風の音楽~秘密の部屋

Dorothy Little Happy


(Mari Takahashi & Kana Shirato)



2014年3月 公開
2016年2月7日 全面改訂
2017年5月23日 情報追加

 風の音楽~キャンディーズの世界Top  TOP

 この“風の音楽”ではひたすら昭和のアイドルグループ、キャンディーズについて語ってきたわけですが、ここでいきなりキャンディーズ世代のほとんどの方がご存じないであろうグループ、ドロシーリトルハッピー(Dorothy Little Happy)について語り始めます。まぁ、今回だけのつもりですが、よろしければお付き合いください。
 僕はキャンディーズ解散とともにアイドル全般を卒業し、80年代以降のアイドルはほぼすべて素通りで現在に至ったわけですが、正直なところ、ドロシーにはちょっと、いや、かなりハマってしまいました。
 仙台を拠点とする5人組のガールズユニット、ドロシーリトルハッピー(2010年結成)は数あるアイドルグループの中でも楽曲とライヴパフォーマンスのクオリティの高さによってアイドル好きの間ではそれなりに有名ですが、一般的な知名度が高いとは言えません。しかし、今どきのアイドルの中でも際立って上品で清楚な印象の彼女たちが良い曲を歌とダンスでしっかりと表現し伝えるということを真摯に追求する姿勢や、その女の子らしさを失わないままの全力パフォーマンスは最近のアイドルに批判的な人も含めて多くの方々が共感できるのではないかと思います。僕にとっては、フィギュアスケートの選手のように近年活躍が目立つ若い女子アスリートを応援したり、そのパフォーマンスに感動したりするのと同じ感覚です。何よりもキャンディーズがそうであったように、この年代ならではの輝きというのはやはり魅力的で、そのキラキラ感はこちらが年齢を重ねるにつれて、ますます眩しく感じられて、正直なところ、見ているだけでウルッときてしまうほどです。
 要するに、
一見、どこにでもいそうな女の子たちが5人で一緒に夢を実現しようとしている、その純粋で、まっすぐな感じが彼女たちからはものすごく伝わってくる、というのが一番の魅力なのかな、と思います。

 キャンディーズのメインライターだった作曲家の穂口雄右氏はかつてキャンディーズについて
ラン、スー、ミキは最初から最後まで『普通の女の子』でした。良識があって、優しくて、控えめで、素直で、明るくて。すべては3人の共通した特徴です。その上、実力があって、しかも奢ることは最後までありませんでした。誰からも愛されて当然です」と回想していますが、この言葉はドロシーについても、そのまま当てはまる、というのが僕の印象です。違いがあるとすれば、ドロシーは3人ではなく5人だということ、そしてキャンディーズの物語はすでに完結しましたが、ドロシーの物語は現在進行形であるということぐらいです。また、「実力があって」の部分については、本人たちは「いえ、まだまだです」と謙遜するかもしれませんが、強い向上心に裏打ちされたメンバーひとりひとりのスキルアップがめざましく、しかもまだ相当な伸びしろがありそうに思えます。なので、彼女たちがアーティストとしてどこまで行けるのか、彼女たちが紡ぎだす物語をずっと追いかけてみたいという気持ちになったわけです。そう、彼女たちはアーティストです。キャンディーズが単なるアイドルではなく、アーティストだったと言われるのと似た意味において…。
 もちろん、キャンディーズとドロシーのメンバー(2014年時点で3人が高校生)にはおよそ40歳(!)の年齢差があり、一流ミュージシャンの演奏をバックに歌ったキャンディーズと打ち込み主体のデジタルサウンド(ただし多くの曲で印象的なギターが聞かれます)のドロシーでは音楽の印象はやはり異なりますし、コーラスグループだったキャンディーズとヴォーカル&ダンスユニットであるドロシーでは表現方法も違います。実際、両者の音楽を聴き比べると、やっぱりキャンディーズのハーモニーの美しさは圧倒的だな、と思ってしまうのは確かですし、9人編成の専属バックバンドMMPを従え、実質的に3人のヴォーカルの女の子をフロントに立てた12人編成のロックバンド形式でライヴ活動を展開していたことも今から思えばゼイタクな時代だったんだな、と思わずにいられません。その点、ドロシーのライヴは基本的に既存音源をバックに歌う形式ですが、逆にダンスパフォーマンス(曲の振り付け)としては当然ながらドロシーのほうが遥かに高いレヴェルにまで到達しています。そうした違いはあっても、ふたつのグループがまとっているピュアな空気感には似たようなものを感じてしまいます。というか、ピュアということに関していえば、ドロシーのほうがさらに純度が高いように思えます(※個人の感想です。…と一応健康食品の広告みたいな但し書きをつけておきます)。


 
というような書き出しで僕はこの文章を2014年の春に最初にアップしました。
 あれ、5人組なのに、なぜページトップの写真は2人だけなの?(しかも、「微笑がえし」みたいな衣装で…)と思われるかもしれませんが、そうなのです。ドロシーは結成5周年を迎えた2015年7月12日、東京・中野サンプラザでの公演を最後に3人が脱退し、2人だけのユニットになってしまったのです。現代のアイドルシーンではメンバーの脱退と追加を繰り返しながらグループが存続していくというのはまったく珍しいことではありません。しかし、ドロシーに関しては、この5人でなければダメ、メンバーチェンジはありえない、とファンだけでなく本人たちも信じていたほど強い結束力を誇り、その作品やライヴパフォーマンスも高い評価を得て、現代のアイドル界でも最高峰のひとつといえるガールズユニットとして前途は明るいと思われていたので、突然の空中分解はアイドルファンだけでなく、ドロシーをリスペクトする他のアイドルたちの間にも衝撃的なニュースとして伝わったのです。社会の断片化が進んだ現代ですから、キャンディーズの解散のように世の中全体に衝撃が伝わるということはまったくなかったわけですが、それは時代状況が違うので仕方がありません。とにかく、ドロシーの分裂はキャンディーズでいえば解散というより3人のうち1人が脱退して、新メンバーが加入するというぐらいあり得ない話に思われました。そこには本人たちだけではどうにもならない周囲のオトナたち(所属事務所や所属レーベル)の事情や思惑が絡んで、いつのまにか誰も望んでいない方向に事態が進行してしまったようです。ちなみに脱退した3人は2015年初頭からドロシーの派生ユニットとして始動した
callmeでの活動に専念しています。

 ドロシーの5人が紡ぐ物語をずっと追いかけようと思っていた僕としても、これはあまりにも残念な展開であり、キャンディーズ解散の時はこちらがまだコドモだったせいもあり、喪失感の大きさでいえば、ドロシーの分裂のほうがずっと大きかったぐらいです。5人が一緒にひとつの目標に向かって歩んでいくというストーリーが軸になっていたこの文章も読み返せば虚しい気持ちになるばかりで、一時はページそのものを削除してしまおうか、と考えたほどでした。
 しかし、ドロシーは解散してしまったわけではありません。2人だけになって全く白紙の状態から、“Restart”して、今は前だけを向いて走り出しています。僕も気持ちを新たに彼女たちを応援していこうと思い、このページも全面的に改訂することにしました。
 もっとも、ドロシーの新しい物語はまだ始まったばかりなので、ここでは5人のドロシーの物語がメインになるわけですが…。



(5人組時代のドロシー L→R:早坂香美、富永美杜、高橋麻里、白戸佳奈、秋元瑠海)

 
ところで、アイドルに興味がなかったはずの僕がドロシーを知ったきっかけは音楽雑誌『MARQUEE』に載っていた記事でした。『MARQUEE』は1980年代のまだアヴァンギャルドな音楽専門誌『MARQUEE MOON』だった頃から僕の貴重な情報源であり、普通に生活していては絶対に知ることのない世界中の数多くのアーティストやレコードとの出会いの機会を作ってくれた雑誌です。『MARQUEE MOON』はその後、『MARQUEE』と名を改め、何度かのリニューアルを経て(そのたびに号数はリセットされている)、その主流は『EURO-ROCK PRESS』に受け継がれた一方で、『MARQUEE』は松本昌幸編集長の音楽的関心を色濃く反映した雑誌として存続し、80年代から松本氏の文章を読んでいる者としては予想外の展開ながら彼が突然、アイドルに目覚めたことから現在のほとんどアイドル雑誌のような姿に変貌していったわけです(恐らく過去のどの時代よりも売れているのでしょう)。僕はほぼ毎号、書店で手には取っていましたが、可愛い女の子がたくさん出ているようなページはすべてすっ飛ばして、ごく一部の記事のみ読んでいたので(立ち読みですが)、いつのまにか『MARQUEE』がアイドルを取り上げるようになっていたことにも実はほとんど気づいていませんでした。

 その『MARQUEE』Vol.95を別のアーティストの記事目当てにたまたま購入したところ、ドロシーリトルハッピーというまったく知らない女の子5人組が26ページにもわたって特集されていたのです。それでも普通なら無視してしまうのですが、なんとなく記事を読んでみたのは写真の女の子たちが可愛かったから、だったかどうか、よく覚えていません。アイドルがカワイイのは当たり前といえば当たり前なのでしょうが、彼女たちからはそれだけではない、品の良さみたいなものが感じられたから目にとまったのだと思います。しかも、記事の書き出しが「アイドル界トップクラスの歌唱力とダンス力を合わせ持つドロシーリトルハッピー」だったことから、へぇ、そうなのか、などと思いつつ読んでみたわけです。

 記事を読んで、僕は今まで最近のアイドルをナメていたけれど、こんなに高い意識をもってストイックに取り組んでいる子たちもいるんだ、ということを思い知らされました。感動したといってもいいくらいです。メンバーが「アーティスト寄りのアイドルをめざしている」と語っているのも個人的にはポイントが高かったです。やはり可愛いだけのアイドルでは面白くないですからね。キャンディーズだってシングルA面曲だけを集めたベスト盤1枚聴けば済むようなグループだったら、僕は解散後もずっと聴き続ける、なんてことはなかったと思います。せいぜい、たまに聴いて懐かしむ程度で、少なくとも自分のホームページで彼女たちについてこんなに書き連ねたりはしなかったでしょう。キャンディーズにはテレビで歌っていたアイドルソングとは趣の異なるアーティスティックな楽曲がたくさんあったから、今でもしみじみと、いいなぁ、と思いながら聴けるのです。


 
さて、こうしてドロシーリトルハッピーという聞いたこともなかったアイドルグループに興味を惹かれたわけですが、今の時代はこういう時、とても便利で、いきなりCDを買うという冒険をしなくても、インターネットの動画サイトでいくらでもチェックできます。最初に聴いてみた曲が何だったか、思い出せませんが、とにかくすんなり聴けたことは確かです。今のアイドルの歌に対しては数秒聴いただけで拒絶反応を起こすことも少なくないのですが、ドロシーについては、それはありませんでした。最初からものすごく気に入ったというほどではなかったとしても、ドロシーというグループそのものに対しては最初から好印象だったので、思い切ってCDを購入し、その世界にどんどん引き込まれていったわけです。
 1970年代以降の歴代アイドルよりも現役アイドルの方が人数が多いのではないか、と思うぐらい無数のアイドルグループがひしめく中で、ドロシーとの出会いは偶然ではありましたが、そのドロシーにハマってしまったのは僕としてはある程度必然の結果だったと思っています。ほかのアイドルとは何かが違うドロシーだったからこそハマったのです。



