風の音楽~キャンディーズの世界♪
30年目のアンコール

キャンディーズ解散30周年記念イヴェント
全国キャンディーズ連盟2008大同窓会~CANDIES CHARITY CARNIVAL



2008.4.4 東京後楽園・JCBホール


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 2008年4月4日キャンディーズ解散コンサートからちょうど30周年の節目を迎えました。この記念日にキャンディーズを愛するファンの方々の情熱と、かつてキャンディーズのマネージャーを務め、現在は芸能事務所アミューズの会長である大里洋吉氏をはじめとする関係者の方々の多大なるご尽力によって、後楽園球場の跡地にオープンしたばかりの最新のライヴスペース、JCBホールにおいて記念イヴェントが開催されました。

 全国キャンディーズ連盟2008大同窓会~CANDIES CHARITY CARNIVAL
 これが今回のイヴェントの正式な名称です。キャンディーズの3人の出演はない、と初めから予告されていました。要するにファンの同窓会です。僕自身は30年前のファイナル・カーニバルには行けず、ファンクラブに入っていたわけでもないので、同窓会などと銘打ってあると、行っちゃっていいのかな、という気がしないでもなかったのですが、告知に「キャンディーズを愛する方ならどなたでも参加できます」とあったので、3月8日の発売日にチケットを購入しました。

 そもそも全国キャンディーズ連盟(全キャン連)というのはアーティストの所属事務所側が管理・運営する従来のファンクラブとは異なり、当時、大学生を中心に組織された、いわば草の根型ファンクラブで、5万人もの会員を擁したといいます。このようなファンクラブを持ったのはキャンディーズが初めてといい、蔵前国技館でのカーニバルを主催するなど、きわめて主体的かつ積極的な活動をしていたようです。そして、全キャン連とキャンディーズを結びつける役割を果たしたのが、当時のマネージャー大里洋吉氏でした。キャンディーズがアイドルとしては異例の数(年間およそ100本!)のライヴをこなし、しかも、専属のバックバンドMMP(ミュージック・メイツ・プレイヤーズ)をつけて、それまでの歌謡ショー的なものからロック色の強いライヴへと変貌させたのも大里氏の功績です。
 今回のイヴェントもかつての全キャン連メンバーが解散30周年に何かできないかと今年の1月、大里氏にコンタクトをとったところから始まり、わずか3ヶ月たらずの準備期間で実現しました。全キャン連メンバーの一人が昨年大腸がんで亡くなり、葬儀で仲間が集まった時にそのような話が出たのがきっかけになったそうです。そのため、今回はチャリティ・イヴェントとして、収益の一部が財団法人日本対がん協会に寄付されます。
 また、この準備の過程でTBSの倉庫の約40万本ものビデオテープの中から、ずっと行方不明だった30年前のファイナル・カーニバルの映像(テープ5巻、5時間分!)が発見されるというファンには大変嬉しいニュースもありました。それも今回一部ですが公開されます。

 ところで、僕はキャンディーズ関連のイヴェントに参加するのはまったく初めてなわけですが、このイヴェントに向けて開設されたウェブサイトやブログを通じて、大里さんをはじめとするスタッフとファンの方々が絶えずコミュニケーションをとり、互いに協力しあい、この大同窓会の実現に漕ぎつけたのを目の当たりにして、キャンディーズ・ファンの伝統である行動力と奉仕の精神が今も受け継がれているのを感じました。僕自身は協力らしいことは何もできず、ただ自分のサイトにイヴェントの告知をのせたぐらいで、みなさんのあまりの熱さに圧倒される思いでした。正直に白状すれば、ずっとレコードやCDにじっくり耳を傾けるという形で彼女たちの音楽に接していた僕自身はキャンディーズ・ライヴに付きものの紙テープや応援コールにはあまり思い入れがなく、チケットに紙テープ10本付きと言われても、なんだかなぁ、という気分でしたし、イヴェントに向けて筋金入りのファンの方々がそういう方向でどんどん盛り上がっていくにつれて、自分がこのイヴェントに参加するのはなんだか場違いな気がして、少々気が重くなってきた、というのも事実です。なので、チケットは買ったけれど、実は当日が待ち遠しいというほどでもなかったのです。

 それでも、4月4日はやってきて、自分の中では盛り上がりに欠けたまま、とりあえず、後楽園に向かいました。
 水道橋駅を降りると、キャンディーズ・ファンだらけかと思いきや、実際に目につくのはプロ野球観戦に行く人々。なにしろ、東京ドームでは今年初めての巨人・阪神戦です。出だしで思いっきりつまずいたジャイアンツと開幕から絶好調のタイガースの勢いの差を反映してか、タイガースファンが目立つような気がします(一応書いておくと、この日も6-1で阪神快勝!)。30年前はそれこそこの一帯はキャンディーズ・ファンで埋め尽くされていたのでしょう。ま、今回はあからさまにキャンディーズ・ファンであることを誇示するようなカッコで電車に乗ってくる人はまずいないでしょうから、目立たないのは当然ですね。あくまでも表向きは普通の紳士(おじさん)、キャンディーズ愛は内に秘めて、といったところでしょうか。
 駅前交差点ではコラムニストの泉麻人さんを見かけました。あ、キャンディーズ行くんだな、と思いつつ(『読売ウィークリー』に記事を書いていましたね)、その傍らを過ぎて、JCBホールへ。さすがにここまで来てしまうと、気分が高揚してきます。何はともあれ、キャンディーズのイヴェントに参加するということが素直に喜びとなって心の中からあふれてくる感じではありました。

 30年前の開演時刻に合わせた17時17分の開場間際に着くと、すでにたくさんのファンが並んでいました。そして、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌…とにかく、至るところに報道関係者の姿があります。
 テレビに映って困るわけではないですが、少し離れたところでしばらく様子を見守ることに。どうせマスコミの報道の基本線は30年前のアイドルに今も熱狂するオヤジたちをオモシロオカシク伝えようというのに決まっています。
 でも、眺めていると、想像していたほどオヤジばかりという感じでもないようです。マスコミはオヤジ100%を期待していたのでしょうが、女性もけっこういるし、若い人の姿もあります。まぁ、確かに主流は40代~50代の男性であり、なかにはいかにもオヤジな人もいますが、若々しく見える人も多いように感じました。チケット代(10,500円!)がもう少し安ければ、もっと若い人も来られたのではないか、とその点は残念に思います。今回のイヴェントはキャンディーズを知らない若い世代にもファンを増やす絶好の機会でしたし、実際に数は多くないにせよ、中学生、高校生のファンだっているのですから…。高いチケット代がそうした若者をシャットアウトしてしまったとしたら惜しいことです。

