新緑のヤビツ峠と宮ケ瀬ダム



2008年5月6日


毎年、新緑の季節になると愛車とともに山へ行きたくなる。
まず心に浮かぶのは山梨県塩山市の柳沢峠(青梅街道)だったり、富士山麓だったり、東京の奥多摩や檜原村だったりする。
今年はどうしようか、と迷った末に神奈川県の丹沢・ヤビツ峠へ行ってみることにした。
首都圏の自転車乗りにとっては定番のコースらしいが、僕は初めてである。


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 天気がスッキリしなかった今年(2008年)の連休も最後になって5月らしい晴天になった。
 分解・袋詰めした自転車とともに小田急線の急行に乗車。本厚木を過ぎる頃からピカピカの新緑に包まれた丹沢山系が迫ってきて、トンネルを抜けると、盆地に位置する秦野駅に7時27分に到着。ここが今日の目的、ヤビツ峠への下車駅である。小田急沿線の住人だけれど、この駅に降り立つのは初めてだ。北口に出て愛車を組み立て、とりあえず目の前にあった松屋で朝食。7時50分にスタート。

 毎度のことながら、輪行で目的の駅に着いて自転車で走り始める瞬間の、何かから解き放たれたような自由な気分と爽やかな風の感触はたまらない。でも、今日は駅前商店街からいきなり上り坂だったりする。
 今回は地図を持ってこなかったのだが、秦野市街の北側を通る国道246号線の名古木交差点から北へヤビツ峠への道が通じていることだけ事前に確認してある。なので、まずはその名古木交差点をめざすものの、地図の大雑把な記憶と勘が頼りだったため、少し迷った。

 彼方に真っ白な富士山を望みながら、2.6キロほど走って、ようやく名古木交差点に出た。信号の標示で「名古木」が「ながぬき」と読むことを知る。
 自動販売機でスポーツドリンクを買って、いよいよ本格的な山道にさしかかる。県道70号「秦野・清川線」。「ヤビツ峠12km 宮ヶ瀬30km」の標識がある。ちなみにヤビツ峠の標高は761メートル。上り口の名古木で大体100メートルぐらいのようだ。標高差660メートル。まぁ、このぐらいなら、ちょっと頑張れば行けるだろう。と、楽観的に考えていたが、それにしても、最初からけっこうハードな上り坂である。ただ、沿道にはまだ民家が続いている。

 少し上ったところで、ちょっと寄り道。近くの秦野市東田原に鎌倉幕府3代将軍・源実朝の「首塚」があるらしい。藤棚というバス停のある交差点で左折し、西へ1キロ余り行くと、静かな山里といった風情の田園風景の中に「田原ふるさと公園」というのがあった。水車小屋や農産物直売所などがある。
 「源実朝公御首塚(みしるしづか)」は公園の北側の木立の中に立つ五輪塔。



 源実朝は承久元(1219)年1月27日に2代将軍で兄の頼家の遺児・公暁によって鶴岡八幡宮境内で殺害されたわけだが、秦野市の説明板によると、その時、持ち去られた実朝の首は暗殺者・公暁を討った三浦義村の家臣・武常晴によって拾われ、三浦氏と縁の深い波多野氏を頼って当地に葬られたということだ。すぐ北にある大聖山金剛寺には実朝の木像や念持仏が伝わっているという。
 ちなみに実朝の首のない亡骸は当初、鎌倉・勝長寿院(その後、廃寺)に埋葬され、墓所はのちに同じ鎌倉の扇ガ谷にある寿福寺境内の母・北条政子の墓の隣に移された。こちらは僕も過去に何度か訪れたことがある。

 さて、西に富士山を望み、空からヒバリの声が降り、ツバメが低く飛び交う「ふるさと公園」を8時25分にあとにして、再び県道70号線に復帰。さらに上り続ける。
 時折、ロードバイクが追い抜いていく。ソロだったりチームだったりするが、あちらはサイクリングとかツーリングというよりトレーニングなのだろう。同じ自転車といっても、目的は全然違うようなので、抜かれても気にしない。こちらはのんびり行こう。それにしても、あちらはみなさん僕より体力も自転車の性能も遥かに勝っているはずだが、それでもけっこうきつそうだ。ヤビツ峠、なかなか侮れないようである。

 延々と続く急勾配は日陰もほとんどなく、強い陽射しが照りつける。早くも汗だくだ。道はほぼまっすぐで、ずーっと続く上り坂がずーっと見通せるのも気分的に消耗する。まぁ、誰に頼まれたわけでもないのに、好きこのんでこんな山道を走っているわけだし、確かにきついけれども、決して嫌なわけではないのだ。路傍の道祖神などにペダルを止めつつ、あくまでもマイペースでゆっくり上る。ギアを軽くしようとしたら、チェーンがはずれた。ふーっ!!