(あのアングラ雑誌『MARQUEE MOON』が30年後にこんなアイドル雑誌に変貌するとは…)

 
ちなみに、僕がドロシーに出会ったのは2013年夏のことで、彼女たちをデビューの時から応援しているファンの方々からすれば、まったくの新参者ですが、2013年のドロシーは彼女たちがいう「第3章」に入っており、僕としては出会うのがこの段階でよかったと思っています。彼女たちは2010年のデビュー当初、シンガーソングライター坂本サトル(1967年生まれ)のプロデュースのもと彼がドロシーのために作詞作曲した作品を歌っていました。この時期が第1章にあたります。つづく第2章は坂本氏のもとを離れ、自分たちの表現の可能性の幅を広げるためにアイドルっぽい曲に取り組んだ2012年夏頃まで。そして、第3章は2012年秋以降の本当に自分たちがやりたかったことをやり始めた時期にあたります。
 もし最初に出会ったのが第2章のドロシーだったら、この時期の曲も悪くはないのですが、アイドルというのはやっぱりこんな感じかぁ、というぐらいで、恐らくハマることはなかっただろうと思います。もっと早い第1章のドロシーなら気に入ったと思いますが、やはりその後の第2章でちょっと違う方向へ行こうとしているのではないか、と不安になったでしょう。実際、第2章についてはファンの間でも賛否両論で、いかにもアイドルらしい楽曲が新しいファンの獲得に繋がった反面、離れていったファンもいたようです(でも、たぶんすぐ戻ってきたのではないか、と想像していますが…)。なので、僕としてはドロシーに出会ったのがアイドルからよりアーティスティックな方向へ舵を切った第3章の時期でよかった、と思うわけです。

 まぁ、こんな風にだらだらと書き連ねるより、動画を見ていただいた方がいいですね。といっても、第一印象は重要ですから、ここで何を選ぶかが問題ですが、とりあえず、これ。
 2013年12月22日、国立代々木競技場第一体育館での「永遠になれ」です。Jポップの大物アーティストが多数出演したイヴェントで、ドロシーも合間にちょっとだけ出演して2曲を披露。なので、客席に彼女たちのことを知る人がほとんどおらず、おそらく大半はアイドルという存在に特別な興味がない、という状況です。いま、うっかりこのページを読んでしまったあなたも会場にいるつもりで、ステージに全然知らない女の子たちが現れた、そんな場面を想像しつつご覧下さい。現代のアイドルのライヴというと、歌は口パクということも珍しくありませんが、ドロシーはいつも生歌です。ただ、普段のライヴとはまるで違う雰囲気のせいでかなり緊張気味に見えるのと、メンバーの1人が喉を痛めてほとんど歌えず、彼女のパートは他のメンバーがカバーしたため、フォーメーションもいつもと違うなど、決してベストパフォーマンスとはいえないのですが、にもかかわらず、これは彼女たちの魅力の本質がよく伝わる映像であると感じます。ドロシーはライヴハウスよりこういう雰囲気のステージのほうが似合うと個人的には思っています。この曲は冬のラブソングですが、震災を経験した仙台が舞台であることを思うと、この歌詞が秘めているものは深く、そして重いです(この最初の動画については今後気分によって差し替える可能性もあります)

  「永遠になれ」(2013.12.22)

 そして、がらりと雰囲気が変わって、熱狂的に盛り上がっている「恋は走りだした」。シングル曲でもないのに2014年のアイドル楽曲大賞で楽曲部門第1位に選ばれた曲です。個人的にはもっと好きな曲がたくさんあるのですが、彼女たちのライヴの雰囲気も分かる映像です。同時にこの5人のうち3人が抜けてしまったことがどれだけ深刻な事態であるかも想像できると思います。

  恋は走りだした(2014.9.6)

 さらに2人になったドロシーの曲も紹介しておきます。2人になって最初のシングル「Restart」。曲の最後の部分に、これから勢いをつけて走っていくぞ、という意思が明確に表れていて、この映像も含めて、僕はすごく気に入っています。


  Restart(MV)


では、ドロシーの歴史を簡単に振り返ってみましょう。

 宮城県仙台市を拠点とするガールズユニット、ドロシーリトルハッピーの歴史はテレビの画面を通じたひとつの出会いが始まりでした。
 仙台で暮らすひとりの小学生の女の子がたまたまテレビのローカル番組をみて、画面の向こうにいた同じ小学生の少女に目を留め、彼女のファンになります。テレビの中にいたのは白戸佳奈(1994.1.30生)、彼女を自宅のテレビでみていたのは高橋麻里(1994.12.15生)。のちにドロシーのリーダーとなるKANAとメインヴォーカリストになるMARIの最初の出会いです。そして、彼女たちこそが現在もドロシーとしての活動を続けるふたり、ということになります。今となっては、この佳奈と麻里の物語こそがドロシーの物語の軸だったといってもいいのかな、と思います。

 佳奈に憧れた麻里は彼女が所属する仙台市の芸能事務所ステップワンのオーディションを受けます。提出した書類の応募理由にも「佳奈ちゃんみたいになりたい」と書いたというほど、それが強い動機となったようで、テレビを通じたこの出会いがなければ、麻里がステップワンに入ることもなく、いまの形のドロシーは存在しなかったかもしれません。
 まもなく、同じ事務所の先輩後輩として実際に出会った佳奈と麻里の2人の小学生は事務所のスクールで歌やダンスや表現について基礎から学びながら、キッズタレントとして一緒にユニットを組むことになり、仙台を中心とした商業施設やイベント会場などでステージに立つようになります。

 歌やダンスのレッスンとさまざまなユニットでのステージ経験を積み重ねていった彼女たちに新しいユニット結成の話が持ち上がったのは2010年のことです。
 ステップワンに所属する少女たちの中から選抜された5人の中に白戸佳奈高橋麻里もいたのです。この時、佳奈は高校2年生、麻里は高校1年生になっていました。ほかのメンバーはいずれも中学2年生の富永美杜(MIMORI、1996.6.14生)、秋元瑠海(RUUNA、1996.9.9生)、鈴木美知代(MICHIYO、1997.1.12生)の3人です。

 2010年7月7日、この5人によって新ユニット、ドロシーリトルハッピーが誕生します。それまで彼女たちが属していたB♭などのユニットは主としてロック調の曲や洋楽カバーをやっており、メンバーはアイドルという自覚はまったくなかったといい、また、彼女たちはこの世界に入った当初からアイドルになりたかったわけでもなかったようです。実際、KANA「ドロシー結成当時も、アイドルって呼ばれるとは全然思っていなかった」と語っています(『MARQUEE』Vol.94)。

 8月4日、シングル「ジャンプ!」でインディーズからCDデビュー。
 AKB48の成功以来、アイドルという存在は、ただ歌って踊るだけでなく、CD販売とセットになった握手会、撮影会といったファンとの直接的な交流が重視されるようになり、このCDにも「握手券」が付いていました。「全員が人見知り」というドロシーのメンバーも最初は戸惑いがあったようです。この頃には世の中でCDの売り上げが急速に落ち込んでおり、その中で唯一売れるのがアイドルのCDだったことから、CDデビューにあたって営業戦略上、アイドルという活動形態が選ばれたということなのでしょう。メンバーはこうした活動にようやく慣れた時点で、次のように語っています。

 「でも、握手会って大切なことだと思うんです。ファンの方の意見も聞けたり、目を見てお話しできるっていうのは、やっぱりすごい素敵なことだと思うので。私もやっていて楽しいし、それでファンの方も元気を出していただけるなら。でもやっぱりドロシーは、まずアーティストとしてやっていきたいなって思ってます」(MIMORI)

 「握手会や撮影会はとても好きです。でも私が今一番思うのはアイドルがたくさんいる中で、ライヴより握手会や撮影会を大切にしている方もいらっしゃるじゃないですか? でも私達が何よりも一番大事に考えているのはライヴなんです。私達を一番表現できるのは。なので、ライヴを大切にしながらもファンの方と関われる時間?握手会だったり撮影会を大切にしていきたいなって。どちらも私達の強みにしたいです」(MARI)
 
 (『MARQUEE』Vol.95)

 一方、音楽面においては、学生時代を仙台で過ごし、ロックバンドJIGGER’S SUNでデビューして、1999年からソロに転じたシンガーソングライター坂本サトルがプロデューサーに起用され、作詞・作曲も担当しています。その結果、ドロシーは音楽的にあまりアイドルらしくない独自路線を歩むようになります。
 もちろん、メンバーは当時中高生だったので、ヴォーカルには少女らしい可愛らしさやあどけなさが残るものの、バンドサウンドを感じさせる楽曲がアイドル好きではない一般の音楽ファンでも普通に聴ける、と評されるのは坂本氏の功績が大きいのでしょう。
 坂本氏は当時のことを次のように回想しています。

 「初めて彼女たちと出会ったのは2010年の4月。
 中学生と高校生だった5人の女の子達との関係は、年齢的なこともあって我ながら親と子のようだった。
 こちらが何かを提案したり指示する度に『はい!はい!』と元気に応えてくれる様子は確かに微笑ましかったけれども、僕が判断を誤ればこの子たちの人生をも狂わせてしまう、と恐ろしくもあった。
 これは大袈裟な話ではなくて、最初に出会ったプロデューサーという名の人間がその後の音楽人生(芸能人生)に良くも悪くも大きな影響を与えてしまうことを僕は経験上、よく知っている。
 できることならそれが良い影響であって欲しい。
 似たような編成のアイドル的なグループが乱立し始めていた当時、その中で唯一無二の存在にするためにはどうすればいいのか?
 プロデューサーなどという怪しげな肩書きに困惑しつつ、僕はそれまでの知識と経験と人脈を惜しみなく使おうと決めたのだった」

 (坂本サトルオフィシャルブログ「日々の営み」2013.4.9)

 数えきれないぐらいのアイドルが存在するなかで、いかに他のアイドルと差別化し、個性を打ち出すか。ドロシーはそこで奇をてらうのではなく、1曲1曲のもつ世界観をいかに歌とダンスで表現し伝えるかを重視するという、これ以上ないほどの正攻法を選びます。
 また、CDデビューにあたって、誰の発案なのか、MARIに作詞をさせるという、いきなりの冒険も行っています。結果的には不採用になりましたが、メンバーも創作に積極的に関与するというドロシーの路線はここが起点になったと言えそうです。