 とにかく、すごいマスコミの数なので、東京ドームへ野球を観に行く人たちも口々に「何があるんだろう」などと興味深げに通り過ぎていきます。「あ、キャンディーズか」なんて声も聞こえます。「野球はいつでも観られるんだから、今日はキャンディーズ観ていきませんか」と声をかけたくなりました。当日券もあったので、チケットの売れ行きも気になります。これだけマスコミが集まったからには、キャンディーズのためにもやはり満員の大盛況でないといけませんからね。

    

 さて、開場。みなさん、カメラの放列の前を入場していき、撮影が一段落したあたりで、僕も入場。玄関にはたくさんの花が飾ってあり、その中には熱烈なキャンディーズ・ファンというトータス松本さん(ウルフルズ)から贈られた花もありました。
 入るとすぐに、紙テープ10本セットと全国キャンディーズ連盟会員証の入った巾着袋や、これもファンの方々の発案で作成された「キャンディーズ応援パンフレット」(紙テープの投げ方や応援コールの仕方が書いてある)の復刻版、それに今回発掘されたファイナル・カーニバルの映像のノーカット完全版DVD発売を願う署名用紙が配られます。署名活動もファンの有志によるものです。ここでもたくさんのファンの方々がボランティアで活躍されています。
 ところで、僕は何も考えずに巾着袋を受け取り、中には青い紙テープが入っていました。あとで気づいたのですが、紙テープは赤、青、黄と3種類あって、それぞれがラン、スー、ミキのイメージカラーになっています。ミキちゃんカラーの黄色をもらえばよかったと思いましたが、まぁいいか。



 ホール内では記念グッズとして赤、青、黄のハッピ(3,000円)を売っていました。ランちゃんカラーの赤は瞬く間に売り切れたそうです。もちろん、青や黄色もほどなく完売となりました。また、キャンディーズの3人それぞれへの手紙が出せるポストがあったり、貴重なお宝が展示されていたり、キャンディーズ写真パネルがあちこちに飾られていたりで、自然にワクワクした気持ちになってきます。考えてみれば、これほどキャンディーズの名前が氾濫している場所に足を踏み入れたのは初めてです。
 相変わらず、あちこちで取材が行われ、カメラの前で応援コールの練習をしている人たちやインタビューを受けている人たちがいました。
 カメラに映ると困る人のために変装グッズも売っていましたが、買っている人は見かけませんでした。花粉症なのか変装なのか、マスクをしている人はいましたが…。

 開演は19時で、1時間半以上ありましたが、それほど待たされた気はしません。
 僕の席はアリーナの9列目、ステージに向って左寄りの場所で、まぁ、悪くない席です。アリーナのほか、1~3階までのバルコニー席があり、最大で3,000人以上収容できるそうですが、今日は全席指定でアリーナにも座席が用意されていたため、定員は約2000名ということでした。時間とともに席もどんどん埋まって、最終的にはほぼ満員になったようです。チケット完売! よかった。ちなみに僕の両隣りは開演ギリギリまで空いていて、やってきたのは左側が中年の男性、右側は女性の2人連れでした。

 とりあえず、紙テープの芯を抜く作業をしつつ(紙テープには興味ないと言いつつ、ちゃんと準備していたりする…)、スクリーンに映し出される「みごろ! たべごろ! 笑いごろ!!」ラン助スー吉ミキ子の悪ガキコントを眺めているうちに開演15分前。ここで客席の雰囲気を温めるために「暑中お見舞い申し上げます」が流れて、コールの練習など。ノリの悪い人がスクリーンに大写しにされたりします。ノリが良すぎる人も映ったりします。30年ぶりの人も僕みたいに初めての人もだんだん盛り上がってきました。

 19時ちょうど。さぁ、いよいよ開演です。
 まずスクリーンに映し出されたのは30年前の後楽園球場。伝説のキャンディーズ・ファイナルカーニバル。キャンディーズがラストの「つばさ」を歌い終えて姿を消した後の観客席の様子です(BGMにレコード版「つばさ」)。終演後の様子もこうして映像に残っていたのです。アンコールを求める拍手と歓声がいつまでも鳴りやみません。誰もがもう一度キャンディーズに姿を見せてほしい、歌ってほしい、そんな気持ちで必死に手拍子をし、叫んでいます。この状態は実際には相当長い時間続いたようです。もうキャンディーズは出てこないとわかっても、誰もがその場をあとにするきっかけを失ってしまっていたのでしょう。
 そこへバックバンドMMPのリーダー、チャッピーこと渡辺茂樹さんの声が聞こえてきます。

みんな、ありがとう。 アンコールしたいんだけど、今日は予定よりも時間が押して・・・キャンディーズは、もう・・・いないんですね。ここに。それで僕たちもほんとは、 みなさんと一緒にもっともっとアンコールやって、いっぱいいっぱい曲をやりたかったんですけど、どうしても時間がないので、キャンディーズがみなさんによろしくお伝えくださいと、いま言ってましたんで、みなさん、今日はこれでお別れしたいと思いますので・・・どうも、MMPも最後までがんばりました。 キャンディーズも最後までがんばりました。 でも、みなさんは最後の最後までがんばってくれました。 キャンディーズもきっと心から喜んでると思います。 キャンディーズを代表して僕がお礼言うの、おかしいんですけど、ほんとにお礼言いたい気持ちなんです。 キャンディーズは、今、悔しくて悔しくてしょうがない、もっと歌わせ欲しいってこと、涙流しながら帰って行きました。 みなさんによろしくお伝えくださいとのことです。 どうもありがとうございました。
 (もちろん、こんな長い言葉を暗記できるはずもないので、まりおんさんの「めもりあるキャンディーズ」から引用させていただきました。MMPのページ参照)

 いきなりこう来たかぁ、と思いました。これから始まるのはファイナル・カーニバルから30年目のアンコールなのです。
 ここからファイナル・カーニバルのオープニングに戻ります。当日、すぐ近くの神宮球場では雨のため野球が中止になったのに、後楽園には一滴も降らなかった、奇跡としか思えない、というテロップが流れ(実際は神宮でも試合はちゃんと行われています。阪神が4-1でヤクルトに勝利)、後楽園球場の光景が映し出されます。そして、いきなりキャンディーズのアイドルとしての顔しか知らない人たちの度肝を抜く洋楽12連発! 
 MMPの迫力ある演奏による「Open Sesame」。そして、いよいよラン・スー・ミキが登場。30年前の会場からも30年後の会場からも拍手と歓声、そして早くも紙テープが飛び交います。大画面で見るキャンディーズ。もうこれだけで感動です。