(急勾配が延々と続く)

 正面にそびえる大山(1,246m)を仰ぎつつ、さらに急になった道を上っていくと、蓑毛というバス停があった。ここから道は左へカーブし、山林の中に入る。いよいよ山の懐深くに入り込んだようだ。ただし、日陰が多くなった分、ちょっと楽になった。勾配も少しは緩やかになったようである(あとで知ったことだが、ヤビツ峠の秦野側では蓑毛の手前が最急勾配の難所であるらしい。ちなみに蓑毛の標高は300メートルほど)。
 山ではメジロやウグイス、ヒガラがさえずり、杉林の中ではヤマガラの姿も見かけたので、しばらく観察。ミソサザイやオオルリやキビタキの声が聞きたいが、それはまだ聞こえない。相変わらずロードバイクに次々と抜かれたり、反対方向から勢いよく下ってくる自転車とすれ違ったりしながら、山襞を縫うようにカーブを繰り返して西へ西へと上っていく。木々の間から眼下に見える秦野盆地との標高差はかなり広がってきた。

 やがて「菜の花台」という展望地に出た。時刻は9時20分。ここまでの走行距離は14.3キロ。名古木までの2.6キロと首塚への往復3キロ余りの寄り道分を差し引くと名古木~ヤビツ峠間12キロのうち少なくとも8キロはクリアしたようだ。あと4キロ弱か。ちなみに菜の花台の標高は550メートルとのこと。
 そんなことより菜の花台からの眺望である。驚いてしまった。西には富士山、眼下には秦野盆地。ま、ここまでは予想通りだが、遠くに薄青く続いているのはなんと相模湾ではないか。逆光に霞んでいるとはいえ、東の方に江の島の島影がはっきり認められるし、その彼方には三浦半島も望まれる。視線を西へ動かしていくと小田原の市街や箱根の山々、真鶴半島、伊豆半島まで相模湾のほぼ全体が見渡せるのだ。まさかこんなにすごい景色が眺められるとは思わなかった。
 駐車場にはクルマやバイクもたくさん来ているほか、僕以外にもマウンテンバイクなど自転車ツーリングで来ているのが数名。みんなこの大パノラマに感動している。でも、ロードバイクの皆さんだけはどれほどの絶景が広がっていようと目もくれず、ノンストップで峠めざして上っていくのだった。トレーニングだからね。お疲れさんです。

 (菜の花台より)

(菜の花台より茅ヶ崎・江の島方面)

  菜の花台こんな画像を見つけました。必見!


 ところで、写真を撮っていて、カメラのバッテリーがかなり消耗していることに気がついた。事前にしっかり充電しておくべきだったが、もう遅い。これからもカメラに収めたくなるような素晴らしい景色にたくさん出会う予定なのだが…。

 とにかく、9時30分に出発。休憩のおかげで勾配もさほど気にならなくなり、わりと快調に進む。
 連休中なので自転車だけでなく、行楽のクルマやツーリングのバイクも頻繁に行き交っているが、驚いたのは、反対車線をなんと一輪車で下ってくる兄さんがいたということ。山の向こうから峠を越えてきたのだろうか。上りも大変そうだが、下りはもっと怖そうだ。

 9時53分、秦野駅から寄り道も含めて17.9キロで、ついにヤビツ峠に到着。標高761メートル。大山の西側に位置する峠である。「ヤビツ峠」とカタカナ表記するのが一般的だが、漢字では「矢櫃峠」と書くらしい。戦国時代にここで相模・北条軍と甲斐・武田軍の戦いがあり、その時の矢櫃(矢を入れる筒)が林道開削時に発掘された、という伝承があるのだが、ここで合戦があったという史実はないともいい、真偽のほどは分からないようだ。
 地名の由来はともかく、とにかくヤビツ峠を制覇した。ここまで秦野駅からバスの便があり、バス停とトイレと売店がある。先ほど僕を抜いていったロードバイクのチームもさすがにここでは休んでいる。見晴らしはイマイチ。助かった。カメラのバッテリーはたぶんあと数枚分で力尽きそうなのに、ここで絶景が広がっていたら、また写真をたくさん撮りたくなってしまう。とりあえず1枚だけ撮っておく。

(ヤビツ峠)

