浜小清水サイクリング 1997年8月14日

 北海道の知床半島と網走の中間に位置する浜小清水は過去の北海道旅行の中でもとりわけ多くの
日々を過ごした愛着のある土地です。
  北海道を自転車で旅しようと思い立った時、まず心に浮かんだのは、あの浜小清水の緑の大地を爽やか風に吹かれながら、気ままに走ってみたいということでした。
 そんな憧れにも似た想いと現実の間には若干のズレもあったけれど、とにかく、大好きな浜小清水の風景の中を自転車で走り回るという夢のような時間を持つことはできました。
 ここでは浜小清水サイクリングで出会った光景のいくつかを遠い日の思い出も交えて紹介します。
 なお、「浜小清水」といっても、それは過去に通算で11泊もした浜小清水のユースホステルを拠点に僕がサイクリングしたり、歩いたりした範囲のことで、実際には釧網本線・浜小清水駅を中心に止別駅から北浜駅にかけての一帯、行政区画としては小清水町から網走市にまたがる地域を含んでいます。


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     浜小清水の朝

 いま浜小清水のユースホステルにいる。今日は一日かけて付近一帯を自転車で走り回ろうと思う。
 真っ青なオホーツク海や涛沸湖、花の咲き乱れる原生花園、内陸に広がる広大な農場や牧場、カラマツの防風林や雑木林、なだらかにうねる丘や遠くそびえる斜里岳や知床連山…。そんな風景が夏の陽射しを浴びてキラキラと輝く中、さわやかな風を切って自転車を走らせる、というのが僕の憧れだった。そんな夢にまでみた一日がついに始まるのだ。
 そう意気込んでいたのだが、生憎というか、やっぱりというか、またまた曇り空で、時折小雨がぱらつくような天気である。しかも、うすら寒い。
 それでも、もう一日このユースホステルに泊まることにして、大きな荷物はすべて宿に残して9時前に出発。久しぶりに自転車が軽い。
 玄関先に繋がれたおとなしい番犬に見送られて、まずは国道244号線に出て網走方面へ向かう。


(浜小清水の風景。真ん中は涛沸湖。右端がオホーツク海)



     8月の小清水原生花園

 オホーツクの海岸砂丘を右に、涛沸湖を左に見ながら3キロほど行くと、釧網本線原生花園駅。春から秋の観光シーズンにだけ列車が停まる臨時駅で、風見鶏のある丸太小屋風の駅舎は観光客で賑わっている。駅前には駐車場があって観光バスも立ち寄るのだ。といっても、花の盛りは過ぎ去り、緑の草原がうねうねと続くだけなのだが、それでも、観光客はみなオホーツクをバックに記念写真を撮ったり、売店で買い物をしたりと嬉しそうにしている。

(原生花園駅)

 そうした観光地らしい賑わいから少し離れてポツンとある原生花園バス停。その周りにだけ名残のハマナスが濃いピンクの花を咲かせているのを発見。そのそばには雨に濡れて少したわんだ大きな蜘蛛の巣があって、小さな主が獲物のかかるのをじっと待っていた。

 
(ハマナスの咲く原生花園バス停)

(涛沸湖)


     北浜駅

 光彩を失い寂しげな風情を湛えた涛沸湖の銀色の湖面を眺めながら5キロほど走ると、湖水がオホーツクにそそぐ湖口があり、橋を渡ると小清水町から網走市に入り、北浜駅がある。ここはオホーツク海に一番近い駅として知られ、線路を越えれば、そのまま砂浜海岸に続いている。昔、この駅からディーゼル機関車が古い客車と貨車を引く、いわゆる混合列車に乗ったのを思い出す。

 

 また、この駅は長年潮風に晒された木造駅舎が今は「停車場」という名の喫茶店になっていて、コーヒーで一服というのもいいな、と思ったが、まだ店は開いておらず、待合室でお婆さんがひとり列車を待っているだけだった。
 さて、ここからは国道ともオホーツクの海岸とも別れ、涛沸湖の西岸を回って内陸部へ向かおう。