 「Jupiter」~「Hard Times」~「Do It」~「Play That Funky Music」~「Do You Love Me」~「Sir Duke」~「The House of The Rising Sun」~「Never My Love」~「Ticket to Ride」~「Fantasy」~「Going in Circles」

 ライヴ・バンドとしてのキャンディーズ+MMPの育ての親・大里さんのこだわりを感じさせる構成・演出です。ここにはテレビの中の可愛いキャンディーズの姿はありません。ただひたすら凛々しく、美しく、カッコイイ彼女たちの姿が克明に映し出されます。
 個人的にはランの語り(彼女にこういうのをやらせると抜群に上手いですね)から始まる「朝日のあたる家」、ミキの歌う「サー・デューク」「涙の乗車券」、そして「宇宙のファンタジー」、間奏部でキング・クリムゾンの「エピタフ」を引用した「ゴーイング・イン・サークルズ」が印象的でした。
 それにしても、モニターもないに等しい(あってもほとんど役に立っていない)状況でこれだけ歌えて、あんなにきれいにハモれるなんて信じられないぐらいスゴイです。単なるアイドルではないキャンディーズの実力を知らしめるのに十分なパフォーマンスで、30年前のアイドルに熱狂するオヤジたち、という図式にしか関心がない報道陣にいくらかでもインパクトを与えられたら、なんてことを考えながら見入っていました(当然、会場内には多数のカメラが入っています)。
 もうひとつ、この時の映像で驚いたのは、キャンディーズがステージ上で衣装チェンジをやっていたこと。その様子も一部始終を当時のカメラはとらえています。ファイナルカーニバルで彼女たちはかなりの種類のコスチュームを身につけていましたが、あんな風に早変わりしていたのか、と感心させられました。なかには衣装替えが間に合わずに次の曲へなだれ込む場面もありましたが、それも含めて貴重な記録です。

 30年前の後楽園球場では大型スクリーンなどもなかったので、参加した人たちのほとんどはキャンディーズの姿が豆粒ぐらいにしか見えなかったはずです。しかも、5万5千人のつくりだす熱狂と興奮は3人の声をかき消すほどだったでしょう。あれは彼女たちの音楽を聴くというより、キャンディーズがこの世に存在した最後の時間と空間を共有するためのカーニバルでした。その意味ではあの時、あの場所にいた方々にとっても、今回の大きな画面と素晴らしい音響でのファイナル・カーニバルはまったく違う新鮮な体験だったのではないでしょうか。改めて、キャンディーズってこんなにすごかったのか、と思った方もいるはずです。
 また、映像の一部には、ちらつく雪にはしゃぐ3人のカットなども挿入され、そのいかにも“普通の女の子”な感じとステージ上で輝くスーパースター・キャンディーズとのコントラストにも何か胸に迫るものがありました。


 さて、ここで雰囲気はガラッと変わります。
 30年前、キャンディーズと一緒にラジオ番組をやっていた吉田照美さんと大橋照子さんが当時の番組の音声とともに後方のバルコニー席に登場。
 照美さんはキャンディーズがあまりに多忙で疲れきった様子でスタジオ入りしても、いざ本番が始まると元気に弾けていたこと、彼女たちが差し入れてくれたお菓子(モロゾフのプチチョコアイス)が美味しくて“芸能界の味”がしたことなど思い出を語り、ついでに「宛先音頭」も歌っていました。照子さんはやはり彼女たちが疲れている時でも、スーちゃんが「ケーキ食べに行こう」というと、途端にみんな元気になったというエピソードや有名な「エグレの会」の話などを披露(エグレの会はミキちゃん会長、大橋さん副会長)。お二人の話からも、テレビやラジオではいつも明るくて元気だったキャンディーズも、あの笑顔の裏側では本当に疲れきっていたんだな、ということがわかります。

 ここからは照美・照子のテルテル・コンビのMCでイヴェントが進行したのですが、このあたりから記憶がかなり怪しくなります。なので、覚えている範囲でメモ風に書き留めておきますが、時系列的に再現することができません。大雑把に言えば、ゲストのトークを交えつつ、ファイナル・カーニバルからキャンディーズのオリジナル曲の映像を中心に紹介されました。
 「みごろ! たべごろ! 笑いごろ!!」でキャンディーズと共演していた伊東四朗さんと小松政夫さんがビデオ出演。「みごろ」の中の悪ガキコントの映像が流れました。
 ゲストとしては渡辺茂樹さん、森雪之丞さん、近田春夫さんが次々とMC席に登場。それぞれにキャンディーズとの思い出を語りました。
 ちなみに、今日の冒頭で流れた渡辺茂樹さんの挨拶は、終演後もいつまでも帰ろうとしないファンに対して急遽、何か言うように頼まれ、即興でしゃべったということでした。
 森雪之丞さんはキャンディーズとの仕事が作詞家としての原点になっていること、「Go! Go! キャンディーズ」ではいつもいじめられ役だったことなど思い出を語っていました。雪之丞さんも関わった蔵前国技館でのカーニバル(楽屋は力士の支度部屋!)では女人禁制の土俵の上にステージを設けたわけですが、それが許されたのはキャンディーズが神聖な存在だったから、なんてことも言っていましたね。
 30年前のファイナルではラジオ特番の実況を担当していた近田春夫さんは今日は最初からやたらにハイテンション。実はあらかじめ大里さんから盛り上げ役を命じられていたそうです。というわけで、近田さんの煽りで、会場も途中からオールスタンディング状態になりました(その方が紙テープが投げやすい)。
 流れた曲は「恋のあやつり人形」「内気なあいつ」(自己紹介をはさんで)「あなたに夢中」「やさしい悪魔」「わな」「悲しきためいき」「ハートのエースが出てこない」「微笑がえし」…。
 