 秦野駅からの路線バスが到着し、ハイカーがたくさん降りてきた。ここからは大山などへの登山道が通じているのだ。僕もちょっとだけ階段を上って、木々の間から遠く海が見えるのを確認してきた。

 
 帰宅後にインターネットで「ヤビツ峠」を検索してみたら、多くの自転車乗りのページが見つかった。ロードバイクの絶好の練習コースということで、名古木~ヤビツ峠のタイムを計測するのがお決まりのパターンらしい。峠に着いたらすぐ名古木まで下って、また上るなんていうのも普通のようだ。みなさん、40分前後で上ってしまうというから凄い。どうりで絶景の菜の花台もノンストップで通過していたわけだ。ちなみに僕は首塚や菜の花台の寄り道は差し引いても1時間15分はかかった。まぁ、僕の場合はレースに出るわけではなく、あくまでも自転車の旅を楽しみたいのだし、何よりも自転車の魅力はいつでもどこでも停まれる自由にあると思っている。


 ウグイスがさかんにさえずるヤビツ峠を10時05分に出発。ここからはひたすら下りのはず。あとは重力に任せればよい。
 たちまちグングン加速していくが、見通しの悪いカーブが連続するので、あまり飛ばすと怖いし、危険だ。しかも、秦野側に比べて道幅がぐっと狭くなった。ほとんど1車線しかない。なるべくスピードは抑え気味に、それでも時速30~40キロぐらいでどんどん下る。
 すぐに湧水のある茶店などがあり、けっこう賑わっていた。上りの途中なら絶対立ち寄るが、下り始めたばかりなのでノンストップで通過。
 道に寄り添うように渓流が水音をたてている。相模川の支流である中津川の源流部だろう。いかにもミソサザイがいそうだな、と思ったら、やはりあの長くて複雑な歌声が聞こえてきた。「チョチョビー」とセンダイムシクイも鳴いている。秦野側より野鳥が多いようだ。こういう中を走るのは最高に気分がいい。ポポ、ポポ、ポポ、ポポというツツドリ(カッコウの仲間)の声も聞こえたし、ウグイスの仲間ヤブサメもシシシシシシシシと虫みたいに鳴いている。そして、ついに憧れの青い鳥、オオルリのさえずりも耳に届いた。しかも、オオルリはあちこちで鳴いている。姿は見つからなかったけれど、とてもゼイタクな気分になる。

 秦野市から清川村に入った。神奈川県内唯一の村だそうである。新緑も一段と鮮やかで、山はもうピカピカに光っている。道もいい雰囲気があって、いかにも写真を撮りたくなるような景色が次々と展開する。電池切れになっても、携帯電話のカメラがあるから、まあいいか、と考え、写真を撮っていたら、3枚撮ったところで力尽きた。

(ピカピカの新緑!!)

(この1枚でカメラのバッテリーは力尽きた…。ここから先はケータイのカメラで撮影)


 幾筋もの沢の水を集めて、深い峡谷を刻む中津川に沿って、崖っぷちにへばりつくような道を右に左にカーブを切りながら下っていく。清川村に入ってすぐの札掛という土地(モミの原生林がある)で橋を渡ってからはずっと右側が谷、左が崖である。
 大洞トンネルを抜け、さらに塩水トンネルをくぐると、左に林道を見送り、中津川の支流・塩水川を渡る。渓流釣りを楽しむ人の姿もちらほら。
 すごい山奥だけども、さすがに首都圏だから、行楽のクルマも通る。すれ違いは困難で、両方からクルマが来ると、どちらかが少し幅の広い待避所までバックして道を譲らねばならない。小さな渋滞が生じる。自転車も待機させられる。

 (塩水トンネルと塩水川)

 (中津川渓谷に沿って)


 マス釣り場のあるキャンプ場を過ぎ、やがて右手に宮ヶ瀬湖が見え始めた。中津川をせき止めたダム湖である。首都圏では最大級という宮ヶ瀬ダムの完成は2000年12月、運用開始は2001年4月だからまだ7年前だ。道路も急に2車線の立派なものになった。ここまで走ってきたルートの続きの古い道は今はもう湖の底である。

 ところで、宮ヶ瀬といえば、中学生の時に遠足で来たことがある。中津川渓谷で飯盒炊さんをしてカレーライスを作ったほか、川で魚釣りもした。当時、クラスで釣りが流行っていて、僕も安物の竿を持っていったのだ。ふだんは多摩川でクチボソみたいな小物を釣っているばかりで、渓流釣りの経験もなかったし、専用の仕掛けも持っていなかったのに、なぜか小さな魚が釣れたのを覚えている。そんな思い出の場所もすべて湖の底に沈んでしまった。