     うねる丘の風景

 小雨がポツポツと降るなかを道なりに行くと、湖畔の林や湿原から台地へと上っていき、雄大な大地がうねるように続く風景が広がった。有名な美瑛の丘ほどの起伏はないが、似たような風景である。
 ジャガイモやビートや小麦の畑が多いが、玉葱やカボチャ畑もある。道はにわかに起伏が多くなり、ペダルを踏むごとにさまざまな緑色や薄茶色の畑がパッチワークのように次々と展開し、それはまるで壮大なシンフォニーのようである。その緩やかな旋律に整然と並ぶカラマツの防風林がリズミカルな印象を添えている。



 そして、緑の稜線にポツンと小さな一軒家が見えてくれば、葉祥明さんの絵を思わせるメルヘン調の風景のできあがり。といっても、小雨混じりの曇り空のせいで、なんとも陰気な眺めではある。

 


     網走市立音根内小学校

 やがて、網走市の音根内地区に入る。小学校の所在を示す矢印に従って奥地へ向かって自転車を走らせると、音根内小学校の前に出た。
 まるでタイムスリップしたかのような古い小学校がそこにあった。
 崩れかけた石の門柱。草の生えた校庭。赤い屋根の平屋の校舎もカマボコ形の体育館もいかにも年代物の木造。古い校舎を取り巻くカラマツ林。夏休みなので子どもたちの声は聞こえず、ひっそりとしている。

 門の前で自転車を停めて、眺めていると、学校の前の家からおじさんが出てきた。旅行者がやってくるような土地ではないはずだから、怪しまれたかと思いきや、前にもこの学校を見にきた人がいるという。全く知らなかったのだが、ここは最近ドラマの撮影で使われたそうなのである。もう一人近所のおばさんが出てきて、真冬に吹雪の中で撮影をしていたなどという話を聞かせてくれた(「みにくいアヒルの子」というドラマだそうです)。



 門柱はあるけれど、門扉もなければ塀もない開放的な学校なので、ちょっと立ち入ってみると、地面の上でセミがジイジイいいながら透明な羽をばたつかせていた。エゾゼミだ。手にとって見るのは初めてだが、背中に橙色のW字形の模様がある中型のセミである。そういえば、この旅の初めの頃はそれなりに暑くて、セミの声もずいぶん聞いたけれど、その後はめっきり耳にしなくなった。こんな冷たい夏ではセミたちもきっと辛かろう。
 そこへ学校の敷地内の住宅からおばさんが現れた。
「こんにちは」
 どういう人か分からないが、セミを手にしたまま挨拶する。
「セミ?」
「ええ、ここに落ちていたんです。弱っているみたいですね」
 そう言いながら、そばの木の幹に止まらせてやる。
「どうぞ校舎の中もご覧下さい。主人がいますから連絡してあげましょう」
 ドラマを見てやってきた訪問者だと思われたのだろう。おばさんが家の中へ戻って電話で連絡してくれたので、言われるままに校庭を突っ切って玄関へ行くと、カーディガン姿のおじさんが迎えてくれた。

 自由に見学していいとのことだったので、遠慮なく上がらせていただく。外観の古めかしさに比べて内装は意外に新しく、廊下に面して教員室や校長室から保健室、図書室、そして全学年の教室が並んでいる。といっても、教室は複式学級で、1・2年、3・4年、5・6年がそれぞれ1つの教室で勉強しているようだ。廊下の突き当たりはそのまま体育館に繋がっており、覗いてみると、色々なサイズの一輪車が並んでいる。数えてみると26台あった。