この中ではファイナルのCDにもDVDにも収録されていない「やさしい悪魔」が貴重でしたね。また、「悲しきためいき」のかっこよさにも背筋がゾクゾクしました。
 
キャンディーズの自作曲のソロ・コーナーからは「買い物ブギ」(ミキ)、「私の彼を紹介します」(スー)、「Moonlight」(ラン)を3曲続けて…。3人それぞれの個性が光りますが、とりわけスーちゃんの全力疾走シーンには驚きました。間奏の間にそれまで歌っていたメインステージのマイクから客席にせり出したセンターステージのマイクまで移動するのですが、これが全速力で走らなければ間に合わない距離で、スーちゃんらしからぬ猛ダッシュ。でも、スーちゃんらしく惜しくも間に合っていませんでした(笑)。しかし、4時間ぶっ通しでひたすら歌って踊るステージの中でこの無謀ともいえる演出は酷ですよ、大里さん。
 自作曲といえば、もう1曲。「おとうさんあなたへ」。ミキの作ったこの曲では3人がウェディング・ドレスで登場しました。ところが、カメラトラブルとかで映像が不完全であるらしく、静止画像をバックに音源が流れました。

 また、シングル曲の中で唯一、ファイナルで演奏されなかった「夏が来た!」もテレビ出演時の映像を繋ぎ合わせて紹介されました。渡辺茂樹さんがこの曲だけ急遽カットされたいきさつを語っていましたが、当時の出版物などで得た知識も総合すると次のような事情があったようです。
 何しろ、キャンディーズ・ファイナルカーニバルは当時としては日本芸能史上空前規模のコンサート。熱狂的なファンが5万5千人も集まり、球場周辺にもチケットが手に入らなかった大勢のファンが集結していました。そこには得体の知れないエネルギーが充満していたことでしょう。世間的にはまだ学生運動の記憶も生々しい時代だっただけに、これだけの若者が興奮状態になれば、何が起きるか分かりません。警察も場外に機動隊を待機させるなどの厳重な警備体制をとっていました。当時、コンサートを仕切った大里さんは事前に警察と消防に対して25曲ほどの進行表を提出し、20時半までには終わると伝えていたそうです。しかし、実際には20時半で終わるはずがありません。52曲が予定されていたわけですから。そのため、コンサート中盤以降、警察からは早く終わらせろ!という圧力がかなりあったようです。しかも、場内の熱狂ぶりが外にも伝わるにつれ、チケットを持たないファンが球場内に突入を図って警官隊ともみあいになったという話も伝わっています。これ以上観客が興奮していくと警察当局も責任が持てないと、ついにはコンサートの中止命令まで出たそうです。それも無視してコンサートは続行されたわけですが、命令に従うふりをして、申し訳程度に予定が変更され、その犠牲になったのが「夏が来た!」だったというわけです。

 また、ファイナル以外の映像として、1976年10月11日に開催された蔵前国技館でのキャンディーズ・カーニバルから「さよならのないカーニバル」「Close To You」「プラウド・メアリー」がダイジェスト映像で流れました。チャッピーさんが最初の蔵前の時はファンも大人しかったと語っていましたが、映像の中のファンは熱狂的。照美さんから「すごい盛り上がってるじゃないですか」と突っ込まれ、「今のは2度目のほうですから…」。1回目のほうもライブ盤を聴く限りは観客が大人しかったとは思えないのですが…。
 あと、当時のファンのインタビュー映像も流され、すでにおなじみ(?)のキャンディーズの追っかけをするためにギターやテレビを質に入れてしまった青年がここでも登場。「キャンディーズのためなら質屋にでも何でも持っていかな、それが人生だからのう。みんな、そうやのう?」という発言に会場からも拍手喝采。あのお兄さん、今日は来ているのでしょうか。

 さて、これもファイナルからの映像で「暑中お見舞い申し上げます」。開演前にコールの練習をした曲でもありますし、すでに会場には紙テープがジャンジャン飛び交い、かなりの盛り上がりでしたが、この曲の最後、キメの部分でいきなりサウンドが大音量の生音に変わり、スクリーンの向こう側がパッと明るくなります。

 来た~っ!!!

 間髪入れずに始まったのが「危い土曜日」。これまでずっと映像を映し出していた幕が切って落とされます。そうです。スクリーンの向こう側に現われたのは復活したMMP! ド迫力の生演奏とキャンディーズのヴォーカル(スタジオ録音版)がシンクロし、会場は一気に沸騰! 興奮と熱狂は頂点に達します。しかも、ステージ上にはここにはいないラン・スー・ミキのための3本の白いスタンドマイクまで用意されています。胸が熱くなりました。涙が出ました。もはやキャンディーズの不在はまったく感じません。その場にいたすべての人に、目の前で歌うラン、スー、ミキの姿が見えていたことでしょう。

 

 畳みかけるように「その気にさせないで」。これもライヴで映える曲です。それにしても、キャンディーズをロックバンドに変えた男・大里さんの構成・演出、すごいです。さすがです。

 MMPが初めてキャンディーズのサポートをしたのは1975年8月26日の日劇ウエスタンカーニバルでのショーからです。それまでのコンサートではフルバンドがバックを務めるのが普通でしたが、大里さんはこの時、一部の曲でそれまで男性アイドルあいざき進也のバックをやっていたロックバンドMMPを起用したのです。当初、彼らの黒づくめにサングラスという不良っぽい外見がキャンディーズの清純なイメージに合わないとファンの反感を買い、罵声すら浴びたといいます。MMPの側にも女の子アイドルのバックなんて嫌だ、という気持ちがあったそうです。それでも大里さんはMMPをキャンディーズのバックバンドに抜擢し、コンサートではロック、ポップス、ソウル…さまざまな外国曲を次々とレパートリーに加えていきます。キャンディーズの3人にも専属バンドがついたことで、中途半端なことはできないという意識が強まり、より一生懸命に音楽に取り組むようになったといいます。彼女たちのそのひたむきな姿がMMPを本気にさせることにもなりました。そして、それは同年10月19日、蔵前国技館での第1回キャンディーズ・カーニバルの成功となって結実します。
 1976年夏、キャンディーズは「サマージャック76」と題した全国縦断コンサートツアーに出ました。7月18日の札幌から8月31日の名古屋まで24ヶ所で50回もの公演です。しかも、東京でテレビやラジオの仕事をこなしながらの過酷なツアー。大里さんに鍛え上げられ、キャンディーズはどんどん進化していきます。このツアーではMMPの参加は一部の会場のみでしたが、共演の積み重ねによって、キャンディーズとMMPの間にも相互信頼が生まれ、その関係はもはや不可分といってもいいほどになっていきます。それだけではありません。ライヴ活動を通じてテレビでは得られないファンとのふれあい、一体感をもキャンディーズは獲得していったのです。その象徴が10月11日、全キャン連主催の第2回蔵前キャンディーズ・カーニバル。前回を上回る大成功でした。
 1977年夏。キャンディーズは再び全国縦断ツアー「サマージャック77」を決行。その初日、7月17日。東京・日比谷野外音楽堂。その終演間際に衝撃の解散宣言。この時ばかりはMMPのメンバーも事前に知らされていなかったそうです。
 一方、大里さんは4月9日の時点で3人から解散の意思を打ち明けられていました。大里さんが独立するために渡辺プロダクションを辞めることを彼女たちに告げようとした矢先のことでした。その後、独立しアミューズを設立した大里さんは解散宣言の黒幕ではないかと疑われたそうです。3人を引き抜こうとしたのではないか、というわけです。大里さんはナベプロ側から3人との交渉役を要請され、当初の9月解散を半年延期させ、その交換条件で、契約マネージャーとしてキャンディーズの解散までを見届けることになりました。こうして、大里さんの総合プロデュースであのファイナル・カーニバルが行われたわけです。大里さんの力なしには、あれだけのコンサートはできなかっただろう、と今日のイヴェントを体験してつくづくそう思いました。その後、大里さんがキャンディーズ・マネージャー時代に得たノウハウと人脈を駆使して無名の新人・サザンオールスターズを売り出し、大スターに育て上げ、それ以後も福山雅治など多数のアーティストを世に送り出したことはすでにご承知の通りです。
 MMPとキャンディーズの関係もライヴだけでなく創作活動においても、より緊密になり、解散宣言直後には伊藤蘭作詞・渡辺茂樹作曲の名曲「つばさ」が生まれています。また、解散前に出たキャンディーズの自作自演集『早春譜』では全曲でMMPのメンバーがラン・スー・ミキと組んで作曲にあたり、演奏も含めて、まさにキャンディーズ+MMPのアルバムとなっています。そして、MMPはキャンディーズと運命を共にする形でファイナル・カーニバルを最後に解散。のちのスペクトラムへと発展したわけです。