(宮ヶ瀬湖。対岸に見えるのは伊勢原・厚木方面の県道64号線)


 湖畔の道で今日初めてキビタキのやわらかな歌声を聞いて、11時20分頃、宮ヶ瀬のT字路にぶつかった。このあたりの標高は大体300メートル前後だから、ヤビツ峠から450メートルほど下ってきたことになる。湖底に沈んだ旧宮ヶ瀬集落の代わりに山の中腹を切り開いて新しく造成された土地だから何もかもが新しい。空も広い。ここまで深い山の中の道を大自然に圧倒される思いで辿ってきたのに、ここにあるのは逆に人間が圧倒的な文明の力で自然を大改造した後の風景である。まるで、人間と自然の力関係が逆転してしまったかのような印象だ。もっとも、両者の力関係が本当に逆転するなんてことはありえないわけだけど…。



 とりあえずT字路を右へ行くと、すぐに歩行者用吊り橋のある湖畔の園地に出た。ここでちょっと休憩。
 あとは湖畔をぐるっと回って、ダムを見物して帰るつもりだが、帰りのルートはいろいろある。北へ行って中央本線の相模湖駅まで行くか、東へ行って京王線の橋本駅に出るか、あるいは南下して小田急線の本厚木駅あたりに抜けるか…。しかも、どちらへ行くにせよ、考えられるルートは複数あるのだ。ちなみに、中学の遠足の時のバスは中央自動車道から相模湖の湖畔を通って中津川渓谷へ入った。確かバスの運転手が途中で道に迷ったという記憶がある。

 まぁ、どうやって帰るかはその時の気分で決めることにして、とりあえず宮ヶ瀬湖を一周してみよう。先ほどのT字路まで戻って、さらに時計回りに湖畔の道を行く。クルマ、バイク、自転車…とにかくたくさん走っている。行き帰りのルートがたくさんあるということは、それだけ便利な場所にあるということでもあり、おまけに東京や川崎・横浜からも40~50キロ程度の距離だから、宮ヶ瀬湖は今や首都圏の大観光スポットに成長しているのだ。しかも、連休中で、絶好の行楽日和。すごい人出なのは当然である。

 湖上にかかる「虹の大橋」を渡って、相模原市(旧・津久井町)に入り、北岸の鳥居原園地にやってきた。ここまでの走行距離は40キロ。売店や食堂があり、そろそろ昼が近いので昼食にしようと思うのだが、混んでいる。しばらく休憩しただけで、再び走り出す。
 ここから湖の北東端に位置する宮ヶ瀬ダム方面へは「北岸林道」が通じていて、日中は一般車にも開放されている。林道といっても、舗装された立派な2車線道路である。ダム湖らしく出入りの激しい湖岸線を行くので、入江を渡る橋と長いトンネルが連続するが、トンネルは内部の照明が暗くて、ライトをつけていても、路面が見えづらく、ちょっと怖かった。
 道はいったん湖岸を離れ、愛川町に入って、やがて服部牧場という看板があった。観光客の姿が見えるので、見学できるのかと寄ってみると、ここもすごい人で、駐車場も満杯。観光牧場なのだった。
 牧場としてはホルスタインやジャージー牛の飼育がメインのようで、新鮮なミルクを使ったアイスクリームやジェラートが人気らしい。僕も行列に並んでジェラートを味わう。とにかく初夏の陽気で暑い。ほかにもヤギや羊、豚、馬、ニワトリなどさまざまな家畜がいて、なかなか楽しめる。それにしても、あたりは高原のような風景で、神奈川県にこんなところがあるとは知らなかった。




(人があまり写らないように撮影したけれど、実際は観光客だらけ。自前のセーター着用の羊さんたちはみんな暑そう)