 「一番最初に坂本サトルさんに会ってなかったら、多分普通のアイドルになっていたと私は思うんですよ。最初に歌の表現のこととか本当に難しい曲を与えられて、それを一生懸命表現しようという思いがあったから、だから今こういうドロシーがあってこういう考え方ができるんだなって思っているので。本当にサトルさんはDorothy Little Happyっていうものを創ってくれた内の1人なんじゃないかと思います」(KANA)
(『MARQUEE』Vol.94)

 今どきのアイドルの音楽というと、世間的な普遍性よりは、もっぱらアイドルとオタクの閉じた世界の内部での受けを狙った楽曲が少なくない中で、ドロシーの曲はより広い層に受け入れ可能なものであることは間違いありません。そのぶん、現代のアイドルソングに特徴的な「何でもアリ」的な奇想天外さは希薄で、東北の風土によるものなのか、ドロシーの5人に共通する真面目なキャラクターも含めていくらか古風なグループとはいえるのかもしれません。でも、今という時代においては、そこがかえって新鮮でもあり、また、歌とダンスによる表現をここまで突き詰めて追求するグループというのはやはり貴重な存在でしょう。

 ところで、初期のドロシーにおいては、MARIMICHIYOがメインヴォーカルで、ほかの3人はダンス中心というツートップ体制がとられていました。当然ながらドロシーのパフォーマンスにおいては歌と同じぐらいダンスの比重が大きく、従って、活動の中心はライヴということになります。いわゆるダンス&ヴォーカルユニットというと、ヒップホップ系のグループを想像しがちですが、ドロシーは結成と同時にヒップホップからジャズダンスに移行しています。

 「ヒップホップだと、大胆に踊れば結構ごまかせる部分があるんですけど、“ジャンプ!”みたいなダンスだと、細かい手の動きとか滑らかさが大切になってくるので、ほんとに足のつま先から頭の先まで神経を使うんです」(KANA)
(『MARQUEE』Vol.91)

  「ジャンプ!」(2010.7.19~デビュー直後のライヴ映像)

 この時点では活動の中心は地元宮城県とその周辺であり、お客が5人しかいないライヴというのも経験したといい、全国的にはまったく無名の、まさにローカルアイドルに過ぎませんでした。
 それでも2枚目のシングル「冬の桜~winter flower~」(2010.12.5発売)をレコーディングし、2010年11月にはドロシーの公式バックダンサーの中から当時中学2年生の早坂香美(KOUMI、1996.5.31生。上の映像でMCをやっている姿が確認できます)が加入しますが、その直後に同じ中2の鈴木美知代が学業専念を理由に芸能活動休止を発表し脱退。ツインヴォーカルの1人が抜けるという最初の危機を迎えます。

 「本当に急だったんですよ。メインヴォーカル2人のうち1人いなくなるのは本当に大きいことだし、ドロシーでまだ半年もやってないのにどうしようっていう感じでした。でもちょうど、みちよちゃんが抜ける前からこうみちゃんがメンバーに入るかもっていう話があって。だからみっちが抜けたからこうみちゃんが入ったわけじゃないんです」
 「本当にあの時はすごく悩んだんですよ。辞めたのも自分がリーダーとしてちゃんと出来てなかったからじゃないかなっていう風にも思ったし、止められなかったことも私が駄目だったからかなって。でも今までデビューを目指して頑張ってきたからここで終わりたくない気持ちが大きかったし、それはメンバーも一緒。1人いなくなったから駄目だっていう風には言われたくないって、すごく思っていたので本当にここから頑張ろうって」(KANA)

(『MARQUEE』Vol.94)

 デビュー曲「ジャンプ!」のカップリング曲「見ていてエンジェル」MARIMICHIYOのデュオで歌われる美しいバラードですが、この曲などを聴くと、MICHIYOの脱退でドロシーは貴重な歌声を失ったと感じます。それでもMARIの声を失うよりは痛手は少なかったともいえます。グループはMARIのワントップ体制で活動を続行。もちろん、ほかのメンバーも歌いますが、基本的にソロパートはMARIに限られ、「見ていてエンジェル」もMARIの完全なソロ曲となります。他のメンバーはダンスで曲を表現し、トータルでドロシーの世界を創り上げていくのです。
 ただ、その後はほかの4人の歌唱力も着実に向上し、それぞれにソロパートを担うようになり、全員が歌えるドロシーに進化していったことは先に書いておきます。

 さて、2011年に入り、1月10日のライブでのちにドロシーの代表曲となる「デモサヨナラ」(作詞・作曲:坂本サトル)が初披露されます。
アイドルとしてのドロシーを象徴する曲で、キャンディーズでいえば「年下の男の子」に相当するといえるでしょうか。「好きよ♪」と歌うドロシーに対して「オレも~」とファンが応えるというアイドルの歌唱とファンのコールの最も幸福な関係を見ることができます。この「好きよ~/オレも~」のコール&レスポンスはアイドルファンの間では非常に有名で、今やほかのアイドルたちも羨むほどのキラーチューンとなっています。

  
デモサヨナラ(2014.4.27)  デモサヨナラ(2015Ver.)

 「これを歌っている時にサトルさんから『好きよって歌ったら、お客さんも好きよって歌ってくれると思うよ』って言われたんです。だから音源にも『好きよ』の後にエコーで『好きよ』って入っているんですけど、それが初披露の時から『オレも』になっていて(笑)、『あ、この曲はファンの人達と意思を通じ合える曲になるんだな』ってその時思いました」(MIMORI)
 「卒業ソングで個人的にはこういう曲が欲しかったから『素敵な曲だな、しっとりと聴いてもらえるのかな』って思っていたら、今では盛り上がる凄い曲になってしまって。曲ってどうなるかわからないですよね(笑)」(RUUNA)

(MARQUEE Vol.108)

 アイドルとして最強の武器を手に入れたドロシーのもとに大きなニュースが届きます。大手のエイベックスからメジャーデビューが決まったのです。CDが売れなくなる中で各レコード会社はアイドルにほとんど唯一の活路を見出そうとしており、新たなアイドルを自前で育成するよりは、すでにそれぞれの地元で実績を積み、固定的なファン層を持っていたローカルアイドルを全国デビューさせるのが早道との判断があったのでしょう。地方発のアイドルグループが続々とメジャーデビューする流れにドロシーも乗ったのです。
 引き続き、坂本サトルのプロデュースで、ミニアルバム『デモサヨナラ』のレコーディングやPV撮影が行われ、デビューは2011年3月16日と決まりました。デビューに合わせて多くのライブやイベントの予定が組まれ、地元のローカルテレビでもご当地アイドルが全国デビューと大きく取り上げられました(放送は3月10日か?)。

 そして、3月11日。東日本大震災が発生。彼女たちの地元仙台は激しい揺れと津波に襲われます。幸いメンバーは無事でしたが、デビュー関連イベントはすべてキャンセルとなり、ドロシーは活動休止を余儀なくされます。せっかくのデビューCDも発売日に店頭に並ぶことはありませんでした。そもそも自分たち自身が被災者となり、お互いに会うこともできず、失われた日常を取り戻すことに精一杯だった彼女たちは3月16日という日をどんな気持ちで迎えたのでしょう。

 「16日は知らない間に過ぎていました。待ちに待ったメジャーデビュー。この日のためにメンバー5人、そしてスタッフさん、一緒になって頑張ってきたのに、何もできない自分がとにかく悔しかった」(KANA)
 「あの時はドロシーのことが頭から離れませんでした。自分も大変だけど、みんなのことが気になって仕方がありませんでした。この震災を通して、改めてライブができること、ファンの皆さん、メンバー、スタッフさんがいることの大切さを感じました。震災を乗り越えたからこそ今の私たちがいると思います。私たちドロシーリトルハッピーは、どんなことがあっても、絶対に負けない自信があります」(RUUNA)

(ドロシーリトルハッピー『杜の都のドロシー』、廣済堂出版)


 メンバー全員がようやく集まれたのは震災発生から3週間後だったといいます。「よかったぁ」と泣きながら抱き合ったというドロシーの5人の結束はこの時、不動のものになりました。いまはメンバーの追加と卒業(脱退)を繰り返しながら存続するアイドルグループも少なくないですが、ドロシーの場合はメンバーの個性はバラバラなのに、この5人以外の組み合わせは考えられないと思わせるぐらい、お互いに仲がよく、結束も強いのが特徴です。本人たちもこの5人が集まったことに運命的なものを感じているようです。4人が絶大な信頼を寄せる最年長の“ダーリー”ことKANAがいて、いつも笑いの中心であるMARIがいて、RUUNAMIMORIKOUMIという同い年の年下3人組がいるというメンバー構成も絶妙だったのだと思います(ちなみに血液型はKANAだけがA型で、あとは全員O型というのも妙に納得してしまいます)。
 その後、まさかグループが分裂してしまうとは夢にも思いませんでしたし、それは彼女たち自身も同じだろうと思うのですが、それが現実のものとなった今でも彼女たちは最強の5人組だったと僕は思っています。KANA MARIだけになったドロシーが新たなメンバーを加えて活動を継続するという選択肢もありそうに思えますが、5人が小中学生の時からレッスンとライヴの経験を積み上げて培ってきたものの大きさを思うと、人数だけ揃えれば済むという話ではないのでしょう。とりあえず、話を2011年に戻します。



(L→R:早坂香美、高橋麻里、秋元瑠海、富永美杜、白戸佳奈)

 さて、この震災を経て、ドロシーにとって重要な曲が生まれます。「Life goes on」。坂本サトルがドロシーのために書いたこの曲はポップな装いの中に震災によって彼女たちが味わった悔しさや悲しみ、不安などさまざまな感情が織り込まれています。しかし、彼女たちはこの曲を力強くこう締めくくります。

 悲しみの果てに生まれたもの 新しい毎日 
 消えてしまった星の分まで 
 私たちは生きていく 私たちは歩いてく 
 私たちが明日になる
 Life goes on!


