると、この広くて厳しい北の海でどんな生き方をしてきたのだろうかと想像をめぐらせてみたりはする。

     パンク

 自転車に戻ると、ちょうど斜里方面へ走っていくマウンテンバイクの青年が見えた。僕も彼のあとを追うように走り出す。べつに張り合っても仕方がないのだが、100メートルほど先を行く彼が結構なスピードで飛ばしているので、こちらも引き離されないように力を入れてペダルを踏んでいると、ポツポツと雨が落ちてきた。

 ここでアクシデント発生。急に後輪からゴツンゴツンと硬い感触が伝わってきた。パンクである。
 マウンテンバイクの彼がどんどん遠ざかっていくのを見送りつつ、こちらは自転車の荷台に積んだ荷物を全部はずして、修理に取りかかる。
 場所は宇登呂と斜里のちょうど中間あたりだろうか。周辺には一軒の人家もなく、ただ寂しい海岸に沿って一本道が続いているだけのところである。時刻は14時半。



 それにしても、パンクした後輪を改めてよく見ると、かなり悲惨な状態になっている。重い荷物を積んでいるせいで、タイヤの接地面は磨り減ってツルツル。側面も一部擦り切れて、内部のチューブがのぞいている有様。恐らく空気圧も不足していたのだろう。今まで走っていても、時々、後輪が横滑りするような感覚があって、多少気にはなっていたし、タイヤがだんだん磨り減ってきていることにも気がついていたけれど、まさかこんなになっていたとは。これでは直しても、またすぐパンクするのは時間の問題である。とはいっても、このままでは走れないから、とりあえず、チューブを新しいものと交換。今回は予備のチューブを2本用意してある。
 ポツポツと弱い雨が降る中、自転車を倒立させて作業をしていると、観光バスが何台も通る。パンクは自転車旅行には付き物だし、修理もチューブを交換すればどうってことはないけれど、観光バスから見下ろされると、憐みの視線を浴びせられているようで、なんとなく惨めな気分になる。
 斜里方面から自転車の一団もやってきたが、彼らはただ笑顔で手を振ってくれるので、こちらも何事もないかのように手を振り返す。こういうのは気持ちがいい。

 さて、パンクは直った。擦り切れたタイヤの方はここではどうしようもないので、見なかったことにして、再び走り出す。斜里に着いたら、自転車屋を探すことにしよう。

     峰浜

 日の出地区を過ぎて、ようやく知床半島が終わりに近づくと、ジャガイモやトウモロコシの畑が見えてきた。薄茶色の麦畑も広がっている。釧路・根室地方では牧草地ばかりだったから、今回の旅で野菜畑を目にするのは初めてである。それだけ気候風土が違うわけだ。晴れていれば、気持ちのよい眺めに違いないが、相変わらずの曇り空。雨だけは止んだ。

 ちょうど半島の基部に位置する峰浜集落を過ぎると、砂浜の海岸に峰浜キャンプ場というのがあった。時刻は15時半を過ぎたところ。寝袋を紛失してしまったので、今日は斜里あたりで安宿を探そうかと考えていたのだが、昨夜も寝袋ナシで過ごしたわけだし(すごく寒かったけど…)、もう一晩ぐらい大丈夫か、と咄嗟に考え、砂利の駐車場に乗り入れた。利用料金は300円で、管理人のおじさんによれば、近くに温泉もあるそうだ。



 夏の輝きを失ったオホーツク海が静かに打ち寄せる砂浜のキャンプ場。本州なら今頃はまだ海水浴シーズンだが、ここでは泳ぐ人などいない。それでも、キャンプ場にはそれなりに客がいて、色とりどりのテントが並んでいる。やはり家族連れが多いようだ。

 テントを張り終えて、炊事場でほかの人たちが夕食の支度を始める頃、自転車で近所へ偵察に出る。
 ほんの小さな集落だから食事をどうするかが問題で、唯一の頼りは先刻見つけておいたドライブインだったが、行ってみると、もう店じまいのようである。ほかに食堂などもなさそうで、結局、食料品店でパンやチーズ入りカマボコ、バナナ、お茶、お菓子などを適当に仕入れてテントに戻る。そのまま食べられるものというと、これぐらいしかない。お湯を沸かせるだけでも食事のヴァリエーションは一気に広がるので、やはり炊事道具は必要だと痛感する。
 とりあえず、食料をテントの中に放り込んで、今度は管理人さんに教えてもらった温泉に出かける。知床連峰から続く海別岳の麓のウナベツ自然休養村というのが近所にあって、そこの管理センターで200円で入浴できるらしい。

 行ってみると、宿泊もできる立派な施設で、ロビーに隣接した食堂には宿泊客の夕食が準備され、毛ガニが1匹ずつ皿にのっているのが見える。自分の夕食を思い浮かべると、あまりの落差に情けなくなるが、まぁ、仕方がない。
 とにかく、風呂で汗を流し、さっぱりした気分で外へ出ると、大粒の雨が降っていた。

 夕暮れの坂道を濡れながら下って、小学校の前を通りかかると、校庭の隅の屋根付きの車庫の中にテントを張っているライダーがいた。ここなら無料だし、雨に濡れることもない。うまい場所を見つけたものだと感心しながら、自分のテントに戻った。

 まるでバナナが主食のような粗末な夕食を済ませ、デザートのブドウも食べてしまうと、あとはもうすることもない。砂の感触が伝わるマットの上に寝転がって、音楽を聴きながら、ぼんやりと地図など眺めていると、雨は止んだらしく、隣のテントの親子が花火を始め、それが僕の頭上で次々と炸裂する。あまり楽しくない。

 それはともかく、明日はいよいよ浜小清水へ行くつもりである。過去の北海道旅行でも最も多くの日々を過ごした思い出の地で、自転車が旅の相棒になってからは、いつの日かあの浜小清水の美しい風景の中を走ってみたいと夢みていたのである。
 その夢が明日にはついに実現する。嬉しいような、ドキドキするような、複雑な心境である。美しすぎる夢は繊細で壊れやすいから。
 とにかく、懐かしい小清水ユースホステルに宿泊予約の電話だけはしておこう。あそこだけはもう一度泊まりたいと思って、何年ぶりかでユースホステル協会の会員証を入手してきたのである。夏休みだから満員ではないかと不安だったけれど、大丈夫なようだった。
 本日の走行距離は72.0キロ。通算では691.4キロになった。


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