 服部牧場で50分ほど過ごして13時10分に出発。急坂をどんどん下って県立「あいかわ公園」に着く。
 ここは宮ヶ瀬ダム完成に合わせて造成された自然豊かな公園で、宮ヶ瀬ダムのすぐ下の河岸段丘上にある。駐輪場に自転車を止め、園内に入ると、フィールド・アスレチックや水遊びができる池などがあり、家族連れで賑わっている。
 園路をどんどん下っていくと、宮ヶ瀬ダムの下流に造られた石小屋ダム。そして、彼方には首都圏最大という巨大な宮ヶ瀬ダムがドーンとそそり立っている。高さ156メートル、幅375メートルだそうだ。谷の両岸を結ぶこの巨大構築物が中津川の水をせき止めているわけである。
 圧倒的なダムサイトのすぐ下にかかる新石小屋橋を渡って左岸から右岸に移り、ダムの直下へ行くと、ここからインクライン(ケーブルカーみたいなもの。大人300円)またはダムサイト内部のエレベーター(無料)でダムの上まで行ける。愛車を置いてきたので、また戻ってこなければならないが、とりあえず無料のエレベーターでダムサイトの上に昇ってみた。ちなみに下の乗り場の標高は170.25メートル、ダム上の標高は290.0メートルとのこと。エレベーターの標高差は120メートルということになる。
 さっそく展望所から真下をのぞくと、さすがにちょっと怖い。ダムから放水された中津川の水はここから東へ向かい、やがて南に向きを変えて、相模川に合流し、相模湾に注ぐわけである。
 そして、ダムの反対側が宮ヶ瀬湖。面積4.6平方キロメートルは東京ドーム100個分、貯水量は約2億立方メートル、満水時の水面標高は286メートルとのこと。ちなみにダム建設による水没で281戸が移転を強いられたそうだ。

 (ダムサイト上から。左岸側が「あいかわ公園」)

(ダムから見た宮ヶ瀬湖。湖の右側に見えるのが北岸林道)

  宮ヶ瀬ダム周辺振興財団ホームページ(ライブカメラもあります)


 ダムからのスケールの大きな眺めを楽しんで、さてどうするか。ここまで来る間に帰りは厚木方面に出ようと決めていて、ダム上から湖岸に沿って続く道を行きたいわけだが、自転車はダム下のあいかわ公園に置いてきた。愛車をどうやってダム上に連れてくるか、である。
 案内地図によれば、ダムの左岸側に管理用道路があってダム下に通じている。ただし、この道は一般車は通行不可なのだ。とりあえず、そちらへ行ってみると、観光客が歩いていて、途中から分かれた散策路を通って「あいかわ公園」まで徒歩で下りていけた(ほとんど階段)。途中に「風の丘」というなだらかな芝生の丘があり、そこからダムサイトの写真を撮る(右写真)。

 さて、あいかわ公園の駐輪場に戻り、再び自転車の人になった。とりあえず、服部牧場方面に引き返すと、途中で管理用道路の入口があった。一般車が進入できないようにゲートが閉じられているが、歩行者は通れるようで、ゲート脇の歩行者用通路は開放されている。自転車が通行禁止の「一般車」に含まれるかどうか知らないが、進入できないことはない。警備員などもいない。少なくとも自転車を押して歩けば問題はないだろうと考え、ゲート脇を通り抜け、結局、そのままダムサイト上まで行けた。そして、幅400メートル近いダムを横断したところにある「水とエネルギー館」をちょっとだけ見学して、再び自転車に乗って走り出したところで、「駐車場までは自転車を押して行ってください」と警備員に注意された。

 宮ヶ瀬ダム右岸側の駐車場で改めて愛車に跨り、西へ向かって走り出す。ここからは再び清川村で、先ほど走った北岸林道を対岸に見ながら橋とトンネルの連続で行くと、針路はだんだん西から南に転じ、宮ヶ瀬湖にかかる「やまびこ大橋」の袂で県道64号「伊勢原・津久井線」に合流。さらに湖岸に沿って南下していくと、湖の南端部が土山峠。標高300メートルだそうだ。
 昔は伊勢原方面から上ってくると、この峠を越えて谷底へ下る旧道があったのだろうが、宮ヶ瀬湖ができた今は峠の北側はずっと標高300メートル前後の地点を道路が通っているので、上ってきたという実感はまるでないまま峠を通過。ここから南はずっと下り坂である。
 ハイキング帰りの人たちがバスを待つ停留所を次々と通過して、ビュンビュン下り、役場のある清川村中心部を通り、尾崎という土地で伊勢原方面へ続く県道64号線から県道60号線に入って厚木市街をめざす。この道は2年前の春に通った道である。
 小鮎川の清流に沿って下って、清川村から厚木市に入ってすぐに、なんと道路際に「クマ出没注意」の標識があった。本当だろうか?!
 途中にある坂東33カ所観音霊場(先月27日にすべて巡拝達成)の第6番札所・飯山観音に立ち寄り、2度目の参拝をして、結局、小田急線本厚木駅前に着いたのは16時ちょうどだった。ここで思い出したのだが、昼ごはんを食べるのを忘れてた!!
 本日の走行距離79.3キロ。


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