 廊下に貼られた生徒たちの水彩画やデッサンなどを眺めていると、
「こちらへどうぞ」
 と校長室へ招じ入れられた。校長先生だったのだ。テレビでは甲子園の高校野球中継をやっていた。
 今はほかの先生方も夏休みで、学校に残っているのは校長先生だけとのこと。先生自らコーヒーを入れてくださり、それから通りすがりの旅行者に過ぎない僕に向かって、この学校の概要や教育について、さらにこの土地のことなども熱心に語って聞かせていただいた。
 この学校は教職員9名、生徒25名で、平成11年度限りでこの地域の4校が統合されることになり、音根内小学校は80余年の歴史を閉じるということ。
 こういう小さな学校にこそ教育の原点といえるものがある反面、その家族的な人間関係だけでは生徒の社会性が育たないという課題もあること。
 学校で動物愛護を教えようと思っても、生徒の家庭では農作物がエゾシカの食害を受けており、それを生徒もよく知っているから、なかなか難しいということ。
 キタキツネの持つエキノコックス(寄生虫)による水の汚染には気を遣っており、浄水施設の管理は厳重にしているということ。
 ここは網走市街へも女満別空港へも車で20分ほどの距離にあり、意外に便利な土地であること。
 このあたりでは資金力のある農家がどんどん耕地面積を拡大し、高価な農機具は共同で所有する企業的な集団型農場経営が行われていて、どの農家も豊かであること。人の数よりクルマの所有台数の方が多い家庭もあるそうで、先生は築40年の校長宅が一番粗末だと笑っていた。
 とにかく、興味深いお話を色々と伺い、思わぬ長居をしてしまい、丁重にお礼を述べて学校を辞した時には1時間ほども経過していた。

     斜網広域農道

 近い将来、廃校となる音根内小学校に名残惜しさを感じつつ、再び走り出すと、やけに寒い。校庭の寒暖計の水銀柱は11.5度を示していて、目を疑ったのだが、あの気温は本当かもしれないと思うほどだ。今の服装はTシャツ半ズボンにレインウェアを上だけ着ている格好で、自転車でスピードを出すと小雨混じりの風で膝のあたりがとても冷たいのである。体内エンジンをフル回転させて、体を暖めるしかない。

(一直線に伸びる斜網広域農道)

 斜里と網走を一直線に結ぶ「斜網広域農道」を斜里方面へ走る。急なアップダウンの連続で大地の起伏に忠実に進むこの舗装道路はいかにも北海道らしい雄大な道である。
 あたりに人家はほとんど見当たらず、ひたすら畑がうねうねと広がって、どちらを向いても絵になりそうな風景が次から次へと展開していく。道端にはマーガレットに似たフランスギクやムラサキツメクサなどの草花が彩りを添え、時には白樺の林やヒマワリ畑が風景をより一層魅力的なものにしてくれる。

 

 

 


 ひとつの坂を下ると見覚えのある地点に出た。かつてこの一帯を歩いた時、風景をカメラに収めた場所である。その場で、いま来た網走方向を振り返ると記憶は鮮やかに蘇った。

 
音根内の丘~1985年3月と1997年8月)

 なだらかな雪の丘。その稜線に一列に並ぶ冬枯れのカラマツ林。背景の青い空へ向かってまっすぐに坂を上っていく道路。その全体の構図が素晴らしくて、後日、写真をもとに水彩画にしてみたりもしたので、当時の風景はかなり正確に記憶している。微かに聞こえる雪解けの音まで耳に残っているほどだ。
 道端に「音根内」の地名板が立っていて、それは今もそのままだった。
 しかし、風景の全体は季節の違いだけでなく、ずいぶん変わってしまったように思われた。まず稜線のカラマツが消えた。道路の右手にあった雑木林も伐採され、新しい畑になっていた。考えてみれば、この土地も昔はすべて豊かな森林だったのだ。大規模な農地開発の陰で消えていった太古の森のことを思えば、少し複雑な心境にもなる。