 さて、JCBホールに戻りましょう。
 いまステージに立っているのは渡辺茂樹さんを含むキーボード×2、ギター×2、ベース、ドラム、パーカッション、ブラス×3の10名。元MMPのメンバーの中には今なお現役バリバリのミュージシャンもいれば、すでにプロとしての演奏活動から離れている人もいるため、今回はサポートメンバーも加わっています。しかし、これは同窓会。往年の元メンバーたちも次々とステージに登場。今回のサウンドディレクターを務めた新田一郎さんも兼崎順一さんとともに演奏だけでなく、得意技だったトランペット回しを披露してくれました(上で紹介したスペクトラムの動画でも見ることができます)。

 そして、出ました、「SUPER CANDIES」。MMPが作ったキャンディーズ応援歌です。これが歌いたかったというファンの方は多かったと思います。ヴォーカルはもちろんギタリストの西慎嗣さん。ファイナルではチャッピーさんから「ウチの若いもん紹介します、西慎嗣!」なんてコールされていましたが、キャンディーズの3人より年下で、30年前はまだ17歳だったのですね。高校生の年齢であの伝説のステージに立っていたのかと思うと驚きです。しかも、お客に対して命令口調だし(笑)。
 実は「ファイナル・カーニバル」のレコードを初めて聴いた時、僕はあのしゃがれ声の関西弁と命令口調、あまり好きになれませんでした。キャンディーズのイメージに合わない気がして…。ところが、イヤイヤ聴いているうちに、「まだまだや!5万人の歓声をキャンディーズに聞かせろ! ええか!」「これが最後や! 俺たちもこれが歌うの最後や! みんなも最後や! もっと大きな声を出してくれ! キャンディーズのために! ええか!」という煽りの背後にある悲壮感、切迫感がビンビン伝わってきて、今ではけっこう泣ける曲になっています。それにしても、あの声の主が当時17歳だったとは!

 C・A・N・D・I・E・S! Super! Super! Super! Candies!!!

 かつて、この曲から間髪入れずに「ハートのエースが出てこない」に続くメドレーが定番でした。ファイナル・カーニバルで「ハートのエース~」を歌うランが泣いているのは、その直前に5万5千人が大合唱する「スーパー・キャンディーズ」を聴いていたせいです。今日は2,000人の大合唱でしたが、この模様はDVDにして3人のもとに届けられるそうです。

 そして、今日は「SUPER CANDIES」からこれもファンお待ちかねの「哀愁のシンフォニー」へと続きます。会場全体が最高潮に盛り上がったところで、この曲を持ってくるところも心ニクイ演出ですね。サビの部分でファンが一斉に投げる紙テープは有名ですが、いや、ほんとにすごかったです。実際に体験すると無性に嬉しくなってしまいます。実はこの時までに後ろから飛んでくる紙テープが後頭部に2発、総立ち状態になってから膝の後ろに1発直撃していて、特に膝への一撃は芯を抜いていなかったのか、かなりの激痛だったのですが、もう全然腹が立たないんですね。楽しくて…。数日後に気がついたのですが、膝の後ろは内出血していました。

 さらに「年下の男の子」、そして「春一番」とヒット曲の連発。「春一番」では頭上から銀色のテープ(キャンディーズの似顔絵とロゴ入り)が大量に降ってきました(銀色テープ、拾って記念に1本持ち帰りました)。ひとつだけゼイタクを言わせてもらえれば、「春一番」はおなじみの前奏の前にさらにかっこいいイントロがつくヴァージョンでやってほしかったな、と思いました。あれ、好きなんです。

 さて、ここでMMPの演奏はいったん終了。ステージには再び幕が下ろされます。アンコールを求めるような大きな拍手と歓声。それを鎮めるように印象的なギターの音色が聞こえてきます。
 「あこがれ」。ミキの作った感動の名曲です。そして3人の最後の挨拶からラストの「つばさ」へとファイナル・カーニバルのクライマックスがノーカットで上映されました。ファンにとっては涙なしには見れないシーンの連続です。3人の挨拶の中では、言葉の選び方から間の取り方まで完璧としか言い様のないランが圧倒的に素晴らしいですが、個人的には直情的なミキの言葉にいつも涙が出てしまいます。

 「本当に私たちは幸せでした」

 この言葉を残して、ラン・スー・ミキが互いに肩を抱き合い、泣きながらステージの下に消えていくのを、誰もが息を詰めるように見届け、会場が涙でいっぱい(たぶん)になったところで、そのしんみりとした空気を吹き飛ばすように再びMMPが登場。なんと「哀愁のシンフォニー」がもう一度演奏されました。もう紙テープを使いきってしまっていた人たちも、隣同士融通しあったり、落ちているのを拾ったりして、投げまくっていました。