 震災後のドロシーはこの歌詞の言葉をまさに有言実行で走りだします。
 まず、4月末からライブ活動を再開しますが、自粛ムードの強い仙台で、はじめはどんな表情でやったらいいのか、笑顔でやっていいのかどうかも分からなかったといいます。
 それでもアイドルである自分たちの役割は被災者を元気づけることだという自覚のもと、復興支援のイベントなどに出演していきます。ただし、メジャーデビューはしたものの、相変わらず全国的にはまったく無名のままでした。
 この状況が劇的に変化したのは夏のTOKYO IDOL FESTIVAL(TIF)2011(2011.8.27‐28)への出演がきっかけです。東京で2010年から始まった全国の有名無名のアイドルが集うこの大イベントにドロシーも初参加し、そのステージパフォーマンスのレベルの高さと「デモサヨナラ」における地元から駆けつけたファンとの「好きよ~/オレも~」のコール&レスポンスが評判となり、ドロシーはまさに全国のアイドルファンに「発見」されたのです。
 そして、これ以降、東京など地元以外でのライヴの回数も観客動員も増えていきます。

2012年、ドロシーの物語は第2章に移ります。大震災を経験して、2012年は「皆さんに元気と笑顔を届けたい」という思いから、楽しくポップな曲を取り上げるようになったのです。

 1月11日にはメジャー第1弾シングル「HAPPY DAYS!」を発売。

 7月11日には第2弾シングル「飛び出せ!サマータイム」を発売。
 この2曲はいずれもももクロなどに楽曲を提供したツキダタダシの作品で、ドロシーの第2章に坂本サトルは関与していません。
 このいわゆる「第2章」」の楽曲については、ファンの間から「ドロシーらしくない」という声も多くあがったといい、戸惑ったメンバーが「ドロシーらしさ」とは何なのか、自分たちの方向性や見せ方に悩んだ試行錯誤の時期だったといえます。

 結局、「飛び出せ!サマータイム」発売を前にしたイベントでリーダーKANAがこの曲をもって第2章は完結し、ドロシーが新たな段階に進むことを表明します。
 そして、その「飛び出せ~」発売当日の仙台でのイベントでは思わぬ事態が発生。MARIが体調不良で欠席となり、急遽、メインヴォーカル不在のまま、4人で乗り切らねばならなくなったのです。

 「(当日朝の)ラジオ出演前に集合した時に『まりちゃんがちょっと無理な状況だから4人で演る』って言われて、もう頭の中が真っ白になって。メインヴォーカルがいないってありえないじゃないですか。初めての事だったから、もうどうしていいか分かんなくて、まりちゃんをどうカバーしていくか、ラジオ終わってリハやってすぐライヴだったので、急いでまりちゃんの歌パートを4人で振り分けて…。でも立ち位置は、ドロシーは5人なんだって感じてもらいたいから、まりちゃんのセンターがぽつんと空いたままの状態でやりました」(KANA)

 この日のライヴでは、MCのうまさに定評のあるKANAが泣いてしまい、ほとんど話ができなかったとか。

 「このキャンペーンを頑張ってやってきたのに、重要なリリースイベントを5人でできなかったっていうすごい悔しい気持ちと、ステージをやってみて、やっぱりメインのまりちゃんがいないだけで4人はこんなにできないんだなっていう思いと、その二つで涙が止まらなくて」
(『MARQUEE』Vol.93)

 MARIの復帰まで1週間、4人での活動が続きます。この間に大きなライヴがなかったのは幸いでした。ちなみにこの時のメイン曲「飛び出せ!サマータイム」、そして人気曲「デモサヨナラ」でのMARIのソロパートはRUUNAが歌ったそうです。今から思えば、この抜擢は適任と思えます。RUUNAのヴォーカルは高く澄んだ声が特徴のMARIとは対照的で、少しハスキーで低めの声が持ち味です。彼女がセンターの「デモサヨナラ」はすごく聴いてみたい気がします。

 とにかく、この一件があって、MARIだけに頼らない、全員が歌えるドロシーをめざすことになります。それはレパートリーが増えて、より長時間のライヴを行うためにも必要なことでした。日々のレッスンで歌唱力向上をはかると同時に、新しい楽曲ではMARI以外のメンバーのソロパートも欲しいという要望を出し、実現させています。
 アイドルといえば、一般的には与えられた曲を言われるままに歌って踊るという操り人形的なイメージがありますが、ドロシーの場合は曲の最終的な表現者として自分たちが納得できる作品にしたいという思いが非常に強く、実際に歌詞やサウンドについていろいろな要望を出したり、意見を言うことを許されているというのが大きな特徴です。
 また、シングルの表題曲の選定、アルバムの曲順、日々のライヴのセットリストなどについても、メンバーにかなりの程度の裁量権が与えられています。もちろん、メンバー間で意見が分かれることもありますが、その場合は全員が納得するまで話し合うといいます。

 「表現するのは自分達なので、やっぱり意見は通らなくても通ってもちゃんと言うようにしてます」(MARI)
 (『MARQUEE』Vol.94)

 また、特筆すべきこととして、メンバーが作詞に挑戦するようにもなりました。すでに第2章の時期に「never stop again!!」でドロシーメンバーが作詞をし、作曲者の和田耕平が協力する形で作品になり、また「飛び出せ!サマータイム」のカップリング曲「Over There」でもメンバーの気持ちを代表してKANAが詞を書き、同じく和田の助力を得て完成させています。
 そして、メンバーだけで作詞をしたスローバラード「流れゆく日々」(作曲:小沢正澄)が生まれます。これは全員で話し合ってテーマやストーリーを考え、それぞれに詞を考え、KANAがいったんまとめて形にし、さらに全員で話し合い、手直しを重ねて2か月がかりで完成に漕ぎつけたそうです。その後もメンバーはそれぞれに詞を書き続けているようで、またピアノが弾けるMIMORIは作曲への意欲も口にしており、いつの日か、メンバー作詞作曲のドロシー楽曲が披露される日がくることも期待していましたが、それはドロシーから分離独立した新ユニットcallmeで実現することになります。

 さて、ドロシー第3章の幕開けを告げるメジャー第3弾シングル「風よはやく」(作詞:七菜、作曲:小沢正澄)は2012年12月5日に発売されました。
 ドロシーのメンバーが仙台から遠征を繰り返す中で気づいた大切な人との絆を遠距離恋愛に置き換えたラヴソングであるこの曲はカップリングの「永遠になれ」(作詞・作曲:和田耕平)とともに透明感のあるしっとりとしたサウンドで、美しいMVの秀逸さも含め、第3章のドロシーの方向性を強く印象づける作品です。

 「ドロシーとしての目標は、多くのアイドルさんがいる時代なので、他とかぶらないような楽曲をつくりあげていくことです。『ドロシーのオリジナルサウンド』『ドロシーにしかつくれない、ドロシーにしか似合わない』、それが理想です」(KOUMI)
 (『杜の都のドロシー』)

 今回、この記事を書くためにドロシーのメンバーの発言をいろいろ集めていて、一番グッときたのはこの言葉です。かつてキャンディーズも彼女たちにしかできない「キャンディーズ・サウンド」を追求していたわけですが、それと全く同じです。応援したくなるというものです。

 そして、ドロシーの次の挑戦は清純派の彼女たちとは対極イメージの破天荒な活動で知られる異端派アイドル、BiSとの意表をついたコラボレーションで、2013年1月9日にBiSとDorothy Little Happy名義のシングル「GET YOU」を発売します。BiS側から持ちかけた企画で、ジャケット写真のビジュアルもまさに天使と悪魔ですが、1人の男の子を2人の女の子が取り合うというテーマに基づいて両メンバーが共作した歌詞の内容に合わせて、双方のメンバーがビンタしあうという強烈なMVが制作され、話題になりました。撮影時にはとにかく本気で叩け、と指示されたそうです。つまり本気で叩かれてもいるわけですが…。

  BiSとDorothy Little Happy/GET YOU(MV)

 「最初はメンバーみんな『本当にやるの?』『私たちビンタとかやるキャラじゃないし、やられるキャラでもないし』っていう思いがあったんです。でも、まりちゃんのパートを見てもらえば一番分かりやすいと思うんですけど、まりちゃんは成りきって真顔でビンタしてますよね。ドロシーは正統派だからそういう事は控えめにじゃなくて、やりきることが大事だと思うんです。これはBiSさんとのコラボ企画だからアリな事なんです。衝撃的なMVにすることで、お互いにメリットはあると判断してやりました」(KANA)
(『MARQUEE』Vol.95)

 このシングルはBiS盤とドロシー盤の2タイプが発売され、両者が相手の代表曲をカバーしあったことも話題の一つです。BiSは「デモサヨナラ」を、そして、ドロシーは「nerve」をカバーし、今でもライヴで盛り上がる重要なレパートリーになっています。
 そして、この「nerve」のアレンジとプロデュースに起用されたのが坂本サトル。1年ぶりの復帰で、さらにドロシー初の失恋ソング「壊れちゃう 崩れちゃう」も提供しています。この曲では、いつもはいかにもアイドルっぽい可愛い声で歌うことの多いMARIがまったく違う歌唱法を見せており、ロック色の強いサウンドとも相まって非常にカッコイイ作品になっています。

 そして、ここからメインライターの1人としてドロシーと坂本氏の関係が復活します。

 「以前はサトルさんの言う事を、そのままやってたんですよ。でもこの間の時は、私達ドロシーの意見も言わせてもらって、そこで食い違いもあったんです。でも後からスタッフさんに聞いたんですけど、レコーディングが終わってからサトルさんとディレクターさんが話してて、『ドロシーからこういう意見を言ってくれてすごい嬉しかった』ってサトルさんが言ってたよ、って聞いて嬉しかったです」(KANA)
(『MARQUEE』Vol.95)

 一方、坂本氏からみたドロシー。2013年春のツアーを見た直後のブログより。

 「途中、しばらく制作からはずれていた時期があったこともあって、今は以前よりも客観的に彼女たちを見れるようになった。
 関係ももはや親子という感じはなく、同じ職場の先輩と後輩、という感じ。
 今度の新曲のレコーディングの時にも、歌詞や歌い回しに積極的に意見やアイディアを出してきて、正直驚いてしまった。もっと驚いたのはそれがちゃんと的を射ていたことだ。
 そして今回のツアーファイナルでの圧巻のパフォーマンス。
 『プロフェッショナルになった』というのが率直な感想。
 『私達はここまで来たんだからもっとすごい曲を書いて』という宿題をもらった気もした。
 了解!気合い入った!」

 (坂本サトルオフィシャルブログ「日々の営み」2013.4.9)

2013年2月20日、1stフルアルバム『Life goes on』リリース。震災以降に生まれた曲を集めた集大成的作品集で、メジャーデビューと震災が重なる不運から立ち直り、全力で走ってきたドロシーの前を向いて進んでいこうという力強いメッセージ、そして彼女たちを見守り、支えてくれた人たちやファンへの感謝の気持ちが込められた充実作です。

  Date fm「坂本サトル~うたのちから~」Dorothy Little Happyニューアルバム発売(2013.2.19放送)

 このアルバムでは初回限定盤に「飛び出せ!サマータイム」「風よはやく」「Life goes on」の3曲のMVを収録したDVDが付いており、これは必見といえます。アイドル色全開の「飛び出せ!サマータイム」MIMORIを主役にして、透明感のあるドロシーの世界をイメージ映像風に描いた「風よはやく」に続いて始まる、360度カメラを駆使した「Life goes on」は予想外にポップで賑やかな映像で、前を向いて生きていこうという彼女たちの姿勢が伝わってきます。また、この映像を初めて目にした時、KANAのしなやかに動く手の表情の豊かさに釘付けになったものです。細やかに神経が行き届いた指先のさらに先の空間まで踊らせると評される彼女のダンスの表現力は本当に素晴らしいと思いました。