     網走市浦士別

 さて、これも見覚えのある交差点にやってきた。右折すれば浦士別、左折すれば涛沸湖の細くくびれたところにかかる平和橋を渡ってユースホステル前へ戻るから、これで涛沸湖をほぼ一周したことになる。もちろん、まだ帰らない。当てもなく自由自在に走り回っていると、全く飽きないし、疲れも感じない。



(涛沸湖畔の道。右手の林の向こうが湖))

 その畑の中の交差点を右、つまり南へ2キロ走ると浦士別地区の中心部。広大なジャガイモの丘に囲まれた小さな集落で、食料品店や郵便局、小学校などがある。こちらの校舎もいくらか改修されてはいるが音根内小学校と似た造りである。道端のナナカマドの葉が赤く色づき始めていた。

(浦士別の風景)



     キタキツネ

 さっきの交差点まで戻り、涛沸湖畔のかつて歩いた道を記憶の糸を手繰るように自転車を走らせる。
 まもなく湖にそそぐ浦士別川を渡って、網走市から再び小清水町に入り、ホルスタインのいる牧場やトウモロコシ畑などを横目に見ながら、ぬかるんだ未舗装の道を涛沸湖の東側の台地上へと上っていくと、やがて国道244号線にぶつかる。ここまでくると浜小清水駅が近い。



 国道は避けて、緑の中の土道をのんびり走っていると、左側の畑からキタキツネがひょっこり現われ、べつに人間を警戒する風でもなく、そこが自分の日常的な生活領域なのだというように軽やかな足取りで道を横切り、右手の農家の裏庭へと姿を消した。ここらではキツネなんて都会の野良猫と同じ程度に身近な動物なのだろう。浜小清水はかつて大ヒットした映画『キタキツネ物語』の舞台であり、小清水在住の獣医師・竹田津実さんの写真集でも知られるようにキタキツネの本場ともいうべき土地なのだが、考えてみれば、小清水でキタキツネに会ったのは今のが初めてである。

     浜小清水駅

 さて、すでに2時近いので、浜小清水駅のレストラン「汽車ぽっぽ」へ。かつて駅員がいた事務室部分を改造した店内はなかなか洒落ていて、お客も多い。観光客もいれば、地元の常連客もいるようで、結構なことである。シーフードカレーを食べたら、味もよかった。

    オホーツクの村

 次は止別方面へ足を伸ばす。浜小清水駅のレストランに続いて、止別駅のラーメン屋にも行ってみようという欲張りな魂胆である。
 昨日走ってきた線路沿いのオホーツク海岸道路を行くと、止別(ヤンベツ)川の手前に広葉樹の森がある。それが「オホーツクの村」。以下は北海道が立てた説明板。

「この地区はカラマツ・ヤチダモ等の人工林から成る29.6ヘクタールの樹林地で、中央を止別川が貫流し、豊かな水と緑の中で約20種の獣類、130種の鳥類を観察することができます。財団法人小清水自然と語る会が、野生生物と人間が共存する聖域づくりを目的に取得した土地です。ナショナルトラスト運動の対象地として広く知られ、ユニークな保全活動を展開しています」

 昔は木々も若々しかったが、年月を経て、いつしか立派な森に成長し、確かな野生の気配を秘め始めているのが感じられた。

 
 (海岸砂丘沿いを行く釧網本線の列車。右写真の右手の森がオホーツクの村)


    止別川

 止別川のほとりはかつて野生化したミンクに会ったところであるが、今日はゆったりとした流れの中で大柄なアオサギがじっと獲物を待っているだけ。それでも河口近くに架かる橋の上から流れを覗き込んでいると、大きな魚影が川を遡っていくのが見えた。鮭だろうか。ちょうど通りかかったクルマからおじさんが出てきて、魚は見えるかと尋ねられる。この場合の「魚」とは鮭や鱒のことだろう。みんなこの季節になると、鮭や鱒がいつ川に戻ってくるかと絶えず注意を払っているようである。
「いま大きな魚が見えた気がしたんですけど…」
 見間違いではなかったかと急に自信がなくなり、曖昧に答える。しばらくふたりで川面を見つめていたけれど、もう魚の姿はどこにもなかった。