 この後、ゲストの方たちも全員ステージに登場し、さらにファン代表として発起人のひとりで、『盲導犬クイールの一生』の著者でもある石黒謙吾さんもステージに上がり、挨拶。キャンディーズは「私たちは幸せでした」といって姿を消しましたが、僕たちは今でも幸せです、という言葉に心から共感しました。これは誰もがそうでしょう。
 そして、この人なしには今日の素晴らしいイヴェントはありえなかった大里洋吉さんも会場からの大里コールにのって登場。女性ファンから花束も贈られます。
 大里さんは一部の曲で生演奏とキャンディーズのヴォーカルのシンクロがうまくいかなかったところがあったと反省点を述べていましたが、そんなことは関係ありません(僕はまったく気づきませんでしたし…)。でも、「このMMPでツアーやりたいね、そうしたらもっと良くなる」という言葉には、本当にそれが実現したら素晴らしいと思いました。今日この場に来たくても来られなかったファンは全国にたくさんいるわけですし、キャンディーズを知らない世代にも何かを訴えかけるパワーが絶対にあると確信しています。このショーをもっともっと多くの人に体験してほしいと心から思いました。

 その後はホール内に展示されていた写真パネルの抽選会(西慎嗣さんがスーちゃんのパネル、「おれ、ほしい!」と言っていましたね…笑)。そして、ラストには満開の桜の映像(ただしCG)をバックに再びMMPによる「春一番」
 当初、終了予定時刻は21時半とアナウンスされていましたが、終わった時にはもう22時半が近かったです。事前には、キャンディーズ本人の出演がないのに、どれだけ盛り上がれるのかと不安視する向きもあったようですが、3時間半近くにも及んだイヴェントは大変な熱気で、大盛況のうちに終わりました。ステージ上も客席も、分け隔てなく、みんながキャンディーズを愛する気持ちでひとつになった、そんなことを実感しました。まさにキャンディーズが「つばさ」の中で歌った「真実のふれあい」がそこにありました。直前までは、どこか冷めた気分だった、なんてことはすっかり忘れて、本当に幸せな時間を過ごせました。参加してよかったです。それにしても、短期間でこれだけのショーを実現された大里さんはじめスタッフの方々には本当に頭が下がります。そして、30年経っても僕たちをこんなに幸せな気持ちにさせてくれる、素晴らしいキャンディーズに改めて最大限の感謝の気持ちを贈ります。

 まるで夢から覚めたような気分で、帰ろうとすると、自分の席の両脇は大量の紙テープで封鎖状態になっており、脱出するのが大変でした。
(ふと気がつくと、客席は紙テープで埋まっていました)












(これが会員証。ファンなら誰でも描ける(?)3人の似顔絵とロゴ。僕も中学時代、教科書やノートのあちこちの余白にこの似顔絵やロゴを描いていたものです。懐かしい!!)

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 さて、以上が今回の大同窓会の概要です。
 大里会長によれば、実は蘭さん、好子さん、美樹さんもこの会場に来たいという気持ちがなかったわけではないそうです。誰よりもキャンディーズを愛しているのは彼女たち3人なのですから。ファンの中にも最後まで3人がサプライズで登場するのでは、と期待していた人も少なからずいたようです。マスコミ各社も、あるいは万が一、3人が会場に姿を見せた場合にそなえて、これほどの取材陣を送り込んでいたのかもしれません。単なるファンのイヴェントならこんなに騒ぐ必要はないだろうと思うのですが、もしキャンディーズ登場なんてことになったら、映像撮り損ねという大失態は致命的でしょうからね。でも、彼女たちが姿を現わすことはありませんでした。
 
 彼女たちが所属事務所(渡辺プロダクション)の了承を得ないまま、一方的にライヴのステージで解散宣言を発した時、それは芸能界の掟に反する行為として芸能マスコミから激しいバッシングを受けました。先輩芸能人を中心に芸能界の反応も冷やかなものが多かったようです。「普通の女の子に戻りたい」発言に密かに共感したアイドルは少なからずいたとしても、当時の状況ではあからさまに支持を表明するのは難しかったでしょう。
 もちろん、キャンディーズ人気が解散へ向けてうなぎ登りになる中で、芸能マスコミも当初の批判的な態度を改め、最終的にはその盛り上がりに便乗するようになります。
 ちょっと話が逸れますが、僕はこのマスコミの態度の変化に、野茂英雄投手の大リーグ入り当時のことを思い起こします。野茂が日本プロ野球界の掟を破って大リーグ入りを強行した時、日本のスポーツマスコミもプロ野球OBの評論家もこぞって野茂を痛烈に批判したものです。彼は日本球界からほとんど亡命に近い形で渡米したのです。ところが、いざ大リーグデビューした野茂が大リーガー相手にバッタバッタと三振を奪う姿に、日本国民がまるで太平洋戦争の雪辱戦ででもあるかのようにナショナリスティックに熱狂すると、マスコミの態度も豹変し、いつのまにか野茂は日本野球を代表してアメリカに乗り込んだかのような扱いに変わっていき、国民的ヒーローに祭り上げられました。こうしたマスコミの露骨なご都合主義はキャンディーズの場合にも解散宣言からファイナルカーニバルに至る過程で見られたわけです。閑話休題。
 
 とにかく、解散宣言直後からの逆風の中、彼女たちは全国各地で「ファンの集い」を開き、自分たちのわがままを詫び、理解を求めて回りました。突然の解散宣言に当初は多くのファンが裏切られた気持ちを抱いたといいますが、マスコミの批判にさらされ、ほとんど孤立無援状態に置かれてしまったラン・スー・ミキをみて、次第に彼女たちを支持し、その新たな旅立ちを祝福し応援しようという気運が高まっていきました。世間的には「普通の女の子に戻りたい」というのが解散の理由ということになっていますが、その真意をファンは理解しています。キャンディーズはほとんどファンの支持だけを頼りに自分たちの解散の意思を貫いたのです。そこまでして解散しておいて、再結成というのは彼女たちにとってはありえない選択肢だったのでしょう。それは寂しさをこらえて彼女たちの新しい門出を祝福したファンを裏切る行為になるからです。