 2013年春の特記事項として、初の海外遠征があります。5月17~19日に香港で開催された「Kawaii POP Fest」に出演したのです。YouTubeなどインターネットの動画投稿サイトの普及によって、日本のアイドル文化は世界に広がり、ドロシーのような国内でも一般的知名度が高いとはいえないグループにも、ちゃんと海外にファンがいるわけです。その後、2014年1月には台湾でもライブを行っていますが、台湾に到着した彼女たちを現地のファンが空港で出迎えるというシーンをネット動画で見ました。この時も台湾だけでなく、韓国、香港、シンガポールなどからファンが来ていたといいますし、こうした海外のファンがドロシーを観に仙台にやってくるということも珍しくないようです。

 さて、2013年6月12日に発売されたシングル「colorful life」(作詞・作曲:和田耕平)で、ドロシーは新たな冒険に出ます。不動のメインヴォーカリストであるMARIとリーダーKANAの年長組をあえてバックに回し、MIMORI、RUUNA、KOUMIの高2トリオにメインで歌わせたのです。イントロから初夏の青空をイメージさせるさわやかなギターポップに3人のフレッシュな歌声がマッチして、この試みは成功したといえます。また、このシングルではカップリングで坂本サトルの「どこか連れていって」とともに今回初めて参画したシンガーソングライター磯貝サイモン「set yourself free」を収録しています(通常盤のみ)。そして、これ以降、磯貝氏もドロシーにとって重要な作品を提供していくことになります。
 ちなみに僕がドロシーを知ったのは、このシングルの発売後のことで、最初に「colorful life」を聴いた時、いわゆるアイドルソングのイメージとは全然違っていて、これなら普通に聴けるなぁ、と安心して彼女たちの世界に入っていけました。そして抜け出せなくなったわけです(笑)。


  「colorful life(MV)」

 
また、このシングルはオリコンの週間チャートで初めてトップ10入りを果たします(8位)。キャンディーズの大ブレイクにつながった「年下の男の子」がオリコンの最高順位では9位に過ぎなかったように、かつてはトップ10といえば子どもからお年寄りまで誰もが知っているヒット曲がズラリと並んだものですが、現在では1位の曲でもほとんどの人が全く知らないというのが普通です。もはやこの手のランキングはすっかり形骸化して、社会的意味を失っているのは明らかですが、芸能界とその周辺ではそれなりの権威をもっているようで、一度でもトップ10入りを果たしたという実績はタイアップの獲得など営業上の説得材料としても有効なのでしょう。
 また、音楽業界全体としてCDの売り上げが激減している中でアーティストのリストラ(淘汰)も進められている厳しい現実を考えれば、とにかくどんな形であれ「売れている」という実績を残し続けることはグループの存続に直接関わってくることでもあります。いわゆる「AKB商法」という言葉に代表される、1人に同じCDを何枚も買わせる手口については当然、批判があり、ファンは買わされ、搾取されているという面も確かにあるのでしょうが、一方で、ファンがアイドルを応援するために積極的に買っているという面もあります。そして、大量購入したCDを友人知人に配ったり、あるいはイベントで他のアイドルのファンに配ったり、お互いに交換したりという形で地道なPR活動にいそしむ人もいるようです。
 恐らく、こうした商法の原点はキャンディーズのラストシングル「微笑がえし」をオリコン1位にするため、草の根型ファンクラブの全国キャンディーズ連盟(全キャン連)がファンに呼びかけて、1人が複数枚、時に大量のレコードを購入した結果、キャンディーズ史上最初で最後のオリコン1位を達成したという有名なエピソードにあるのでは、と僕はひそかに思っています。AKBの総合プロデューサー秋元康氏はまさにキャンディーズ世代ですし、こうしたファン心理(とその利用法)をよく知っているはずですから…。

 ちょっと話が逸れましたが、とにかく、ここから僕はドロシーの物語をリアルタイムで追いかけ始めたわけです。
 そして、10月16日に発売された次のシングル「ASIAN STONE」を聴いて、ドロシーが成長進化するグループであることを確信しました。
 この曲では1980年代末から90年代にかけてのガールポップ全盛期(=アイドル冬の時代)の代表的シンガー永井真理子が作詞を担当しています(作曲は彼女の夫であるギタリストのCOZZi氏)。作詞を依頼する時点で、ドロシーのメンバーが、また新たな一歩を踏み出したいという意味で「旅立ち」というようなテーマを決め、そのイメージをいくつかのキーワードとともに伝えており、一度出来上がった詞についてもニュアンスを変えてほしいところを手直ししてもらう、ということを何度か繰り返して完成させています。アイドルの中には与えられた歌詞を意味も分からずに歌っているグループも少なくありませんが、ドロシーのこういう姿勢が先輩アーティストからの信頼を得ることに繋がるのでしょう。そして、それは「気合が入った」という坂本サトルのように、ドロシーに関わるクリエイタ―たちを一層本気にさせる効果もあるのだろうと思います。

 「歌詞が今のドロシーの気持ちをそのまま歌ってる感じがして、正直ビックリしたんですよ。個人としての女の子の気持ちで共感できる曲は今まであったんですけど、ドロシーとしての今の感情や気持ちをそのまま歌ってる歌詞は初めてじゃないかなって思います」(KANA)
 「ただ頑張ろうねとか、そういう単純な曲じゃないです。上を目指しているからこその悩みとか不安な部分も表れてるので。自分に当てはまるから、それを歌に込めるのが難しいです。不安な気持ちと、でも先を見てみたいなっていう気持ちを半分にして、微妙に気持ちを表現したくて。ただ強く歌えばいいとかじゃなくて。そこが難しい」(MARI)

 (『MARQUEE』Vol.99)

 『ASIAN STONE』でオリコン週間7位を達成したドロシーはこの後、1か月間、ライヴ活動を休止し、アルバムのレコーディングとスキルアップに費やし、すべての曲の振り付けを見直して、2013年12月からまた走り出します。

 2014年を迎えて最初のライヴは1月3日、都内の商業施設の野外ステージでした。このライヴは僕も見ましたが、ドロシーのことを全然知らない通りすがりの人たちの中にも足をとめ、そのまま歌に聴き入り、ダンスに見入っている人が少なくありませんでした。子どもたちもたくさんいて、ドロシーのメンバーもそれが嬉しかったようです。寒い中で立ちっぱなしだった小さな子どもたちを最後まで釘付けにしたのはすごいことだと思います。このような無料のミニライヴ(この日はアンコールを含め8曲)でも決して手を抜かない彼女たちの全力パフォーマンスにはアイドルファンではない人たちを含めて多くの人を惹きつける力があるということなのでしょう。ただし、このライヴは会場の特性上、コールが禁止され、オタク度が低かったことも一般人を引き寄せる上で大きかったように思います。同じようなオープンスペースでのライヴでもファンのコール全開でオタク度が上がると、通りすがりの人はほとんど足をとめることなく、むしろ足早に歩き去ってしまうのが現実で、このあたりはドロシーに限らず、アイドル全般に共通する課題といえるのでしょう。とくにドロシーのような、アイドルファンではない人たちまで魅了できるポテンシャルを持つグループの場合、惜しいなぁ、と思ってしまいます。

 さて、1月末には台湾遠征もあり、2月26日には待望の2ndアルバム『STARTING OVER』をリリース。
 このアルバムでは坂本サトルがすごい曲を書いており、COZZi&永井真理子も素晴らしい曲を提供しています。タイトル曲を書いた磯貝サイモンも小沢正澄もいい仕事をしていて、それぞれに強い個性を持った曲が揃っているのに、寄せ集め感がまるでありません。それはドロシーのメンバーが何度も曲を並べ替えて聴きながら決めていったという曲順の並べ方が非常に巧く、そこにトータルなストーリー性が感じられるせいでしょう。アルバム全体でひとつの作品世界が構築されていて、しかも、それらの楽曲を5人それぞれの個性を発揮しつつ見事に表現しきったドロシーが本当に素晴らしいです。すんなりと気持ちよく聴けるアルバムでありながら、1曲1曲をじっくり聴くと、それぞれに簡単には聴き流せない、深い味わいがある。これは本当にポピュラーミュージックの傑作だと思います。



 このアルバムについてはブログでも取り上げたので、よろしければこちらもどうぞ。

 この『STARTING OVER』は年末のアイドル楽曲大賞2014のアルバム部門で第1位に選ばれ、楽曲部門でもアルバム収録曲でRUUNAがメインで歌った「恋は走りだした」が1位になっています。AKB48など有名アイドルがひしめく中での2冠ですから、相当な快挙ですが、意外とは思いません。しかし、この作品も彼女たちにとっては通過点に過ぎなかったようです。ドロシーリトルハッピーは個々のメンバーもグループ全体も更なる進化を続けていたのです。
 KANAが単独で作詞をするようになりましたし、ヴォーカル面においても5人それぞれの個性が確立し、ソロとユニゾンだけでなくコーラスワークにも力を入れるようになりました。ドロシーの歌姫MARIはますます表現の幅を広げ、また、ここぞという時のMIMORIの声の存在感が急激に高まってきたと感じます。さらにKOUMIは他のアイドルの振り付けを依頼されるまでになりました。
 ステージでは歌とダンスだけでなく、顔の表情も含めて、全員があたかも女優のように1曲1曲の世界観を見事に表現し、もはや可愛いだけのアイドルグループというレヴェルを超越しているのは明らかでしょう。ますます美しくて、エレガントなグループになった、という印象です。
 そんなドロシーの表現の世界は2014年12月24日に発売されたミニアルバム『circle of the world』に付された2014年9月6日のZepp DiverCity Tokyoにおけるライヴ映像(112分)で確認できます。彼女たちの単独ライヴとしては過去最大規模でありながら、派手な演出に頼ることなく、5人のパフォーマンスだけで客席を魅了する自信にあふれたステージ。彼女たちならではの上品さ、女の子らしさを失わないまま、汗を光らせて全力で歌って踊る姿に心を打たれます。
 次の映像はそのライヴのラストで披露された坂本サトルの作品で、「デモサヨナラ」の続編のような楽曲です。

 それは小さな空だった(2014.9.6)

 「この曲はリード・ヴォーカルが麻里ちゃんだけで、周りの4人がコーラスに徹するっていうことに挑戦させてもらったんです。〈高橋麻里の声〉が中心にあってこそのドロシーの歌だと思っていて、それを4人のコーラスが支えるっていう、この曲を歌ったことでさらに絆が深まったと思ってるので、大切な曲ですね」(RUUNA)
(『bounce』Vol.377)

 このまま行けば、全員が20代になる頃には本当にすごいグループになるだろうと僕は心の底から楽しみにしていました。しかし、その“全員が20代のドロシー”が10代トリオの一挙離脱によって前倒しで実現するなどとは想像もしませんでした。もっと言えば、全員が20代になる前の活動停止よりも僕には考えられないシナリオでした。そのまさかの事態になってしまったわけですが、あとから振り返れば、Zepp DiverCity Tokyoでのライヴを成功裏に終えた2014年9月頃からドロシーのメンバーの間に“5人の知らない風”が吹き始めていたのです。「それは小さな空だった」を歌ったことでさらに絆が深まったとRUUNAが語っているのは皮肉なことです。