(ヤンベツ川)

     止別駅

 さて、止別にやってきた。ひっそりとした駅前には紅白幕を張った櫓が組まれ、盆踊りの準備がされていた。クルマは数台あるものの、人の姿は見えない。こんな小さな集落で一体どの程度の人が集まるのだろうかと余計な心配をしたくなる。



 止別駅のラーメン屋「えきばしゃ」の外観は屋根の上に白いペガサスの飾りがついているほかは辺境ローカル線の古くて小さな木造駅舎に過ぎない。駅の待合室にも誰もいない。ところが、かつての駅事務室を改造した店の扉を開けると、驚いたことに中はほぼ満員なのだった。こんなにお客がいたとは。数人のおばさんたちが切り盛りしていて、相当繁盛している様子。味噌野菜ラーメンを食べたら、こちらも大変美味かった。

     小清水町

 すっかり満腹になって、食後の腹ごなしに今度は小清水町の中心部へ行ってみよう。
 小清水町はオホーツク海岸の浜小清水から内陸の畑作地帯、さらに南部の森林山岳地帯へとかなり広大な町域を有し、南端は屈斜路湖の外輪山で弟子屈町と接している。そして、町役場のある小清水市街は浜小清水から10キロ近くも内陸に入ったところに位置している。一体どんなところなのだろう。
 止別から国道244号線に出て、浜小清水方面へしばらく走ると、国道391号線が南へ分岐する。ここを左折。391号線は小清水の中心部を通って、屈斜路湖と摩周湖の間を通り、そこからJR釧網線沿いに釧路へ至る幹線ルートである。
 沿道には時折、雑木林や牧場があるほかはひたすら畑が広がり、なかでもジャガイモ畑が圧倒的に多い。このあたりで栽培されるのはデンプンの原料になるものが多いらしく、デンプン工場もあった。

     「0号」バス停

 また、この区間には網走からの路線バスも走っていて、地名ではなく道路番号がそのまま停留所の名前になっている。この辺は道路(といっても、ほとんどが未舗装の農道)がほぼ碁盤目状に整備されており、南北方向が「線」、東西方向が「号」と呼ばれているから、まっすぐ南へ下っていくと、交差する道は0号から始まって1号、2号、3号…という具合になる。それがそのまま停留所名になっているわけだ。停留所の数ほど地名がないから、ほかに名前の付けようがないのだろう。



 しかし、何もない道路際にポツンと「0号」なんていうバス停ポールが立っているのは、いかにも北海道らしくて、なかなか味わい深い光景である。なかにはポールのてっぺんから髪の毛みたいに草を生やしているものまであって、かわいい。

     小清水市街

 6キロ余り走ると、あたりに人家が増え、急に町らしくなった。そこが小清水町の中心集落である。来てみれば、何の変哲もないありふれた町だが、ここでも温泉が掘られて、「ふれあいセンター」という町営の入浴施設ができていた。
 べつにここに用があるわけではないので、セイコーマートでお菓子を買っただけで小清水市街をあとにし、帰路は今の国道より西側の地図上では21線という番号のついた舗装道路を北上して浜小清水へ帰る。ちなみに391号線は元来は18線だったのが国道に昇格したものらしい。

     じゃがいも街道

 21線は通称「じゃがいも街道」とも呼ばれているらしく、沿道にそういう看板も立っている。小清水町がそうやって観光客向けにPRしているようだ。当然、周囲には見渡すかぎりのジャガイモ畑が波打つように続いているほか、カルビーのポテトチップス工場があるのだった。それで「じゃがいも街道」か。

 この日の走行距離は78.6キロ。狭い地域をウロウロしていたわりには意外に距離を稼いだ。



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