 それにキャンディーズの場合、あのファイナル・カーニバルで完全燃焼できたということもあります。国内・海外を問わず往年のグループが再結成する例はいくらでもありますが、そうしたグループはほとんどの場合、メンバー間の対立や人気低下が理由で解散するなど、不完全燃焼で終わっていたから、時が経つにつれて夢よもう一度、ということになるのでしょう。世界中を見渡しても、キャンディーズほど見事な解散劇を成し遂げたグループというのはないのではないか、と思うほどです。その意味では、これはあくまでも僕の推測に過ぎませんが、今の蘭さん、好子さん、美樹さんにはキャンディーズを再結成する必然性はもはやないのではないでしょうか。蘭さん、好子さんは女優として今も活躍していますし、美樹さんも彼女なりの幸せな日々を過ごしているものと思います。しかも、3人は今でも大の仲良しなわけですから、彼女たちにとって、キャンディーズは青春の素晴らしい思い出、それで充分、ということではないのかな、と想像しています。そして、それは我々ファンにとっても同じでしょう。素敵に年齢を重ねた現在のキャンディーズを見てみたいという気持ちがまったくないわけではないですが、やはりキャンディーズは二度と帰ってこないからこそ永遠の存在になったと言えるのではないか、と思うのです。

 もちろん、今回のイヴェントに彼女たちが揃って姿を見せたとしても、それがすなわち再結成ということになるわけではありません。しかし、あれだけのマスコミが集まった中での登場となれば、どんな伝え方をされるかわかりません。やはり登場しなかったのは賢明だったと思います。残念ではありますが…。
 ただ、個人的には何らかの形で3人にキャンディーズ時代の思い出話を聞いてみたいとは思います。アミューズ会長を退任される大里さんも交えて、なんていうのはいかがでしょう。希望としては、キャンディーズに関する資料データから当時の関係者、共演者のコメント、思い出話、もちろん秘蔵写真もふんだんに収録した上で、単なるアイドルではなかったキャンディーズについて正しく後世に伝えられるような本格的な書物を出版してほしいな、と思っています。その中に今の蘭さん、好子さん、美樹さんによる思い出トークがあれば最高です。


 さて、この大イヴェントの模様はマスコミでも大きく報じられました。翌朝にはNHKの朝のニュースでも報道されたほどです。民放のワイドショーなどでもかなり時間を割いて取り上げていました。やはり、多くはキャンディーズの映像に向って声援を送り、紙テープを投げるオヤジたち…というのが基本線で、オモシロオカシク伝えつつも、でも、いくつになってもこれだけ熱くなれる対象があるというのは羨ましいですね、というような無難なまとめ方だったように思います。また、一連の報道を通じて、各界の隠れキャンディーズ・ファンがたくさんあぶり出されたのが面白かったです。
 ただ、やはり不満なのは、取材における関心の対象がキャンディーズではなく、“熱狂するオヤジたち”にのみ向けられていたことです。そういう現象面だけでなく、解散から30年も経っているのになぜこれだけのファンが集まってしまうのか、当時、たくさんのアイドルがいた中で、なぜキャンディーズ・ファンはこんなに突出して熱いのか、そもそもキャンディーズの魅力とは何なのか、掘り下げるべき点はいろいろあったはずです。どの番組でもキャンディーズについては「70年代の伝説的アイドル・グループ」という程度の位置づけで済まされていたのは少々物足りなく感じました。

 ということで、ここではキャンディーズとファンの関係について考えてみましょう。
 もともとキャンディーズがNHKの歌謡番組のマスコットガールとして結成され、「8時だよ!全員集合」へのレギュラー出演で人気が出て、歌手デビューに漕ぎつけたことからも、彼女たちの成功にテレビの力が大きかったことは否定できません。そもそも、当時の僕も含めて一般の人たちにとってキャンディーズに限らずアイドルというのはテレビの中の存在であり、それゆえに普通の人ではない“アイドル”としての共同幻想が成立していたわけです。そして、そうしたアイドルたちが所属する芸能界とは芸能プロダクションとテレビを中心とする巨大マスメディアの支配する世界でもありました。

 キャンディーズがほかのアイドルと違っていたとすれば、テレビでの仕事を数多くこなす一方で、大里マネージャーの意向もあり、積極的なライヴ活動を行なったことです。そこにはテレビの内側と外側という境界のない同じ空間でのファンとのふれあいがありました。もともとキャンディーズはあまり芸能人らしさ、アイドルっぽさのない、隣のお姉さん的なキャラクターで人気を得ていたわけですが、それでもテレビではやはりアイドルを演じているという面はあったと思います。しかし、ライヴは違います。ファンにとってもライヴを通じてキャンディーズをより身近な存在として感じるようになっていったのでしょう。また、お茶の間のアイドルとしての顔とは違う、より彼女たちの本質に近い面をもファンは感じ取ることができたはずです。キャンディーズの3人もさまざまな仕事の中で「一番好きなのはライヴ」と語っていたものです。

 ところで、当時、ライヴを活動の中心にしていたのが、フォーク、ニューミュージック系のアーティストたちでした。吉田拓郎や井上陽水、アリス、南こうせつ、中島みゆき…。彼らの多くはテレビへの出演を拒否しており、既成の“芸能界”の外側でライヴを通じて多くのファンを獲得していました。
 彼らの中にはキャンディーズ・ファンであることを公言する者も少なくありませんでした。吉田拓郎が熱烈なキャンディーズ・ファンだったのは有名ですが、フォーク・シンガーのイルカによれば、南こうせつ、山田パンダ、「風」の大久保一久あたりもそうだったようです(文化放送編『Go!Go!キャンディーズ~キャンディーズ革命』ペップ出版、1977年6月刊)。なかでも、吉田拓郎は「やさしい悪魔」「アン・ドゥ・トロワ」などの楽曲を提供しており、レコーディングにも立ち会って、熱心に指導したといいます。そこでキャンディーズの3人が彼からなんらかの影響を受けたのかどうかまでは解りませんが、テレビ芸能界とは違った空気に触れたことは確かでしょう。