 発端は今後の活動方針についてスタッフとメンバーに家族も交えた話し合いがもたれた場で、メンバー間の意見が割れたことでした。2015年3月に年下3人組が高校を卒業するのを機に活動拠点を東京に移すか(事務所移籍)、それとも仙台(ステップワン)に残るかという選択をめぐるもので、仙台残留の場合はインディーズに戻るという話であったようです。恐らく、エイベックスがステップワンに対して、グループを丸ごと引き取ることを持ちかけたのだろうと思いますが、その場では結論が出ず、意見の一致をみないまま、話は先送りされました。
 ドロシーは結束の強いグループではありましたが、意見の対立は過去にもあり、そのたびに全員が納得するまで話し合うことで解決してきたといいます。なので、この時も、たとえばKANAはこの問題がのちに分裂にまで発展するとは考えなかったといいます。恐らく、彼女はここまで自分たちを育ててくれたステップワンを出ていくことはありえないという立場だったのでしょう。
 しかし、一方でRUUNAはグループの行方に不安を感じたようです。彼女にとっては、せっかくここまで頑張ってきて、いまさらインディーズに戻るなどという選択肢こそありえないものだったでしょうし、そのような道を選ぼうとするメンバーがいること自体が信じられないことだったのかもしれません。彼女はのちに当時のことを次のように語っています。

 「去年(2014年)9月の時点で、ドロシー自体が今後avexでやっていくか、それともインディーズでやっていくかの選択を提案されたんです。『えっ』って思いました。ずっと信じてやってきたし、『5人でもっと上目指すんじゃないの?』って、今までやってきた何かが崩れちゃう感じがすごいあって。みんなの意見も、5人もいたらそれぞれなので合わなくなってしまって」
 「(RUUNA、MIMORI、KOUMIの)3人とも高校を卒業して『ドロシー一本で頑張っていくよ』という気持ちだったわけですよ。仙台に留まるのが悪いとかじゃなくて、もっと全国にも世界にもドロシーで行きたいって考えていたんです。2015年はデビュー5周年ということでその夢に近づく提案をレーベルからされていた矢先に、そういう話になっちゃって。どうにかしてドロシーでその夢を実現する方法はないかいろいろ考えたんですけど、考えても考えても袋小路になってしまって」

(『MARQUEE』Vol.112)

 その後もスタッフ側からはメンバー全員に対して「自分たちのやりたいように自分たちで決めなさい」と何度も話があったということですが、ステップワンとしては大きく成長したグループに対して、インディーズに戻ってでも地方の弱小事務所に「残ってくれ」と要請することもできず、かといって移籍を勧めることもできず、本人たちの意思に任せるほかなかったのでしょう。ここで周囲のオトナが適切なアドバイスをしていたら、と思わずにいられませんが、結局、この問題について、その後、メンバーが全員で話し合うことはありませんでした。

 その問題とはべつに(?)、RUUNA、MIMORI、KOUMIの3人による別ユニットcallme(こうみ、るうな、みもり、3人の頭文字からの命名)の構想が持ち上がっていました。作詞・作曲・振り付け・衣装デザインなどすべて自分たちで手掛けるセルフプロデュース型ユニットで、3人のアーティスト力向上をめざした高校卒業制作的な意味合いがあるとされていました。すでに2014年夏にMARIが、BiSを脱退してソロで活動していた寺嶋由芙と期間限定ユニット「ユフマリ」(振付はKOUMIが担当)として活動した実績もあり、それと似たようなものとみられていました。

 callmeの結成は2014年12月30日のライヴで発表され、2015年になって始動すると、2月1日に初ライヴ、3月4日にavex traxからメジャーデビューシングル「To Shine」を発売と一気に活動を本格化させます。カップリング曲も含め、すべての曲をMIMORIが作曲し、作詞もすべてメンバーによるものでした。その後もそれまで秘められていた創造力の爆発といっていいほどの勢いで自作の新曲が生み出され、レパートリーを増やしていくことになります。

  callme/To Shine(MV)

 KANAMARIcallmeの活動を歓迎していましたし、KANAはいずれMIMORIがドロシーの曲を書く日がくることを期待して「ワクワクしていた」と語っています(『IDOL AND READ』005)。 
 しかし、そうはなりませんでした。恐らく、エイベックス側はcallmeの活動が軌道に乗り、3人だけでもやっていける目途が立った時点で、3人をドロシーから卒業させる方針に転換したのだと思われます。エイベックスとcallmeの3人の間でどのようなやりとりがあったのかは不明ですが、とにかく水面下でドロシー分裂へ向かって事態は急激に進行し始めます。

 callmeの3人はどう考えていたのでしょう。
 『MARQUEE』Vol.108に3人のインタビューが掲載されていますが、RUUNAはあくまでもドロシーのメンバーであることを前提として、callmeの活動について語っています。
 「3人でやるからには、自分達が成長した成果をドロシーに持ち帰らなければ意味がないと思っているんです」
 一方で、彼女はこうも言います。
 「これはドロシーの世界とは違うんじゃないかという曲への挑戦も可能なのが魅力かなって思ってます。ドロシーとはまた別のグループとして認知されたいと思ってます」


 KOUMIは次のように語っています。
 「私も、ドロシーは独自の世界観を確立しているだけに、極端な刺激を外から受けるのは難しいと思ったんです、刺激を求めるんだったら一度外に出てみて、自分達の力を知る上でも出来るところまで行ってみる。callmeはそれを試すいい機会なんじゃないかと思ったんです」

 また、もともと趣味で作曲を続けていたMIMORIはこんな風に言います。
 「何よりも自分達で作ったものを聴いていただける喜びと達成感があります」
 「ドロシーの曲ってピアノでバラードにするとすごく良くなるんですよ。そうして以前からプライベートでピアノに合うようにメロディを変えたりしてるんですけど、これがほんとに楽しくて。だからcallmeの作曲も1日1日がただただ楽しかった。1日で2~3曲作ってた日もありました。もっと違う曲も書きたいし、もっともっとみんながビックリするようなメロディも作りたいです」


 このインタビューの中で3人は卒業を示唆するような発言はしていません。しかし、雑誌が世に出た時(2015.4.10)にはもう卒業は決まっていたのです。
 もちろん、3人がすんなりと卒業を決断したわけではありません。このインタビューを受けた時点でも彼女たちは口には出せない苦悩を抱えながら、心は相当に揺れ動いていたのでしょう。3人ともドロシーを愛していたし、最後の最後まで悩み、なんとか5人での活動を続けられないか、と模索し続けたことは間違いありません。しかし、5人全員でこの問題について話し合うという最も大切なことだけが抜け落ちていたのです。

 2015年3月31日、KANAMARIは突然、3人の卒業について聞かされます。そのような話が進んでいることを2人はまったく知らず、まさに寝耳に水の話だったようです。彼女たちにとって、恐らくは絶望のどん底に突き落とされるような衝撃だったのではないかと想像してしまいます。
 その日のことをKANAは次のように語っています。

 「電話で事務所から卒業の話を聞いたんですけど、すごいビックリしました。3月31日ってベスト盤のリリースイベントが仙台であったんですよ。その日、私とMARIちゃんは仙台にいて、3人は仕事で東京から入ってくることになっていたから、私たちは先に会場に入って『話聞いた?』『今日3人から話されるのかな?』って待っていたんです。でもその日は結局なにも言われずに終わってしまったから、あれは嘘だったのかな?なんて思ったりして。ホントにいつも通り3人が普通に話をしていたので『あれ?』って感じで、これっていったいなにが起きているんだろうって」
 こちらから聞かなかったのか、という問いに対しては。
 「ちょっと聞けなかったです。その後1週間、毎日リリースイベントがあるときだったから、そこでの雰囲気を壊したくないっていうのも正直ありました。でも、そのあとにやっぱりちゃんと一回話をしたかったので、事務所から3人に伝えてもらったんですけど、結局予定していた打ち合わせもなくなってしまって。私はそのことがすごいショックで、『ああ、3人はもう決めたんだな…』ってそのときに思ったんです。なのでそれ以降私たちから卒業について話すことはなかったです」(『IDOL AND READ』005)。
 
 結局、最後まで2人と3人の間でこのことについて話をすることはなかったようです。
 その点についてcallmeのリーダーであり、それ以前に脱退組のリーダー的立場にあったと思われるRUUNAは「話し合いは2014年9月にした」ということを言っているので、この最初の話し合いの時点で相当突っ込んだ議論がなされ、彼女の認識によれば修復不能と思えるほどの亀裂がメンバー間に生じてしまったということなのかもしれません。

 「正直なところ、昨年(2014年)9月以降、話し合いができる雰囲気ではなくなってしまったんです。大きな溝が出来てしまったというか。『もっと夢に向かって走りたい』と希望を言うこと自体、つまりそういう選択なんだという風になってしまって。なので、話しても変わらなかったと思います」
(『MARQUEE』Vol.112)

 それでも、どこかでもう一度きちんと話し合う機会さえあれば、分裂という悲劇は回避できたのではないか、と思いたくもなります。卒業を決めた3人にとっても、話し合えば決意は揺らぐでしょうし、3人の足並みが乱れることにもなりかねません。3人の背後にいるオトナたちもそれを恐れたのでしょう。

 RUUNA、MIMORI、KOUMIの3人が7月12日の中野サンプラザ公演を最後にグループを卒業するという正式な発表は4月28日に行われました。公式サイトでの発表と同時にライヴの現場でもファンに知らされました。ただし、この日のライヴは5人一緒のものではなく、KANAMARIは2人で仙台のステージに立っていて、卒業する3人はcallmeのライヴを東京で行っており、2か所に分かれての発表でした。
 まずは公式サイトでの発表とメンバーのコメントを見てみましょう。

 
平素よりDorothy Little Happyを応援いただき誠にありがとうございます。
 この度、メンバーの秋元瑠海、富永美杜、早坂香美がDorothy Little Happy Live Tour 2015 5th Anniversary 〜just move on 〜7月12日の中野サンプラザ公演をもってDorothy Little Happyを卒業することになりました。
 応援いただいているファンの皆様には大変残念なお知らせとなってしまい申し訳ございませんが、メンバーが考え抜いて出した結論としてご理解頂けますと幸いです。

 以下にメンバーのコメントを掲載させていただきます。
 現在発表になっているスケジュールに関しては現メンバーの5人で活動させていただきますが、今後Dorothy Little Happyは白戸佳奈、髙橋麻里で活動いたします。秋元瑠海、富永美杜、早坂香美はcallmeとして活動をしていきます。
 これからも前に進んで行くDorothy Little Happyの応援を宜しくお願いします。

 Dorothy Little Happyメンバーからのコメント

 今回の発表を受けて、とてもショックな気持ちとドロシーを応援してくれているみなさんには申し訳ない気持ちでいっぱいです。
 ドロシーリトルハッピーを卒業する3人はこれから別の道を歩んでいくことを選びましたが、
 5年間同じ目標に向かって頑張ってきた仲間として、これからも頑張ってほしいです。
 ドロシーリトルハッピーは2人になってしまいますが、私たちは今までやってきたことをこれからも変わらず続けていきたいと思いますので応援よろしくお願いします。


白戸佳奈


 ドロシーは今年結成5周年を迎え、今までメンバー5人で頑張ってきましたがこの度、3人がドロシーの活動を終了することになりました。応援してくださっている皆さんには残念な気持ちがあると思いますが、私はドロシーのメンバーとしてこれからもずっと頑張りたいと思っています。応援よろしくお願いします。
髙橋麻里

 今年はDorothyLittleHappy結成5周年
 そして私達は高校を卒業し社会人となりました。
 1人の大人としてこれから自分はどうして行きたいのかと考える事が増えました。
 その中で、自分の叶えたい夢に向かってやりたい事や目指したい道がDorothyLittleHappyと変わってきてしまいました。

 この決断は簡単にした訳ではありません。
 私達なりにたくさん悩んで、これからの自分の人生について真剣に考え自分で選んだものです。
 DorothyLittleHappyで過ごしてきた5年間は本当にたくさんの方に支えられ、私達を大きくしてくれました。
 5年間一緒に色んな事を乗り越えて来てくれた、かなちゃんとまりちゃんには感謝の気持ちでいっぱいです。

 この5年間は本当にかけがえのない時間を過ごさせて頂きました。
 5月から始まる最後のツアーは5人で今まで応援してくれたスタッフの皆さん、ファンの皆さんに5年間のありがとうの感謝の気持ちを伝えるツアーにしたいと思っています。
 私達はDorothyLittleHappyとして活動する最後の一瞬まで精一杯DorothyLittleHappyとして頑張ります。

 そして私達は7月12日でDorothyLittleHappyを卒業しますが、これからもDorothyLittleHappyはたくさんの方に幸せを届けるグループとして続いて行きます。
 私達の大切なDorothyLittleHappyをこれからも皆さんよろしくお願いします。
秋元瑠海


 高校を卒業し、私は社会人となり、真剣にこの道でやっていくことを選びました。
 そして自分のやりたい事、夢を考えたときにドロシーとして目指す方向と少しずれがあることに気づきました。

 自分と正直に向き合って夢をどうしても叶えたい、そしてその夢を目指せる場所で活動をしていきたいと思い、今回卒業を決意しました。

 
ドロシーリトルハッピーは結成から5年、たくさんの方に応援そして支えていただいたおかげで活動してくる事ができました。
 今こうやって自分の道を選択できるまでになれたのも、ドロシーとして活動してきた上でたくさんの事を経験し、学んでこれたからです。

 
みなさんには本当に感謝しています。
 ありがとうございます。

 ドロシーリトルハッピーは自分の中で誇りとなるものでした。
 たくさん悩み、遠回りしながらも
 5人で前へと進んでこれた日々はとても大切な時間です。

 5周年ツアーで私達はドロシーとしての活動は卒業となります。
 それまで、今の5人の歌とパフォーマンスで、みなさんに今までの感謝を
 精一杯伝えていきたいと思います。

 私たちを引っ張ってきてくれた、先輩かなちゃんとまりちゃんには感謝の気持でいっぱいです。
 これからもドロシーリトルハッピーの応援よろしくお願い致します。
富永美杜


 発表にありました通り、
 私たちはツアーファイナル公演をもって、ドロシーリトルハッピーを卒業します。

 今まで5人で目標に向かって頑張ってきました。
 しかし、だんだんと向かっている場所が違ってきてしまったことに気づきました。

 今回発表するにあたって、たくさん考えました。
 みなさんの心に何かを与え続けられる存在になりたいと強く思い、今まで以上にチャレンジすることの出来る、可能性が広げられる道を自分自身で選びました。

 ドロシーリトルハッピーに加入し、それまでの自分では考えられないような素敵な経験を数多くさせていただきました。
 佳奈ちゃん、麻里ちゃんから加入した時からずっと、多くのことを学ばせてもらいました。
 周りで支えてくださったみなさんにも感謝の気持ちでいっぱいです。

 ツアーファイナル公演に向かって上を向いて、佳奈ちゃん、麻里ちゃん、るーちゃん、みもちゃん、香美で精一杯感謝を伝えて、ツアーを完走しますので応援よろしくお願いします。

 ずっとずっと、ドロシーリトルハッピーの応援をよろしくお願いします。
早坂香美



 僕も含めて大多数のファンはこの公式発表でまさに青天の霹靂のように3人の卒業を知らされたわけです。
 callmeの3人は東京のステージでも上のコメントと同じような話をしたようです。一方、仙台で3人の卒業決定をファンに告げたKANAは表面上、平静を装っていたようですが、MARIはずっと泣いていたそうです。
 突然の発表にファンの誰もがショックを受け、茫然自失となったと思いますが、同時に誰もが「なぜ?」と思ったはずです。公式コメントで3人が揃って自分のやりたいこと、自分の夢と、ドロシーの方向性との間にズレが生じたことを脱退の理由に挙げているところはいかにも不自然ですし、ファンには言えない裏の事情があるのだろうと推測させるだけの結果にしかならなかったように思います。何もわからないのはKANAMARIも同じで、彼女たちもファンの疑問に答える言葉は持ち合わせていませんでした。彼女たちも卒業の詳しい理由は知らされていなかったからです。結局、ファンの理解を得られないまま、3人がエイベックスの後ろ盾だけを頼りに強行突破を図ったような印象を残してしまったことは残念なことではありました。

 ところで、メンバーのコメントにもある通り、ドロシーは2015年で結成5周年を迎えました。まだ3人が卒業することなど想像すらできなかったなかで、ドロシー5周年ということから、僕はキャンディーズのことを思い起こしていました。キャンディーズの解散はレコードデビューから4年半が過ぎた春のことでした。本当の姉妹以上に仲がよいと自他ともに認めたラン・スー・ミキが「ひとりひとり旅立ちたい」といって解散したキャンディーズの活動期間を超えてドロシーの5人の物語がさらに続いていくことに対して、深い感慨を抱くと同時に、どんなに結束力の強いグループであっても、そこには人数分だけ異なる自我が存在し、それぞれの人生のレールが寄り添うことはあっても完全に重なることはないという現実を踏まえれば、彼女たちの物語はあとどれだけ続けられるのだろうか、ということも考えざるをえませんでした。5人という人数は現代のアイドルグループの中ではむしろ少ない部類ですが、それでもメンバー全員が心をひとつにして活動を長く続けるには5人は決して少ない人数ではありません。個人的には5人は多すぎるぐらいかもしれない、とさえ思います。なので、漠然とした不安のようなものはあったのです。
 ただ、あまりにも濃密な時間を猛スピードで駆け抜けたキャンディーズに比べると、ドロシーの5年間はメンバーの脱退があったり、震災に見舞われたりと波乱に満ちてはいたものの、その足取りは極めてゆっくりとしたものでした。時には足踏みに近い時期もあり、そのことにメンバー自身が焦りを感じたこともあったようです。しかし、「アイドル」と呼ばれる存在が未成熟なまま市場に投げ込まれ、消費され、あっというまに“賞味期限”が切れてしまうことも少なくない現代において、ドロシーはアーティストとして進化するための成熟時間をもつことができた幸福なグループでもあると思うのです。一歩一歩、足元を確かめるように歩んできた5人にとって、結成から5年が経ったとはいえ、まだまだ未来の可能性は大きく広がっているように思えました。

 僕はかつてドロシーの5人はリーダーとメインヴォーカリストと同い年の年下3人組というメンバー構成が絶妙だったと思っていましたが、それはメンバーが成長途上においての話であって、もはやそのような図式ではドロシーを語れなくなっていると感じていました。グループ内で年下3人組の実力も着実に向上するにつれ、それぞれの存在感が増し、全体のバランスに変化が生じつつあるように思ったのです。ただし、それが悪いことだとは思いませんでした。むしろ、ドロシーは新たな段階に入りつつある、誰がリーダーだとかメインヴォーカルだとかいうことではなく、全員が主役を張れる本当にすごいパフォーマンスユニットに進化するに違いないと改めて楽しみな気持ちになったものです。
 なので、いつかはドロシーの5人の物語が終わる日が来るとしても、その終わりの具体的なイメージは僕にはまったく思い描くことができませんでした。とにかく素晴らしい物語として完結させてほしいと願うばかりでした。それだけにすべてのファンと同様に僕も3人の卒業を知った時は本当にショックでしたし、ただ表面を取り繕ったようにしか思えない3人の卒業理由にもガッカリしたのは事実です。まさかこんな形で5人の物語が終わってしまうとは予想もできませんでした。

 しかしながら、少し冷静になって考えると、まったく理解できないわけでもないのです。
 2010年のドロシー結成時点でメンバーは全員が中学生・高校生であり、明らかに未完成な成長途上のグループでした。彼女たちには指導する先生がついているわけではなく、日々のレッスンも自分たちだけでの自主練習が中心でした。そんな状況で、結成時に高校2年生だった最年長のKANAはリーダーであると同時に“先生”の役目も果たしていたようです(ライヴ中のトークでも一番やんちゃキャラのMIMORIはいつも定番ネタのように「またKANAちゃんに怒られる」とか「たまにはKANAちゃんに褒められたい」などと発言していたものです)。RUUNA、MIMORI、KOUMIの年下3人組からすれば、リーダーKANAとメインヴォーカルMARIという2人の先輩が引っ張るドロシーは実際に通っていた中学や高校以上に多くのことを学び、海外遠征も含め普通ではできない様々な経験を積んだ“学校”のような場でもあったのでしょう。

 結成から5年。ドロシーはどんどん進化していきました。今やアイドルファンからも一目置かれ、ほかの現役アイドルたちからもリスペクトされる存在です。年下3人組の成長もめざましく、グループ内での存在感も急速に高まり、もはや先輩2名に引っ張られるだけでなく、むしろグループを引っ張るぐらいの存在になっていました。そうした中での自分たちだけのユニットcallme結成だったわけです。最初は高校卒業制作的な感覚だったかもしれませんが、実際に活動を始めると、作詞も作曲も振り付けもすべて自分たちでやるわけですから、今まで以上のやりがいを感じたでしょうし、何より時間的にもドロシーとの両立は困難になっていったと思われます。そういう状況において、3人の中で“ドロシーリトルハッピーの私(たち)”と“callmeの私(たち)”という2つのアイデンティティのうち、後者の比重が大きくなるのは必然だったといえるでしょう。高校卒業後、進学をせずにこの世界で生きていく覚悟を決めた時点で、2人の先輩に頼らず、より責任の大きな立場で挑戦してみたいと考えるのなら、2つのグループを掛け持ちするより、自分(たち)らしさをより表現しやすいグループ=callmeに専念したいと考えるのは自然な流れだったのかもしれません。ファンとしては、彼女たちがドロシーリトルハッピーという学校をまさに卒業した、そんな風にポジティヴに考えて納得するべきなのでしょう。
 僕としては、3人がドロシーの中でより大きな責任と役割を引き受け、自分たちのやりたいことを反映させることでドロシーを内部から変革し、グループ全体をさらに高い次元へと進化させてほしいと期待していたので、3人の卒業は本当に残念だし、もったいないなぁ、と思ってしまうのですが…。