 テレビには出ないアーティストとファンを繋ぐもうひとつのメディアがラジオでした。一家に一台のテレビを家族揃って見ていた時代において、ラジオは若者たちにとってもっとも身近でパーソナルなメディアでした。とりわけ深夜放送は若者の解放区としての性格が強く、そこにテレビ出演を拒否していたフォーク、ニューミュージック系のアーティストたちも出ていたのです。
 ラジオといえば、キャンディーズも『Go!Go!キャンディーズ』などのレギュラー番組をもっていましたが、そこではテレビでの顔とは全く違う、素顔に近い姿を披露していました。僕自身、聴いていてテレビでのイメージとはあまりに違う彼女たちの弾けっぷりに驚いたものです。そして、解散宣言後、逆風の中にあったキャンディーズにとって心強い味方となったのが深夜放送の『オールナイト・ニッポン』です。1977年10月から解散まで番組を挙げて全面的にバックアップし続け、ファイナル・カーニバルの夜にも深夜1時から5時まで4時間にわたって特別番組を放送しました。
 ナマのステージとラジオという電波共同体を通じてキャンディーズとファンの間には通常のアイドルとファンの関係を超えた強い絆が培われていったように思います。同時にファン同士の連帯の輪も広がっていきました。もちろん、それが30年の時を超えて今回のイヴェントにまで繋がっているのは言うまでもありません。

 今回のイヴェントに出演したゲストがキャンディーズとステージやラジオで共演した人たちばかりだったのは象徴的かもしれません。例外的にテレビ繋がりだったのはビデオ出演の伊東四朗・小松政夫の両氏ですが、たとえば伊東さんはキャンディーズの解散の意思を事前に聞いていたとNHKの『わが愛しのキャンディーズ』の中で語っており、解散宣言に「びっくりした」というドリフの加藤茶(キャンディーズから見るとナベプロの先輩)と対照的でした。その意味ではよき理解者として3人も心を開いて接していたということなのでしょう。

 このようにファイナルカーニバルへと続く当時の盛り上がりはライヴとラジオを通じて育まれたキャンディーズとファンの強い絆を核としていたという印象があるのですが(ファイナルもニッポン放送とファン組織キャンディーズ・カンパニーの主催)、もちろん、テレビがそうしたムーヴメントの埒外にあったわけではありません。ファイナルの模様は後日TBSテレビによって録画放送されました(その未編集映像5時間分が今回発見されたわけです!)。また、TBSといえば、1978年1月に始まった『ザ・ベストテン』は番組スタートからキャンディーズ解散まで彼女たちを追い続け、守り立てていました。
 この『ザ・ベストテン』は旧来の歌謡番組がプロダクションとの情実などによって出演者が決まっていたのに対して、業界的なしがらみを排し、視聴者による人気投票ランキングという客観的で公正な基準で出演が決まるという画期的な番組でした。そして、それがテレビ出演を拒んでいたアーティストの態度を変えさせることにもなっていきます。最後まで出演を拒み続けたアーティスト(矢沢永吉、オフコース、南こうせつなど)もいますが、出演要請を受け入れるアーティストも現われたのです(アリス、松山千春など)。僕も当時、ほかの番組では見られないニューミュージック系のアーティストが出る、というのがこの番組を見る大きな理由だったのを覚えています。
 新宿のライヴハウス「ロフト」で無名の新人サザンオールスターズが「勝手にシンドバッド」を熱唱するのを生中継して視聴者の度肝を抜いたのも『ザ・ベストテン』でした(実はこれは大里さんのアイディア)。大里さんによれば、サザンこそ「テレビ出演を嫌がらない初めてのロックバンド」であり、「サザンあたりから、テレビを拒絶しない、体制派のロックが始まった」ということになります(烏賀陽弘道『Jポップとは何か―巨大化する音楽産業』岩波新書、2005年)。
 これはニューミュージック、ロック系のアーティストがテレビ中心の芸能界に組み込まれたというより、双方が歩み寄った結果、芸能界秩序の再構築がなされたと考えるべきなのでしょう。『ザ・ベストテン』ではそれまでの歌謡番組なら番組の最後に登場していたようなベテラン大物歌手でも順位によっては若手アイドルの前座のような立場で歌うことを余儀なくされ、それどころか番組に出演することすら難しくなっていったのです。このような芸能界秩序の再構築をもたらしたのは具体的には人気投票ランキングという市場原理の導入の結果です。市場原理の本質的な意義はあらゆるものの固有の価値をいったん剥奪し、改めて需要と供給の関係によって再評価するところにあります。そこではベテランであるとか大御所であるとかいった価値観は無意味化され、それよりも今現在売れている者が優先されるという価値原理が支配的になっていくのです。過去の積み重ねよりも「いま」が重要なわけです。こうして歌謡界、芸能界の年功序列的な共同体は大きく揺らぐことになります(ただし、完全に消滅したわけではありません。今でも親分的、姉御的存在の大物芸能人とその下にぶら下がって生きるタレントという図式は健在です。芸能界に安定的な居場所を確保するためには誰にとっても共同体秩序が必要という心理が働いているためと思われます)。
 とにかく、こうして、のちに「Jポップ」と呼ばれるようになるニューミュージックやロックという、それまでテレビでは見れなかったタイプのアーティストとその音楽がテレビに進出し、音楽市場を席捲するようになると、「歌謡曲」というジャンルは急速に時代遅れとなり、衰退していくことになります。「歌謡曲」に取って代わった「Jポップ」とは特定のジャンルや音楽様式というより市場化時代における日本のポピュラー音楽の総称と考えるべきなのでしょう。Jポップが隆盛したといっても、その中で市場原理の働きによるアーティストの淘汰はより一層過酷な形で絶えず繰り返されているわけです。話が少し大きくなりすぎましたね。

 言うまでもなく、キャンディーズは従来型のテレビ芸能界から誕生し、歌謡曲が華やかだった最後の時代に活躍したわけですが、4年半の間にそうした枠組みを踏み越えて自分たちの活動の場と音楽性を拡げていきました。そして、アイドルが自己主張することなど考えられなかった時代に、自分たちの意思を貫徹し、自分たちで自分たちに最高の終止符を打ったのです。その意味で、1978年4月4日に開催されたキャンディーズ・ファイナルカーニバルは旧来の芸能界に対する反体制イヴェントと言えたのかもしれません。キャンディーズの3人がそのような意識を抱いていたとは思いませんが、そこに参加したファンの中にはそのような気分がうっすらとではあっても存在したのではないかと思うのです。
 いずれにしても、キャンディーズの解散は日本の芸能界のアンシャン・レジームをぶっこわし、新しい時代を切り拓く、ひとつの転換点になったように思います。現実には芸能界秩序再編の最大要因は市場化の波だったとしても、ラン・スー・ミキを中心に結束したファンたちの間には既成の価値観を打ち破る“キャンディーズ革命”の同志としての意識が共有されていた・・・そんな甘美な記憶が30年後の大同窓会にも投影されていたと言ったら言い過ぎでしょうか。まぁ、のん気な中学生だった30年前の僕はそんな革命にはまったく参加していなかったわけですが…。


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