 「今年(2015年)3月頃CDデビューして、4月18日(TSUTAYA O-EASTでのcallmeワンマンライブ)に向けて10曲、曲を作らなきゃいけなくなって、作ってる段階で段々とcallmeへの気持ちが強まってきた感じです。自分の中でドロシーからの卒業を決め、callme一本に絞ってやっていこうって決めた時はもう『作曲で生きていきたい』って思っていました」(MIMORI)
(『MARQUEE』Vol.112)

 とにかく、卒業発表以降、3人と2人の間でその問題についてきちんと話し合われることはないまま、5人のドロシーと2人のドロシー(KANA&MARI)と3人のcallmeの活動が並行する奇妙な時間が過ぎ、5月23日の仙台から13か所25公演に及ぶ5人によるドロシーリトルハッピーのラストツアーが始まります。

 「ラストツアーが始まっても、あまりにも普通な感じだったので、そこでもまだどこか信じられなくて。このままツアーが終わっても5人なんじゃないかって思っちゃったぐらいでした。でも、仙台の初日が始まる前に3人から『5人で最後のツアーなのでしっかりと最後までがんばります、よろしくお願いします』って言われて。そこで本当にそうなんだなと初めて実感したんです」(KANA)
(『IDOL AND READ』005)

 RUUNAはこの時期にどのようにメンタリティーを保っていたのか、との問いに次のように答えています。

 「保ててなかったですね。ツアーの時とかは、もう本当に『こんなに好きなのに』という気持ちでしたね。でも曲を一公演一公演歌っていくたびに歌う回数が限られてきて、どの会場でも悔いないように自分のステージをやりたいし、学べる所は学んで、いっぱい勉強しないとっていう気持ちでツアーには挑みましたね」
(『MARQUEE』Vol.112)

 5人での最後のステージは7月12日、東京・中野サンプラザ。ドロシーはずっと武道館でのライヴを大きな目標に掲げていましたが、個人的には観客として彼女たちのパフォーマンスを楽しむのに最適な舞台は「サンプラザ」クラスのホールではないか、と予てから考えていました(というか、それはほとんどのアーティストに言えることなのですが…)。なので、もし3人の卒業話がなければ、僕もサンプラザに足を運んだと思いますが、結局、そういう気持ちにはなりませんでした。正直にいえば、3人の卒業発表以降、ドロシーの音楽を聴いたり、映像を見たりすることも少なくなっていました。
 その最後のステージのアンコールで5人の物語の終わりを象徴するような“事件”が起きたわけですが、僕は現場で目撃したわけではないですし、そのことについてここで触れるのはやめておきます(何があったのか知りたい方のために音楽ニュースサイト「ナタリー」の記事はこちら)。このライヴはのちに映像作品として発売されていますが、問題のシーンはすべてカットされています。なので、結果的に5人のドロシーの最後の到達点を純粋に記録した素晴らしい作品としてどなたにもお薦めできるものになっています。こんなに素晴らしいグループがどうして分裂しなければならなかったのだろうという思いが強くなるばかりです。



 このライヴのラストには、これを単なる終わりにはしたくない、未来につながるものにしたい、という思いを込めて「未来へ」が選ばれました。5人で歌う最後の曲であり、“事件”直後ということもあって、5人の表情もそれぞれです。怒りなのか悲しみなのか悔いなのか、笑顔が消えてしまったKANA、さまざまな感情が渦巻いているはずなのに最後は笑顔で終わりたいと決めていたようなRUUNA、涙を堪え切れず何度も手で顔を覆いながらそれでも歌って踊り続けるMIMORI、すべての感情を笑顔にかえて曲を表現することに徹しているようなKOUMI…。そんな中でこれからもメインヴォーカリストとしてドロシーを引っ張っていくという決意をその歌声で示してみせたMARIが曲の終わった後もすべてを出し切ったという表情で満面の笑みを浮かべ客席に手を振っている姿が印象的です。3人の卒業発表の時にはずっと泣いていたという彼女ですが、このファイナルライヴでは絶対泣かないと心に決めていたのかもしれません。アイドルのあるべき姿をファンにもメンバーにも身をもって示した、そんな風にも見えました。

 Dorothy Little Happy Live Tour 2015 5th Anniversary~just move on~Final at NAKANO SUNPLAZA


 とにかく、2015年7月12日を最後にドロシーリトルハッピーは5人組からKANAMARIの2人組に生まれ変わります。TOKYO IDOL FESTIVAL2015を含むいくつかのライヴ出演の予定こそ組まれていたものの、おそらくそれは3人の卒業発表前から決まっていたスケジュールであり、完全に2人になってからの活動は白紙の状態に近く、先が見えない不安でいっぱいだったようです。それでも解散という選択肢はまったく考えなかったといいます。
 僕はドロシーがステップワンの後輩たちの中から新たなメンバーを加えて活動を続けるのではないか、という想像も実はしていました。それは卒業する3人の退路を完全に断つことを意味するわけですが、KANAMARIはそういう選択はしませんでした。抜けた3人の穴は誰にも埋められないということなのかもしれません。

 「まったく白紙だったので、本当に不安でした。このままなにかが起こってまた5人のドロシーに戻らないのかなって…心のどこかでそう思ったりもしましたね。中野までのドロシーを作り上げたのはあの5人だったし、もし違うメンバーだったらこういうドロシーにはなってなかったと思うんですよ。私とMARIちゃんとるー、みも、こうみんの5人がいてDorothy Little Happyを作ってきたと思っていたので…複雑な気持ちでした」
 「(解散は)全然考えなかったです。ドロシーの曲が私はすごく好きなので。ファンのみなさんももちろんそうだと思うんですど、その曲をずっと歌い続けていきたいって気持ちでした」(KANA)

(『IDOL AND READ』005)

 エイベックスの後ろ盾があったcallmeの活動がいよいよ勢いを増し、長らくドロシーが出演していたテレビCM(ホンダカーズ東北)を引き継ぐ一方、7月29日には配信限定EPを発売、さらに10月28日には早くも全曲完全自作によるフルアルバム『Who is callme?』をリリースして高い評価を得るのに比べると、大切なものを失ったドロシーの足取りはゆっくりとしたものでした。それでも7月31日にはUNIVARSAL GEARへのレーベル移籍を発表。ようやく前を向いて走り出す体制が整います。
 ライヴに向けて、2人での見せ方、表現の仕方を研究しつつ、5人で表現することを前提に作られていた既存の楽曲の歌や振り付けを2人ヴァージョンに再構成する作業を進める一方で、2人のための新曲も生まれます。その中から彼女たちが最初のシングルに選んだのが「Restart」。女性VoがフロントのロックバンドRETOが提供したタイトル通り勢いのある曲で、数あるデモ音源の中からKANAMARIの意見が一致して即決したといいます。

 「RETOさんの原曲を聴いて、すごいイイ曲だなって思ったのと、そこに〈ドロシーらしさ〉もある気がしたというか、自分たちの歌ってる姿が想像できたんです。何かエモーショナルっていうか、心がジーンとするような曲が〈ドロシーらしさ〉なのかな、って最近思ってて。曲の雰囲気が楽しいとか切ないとかだけじゃなく、心に届くような歌詞だったりメロディーだったりを選んでいるのかな、と思います」(MARI)
 「ドロシーの芯となるものは変えたくなくて、かといって同じことをやるだけじゃなく、この2人でしかできないことをやりたくて。今回の“Restart”だと、踊りながらずっと私がハモってるのが初めてのチャレンジなんです。麻里ちゃんの主メロを聴きながらずっと歌うのって、いままでにない経験だったので、心地いいというか、うまくハモれた時に〈よっしゃ!〉って(笑)。イントロの〈いまから来るぞ〉っていうワクワクする感じも凄い好きだし、始まったらノンストップで最後まで歌が続くので、これが快感です」(KANA)

(『bounce』vol.385) 

 Restart(MV)



 シングル「Restart」は12月16日に発売。カップリング曲でやはりRETOが提供した「コトノハ」は、今のドロシーにぴったりな、いなくなった大切な人への思いを歌ったバラードで、過去のドロシーのバラードと比べても屈指の名曲だと思います。また、KANAが作詞した「この世界が終わる前に」「青い夕暮れ」の2曲もそれぞれに違った個性を持つ楽曲に仕上がっています。

  コトノハ   この世界が終わる前に   青い夕暮れ


 出演したテレビ番組で3人の卒業について「半分以上いなくなっちゃいました」KANAが屈託なく語るのをみても、ドロシーはもう前しか向いていないのが分かります。失ったものは確かに大きいですが、2人というコンパクトな編成ゆえに、すでにRETOとライヴで共演したように、ほかのアーティストとのコラボレーションも含めて、表現方法についても今まで以上に柔軟にいろいろ試すこともできるでしょう。新しいドロシーには新しい可能性が無限に開けているのです。

 かつてのインタビューでMARI「私は基本、KANAちゃんの言うことについていこうって思っているんです」(『IDOL AND READ』003)と語っていましたが、KANA「私は何才になってもMARIちゃんとだったらできそうな気がしているんです」(『IDOL AND READ』005)と語っています。
 5人時代はお姉さん的な役回りで個性バラバラの4人を統率していたKANAがそうした役目から解放されて、すごくガーリーな雰囲気が強まった印象です。妹たちの前ではしっかり者の姉として振舞っていても、同世代の友人の前では普通の女の子といった感じでしょうか。KANAが1学年上とはいえ、縦の関係ではなく横の繋がりで深く結びついた女子2人組になって、ちょっとユルい雰囲気も出てきたのが新しい魅力といえそうです。

 白戸佳奈と高橋麻里。小学生の時から一緒に夢を追い求めて走り続けてきた彼女たちにはこの先ももっともっと良い曲と出会って、息の長い活躍をしてほしいし、さらに高いレヴェルに立たなければ見ることのできない風景を目にしてほしいと思います。



(2017年5月23日 追記)
 2017年2月から4月にかけて体調不良により活動休止していた白戸佳奈さんが7月23日の公演をもってDoroty Little Happyでの活動を終了し、芸能活動から引退することが所属事務所および本人から発表されました。

  公式サイト  



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