宇登呂~浜小清水   1998年8月12日


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     恐怖の坂道

 知床半島のオホーツク海側の夜明けはどこか白々としている。朝日が知床連山の背後に隠れて、こっそり昇るから。

(人口密度の高いキャンプ場。でもまだ静か)

 2泊した「しれとこ自然村」を6時半に出発。この丘の上のキャンプ場は温泉もあって、居心地がよかったが、海岸の国道に通じる急坂だけが自転車には辛い。上りは自転車を押して歩かないと(僕には)上れないし、下るにしても、ものすごい急勾配で、しかもデコボコの砂利道。さらに途中に急カーブまであり、おまけに今は重い荷物を積んでいるからバランスを崩しそうで、転倒しないかとヒヤヒヤする。その上、震動がハンドルから腕を通じて首に伝わり、鞭打ち症になりそうでもある。
 その恐怖の坂道を一気に下って、海岸に出れば、あとはスイスイ。まだ車の往来も少ない国道334号線を斜里方面へ走る。
 薄青いオホーツク海は波も穏やかで、頬を撫でる風も清々しく、自転車に積んだ荷物の重さももう気にならない。
 まだ眠っている宇登呂の街を走りぬけ、亀の形にそっくりなチャシコツ岬を過ぎれば、当分はもう人家もほとんどない。
 快調に飛ばしていると、追い抜いていくクルマの窓から観光客らしい女の子が手を振ってくれた。

     オシンコシンの滝

 やがて、「三段の滝」の看板があり、左手の崖から沢の水が勢いよく流れ落ちていたが、ここは横目に見ただけで通過。この先にはもっと大きなオシンコシンの滝が待っている。
 その有名な滝があるオシンコシン岬が近づいてきたら、ここであえて国道から左へ逸れて、山林の中を上っていこう。
 現在のメインルートはあくまでも海岸を進み、岬を立派なトンネルでぶち抜いているが、これから行くのはトンネル開通以前の旧道で、岬の上を越え、オシンコシンの滝を見下ろす位置を通るのだ。
 もはや通る車もなく、小鳥のさえずりだけが聞こえる林の中をのんびり上っていくと、意外にも岬の上にホテルなどがあり、岬の背を越えたところで、小さな橋を渡る。
 橋の下を流れるのはチャラッセナイ川。清冽な水が迸るように幾筋にも分かれて崖下へ滑り落ちている。それが「日本の滝100選」にも選ばれたオシンコシンの滝である。そこにバス停があったから、路線バスはわざわざ旧道を経由するらしい。

 

 眼下に見える国道には駐車場が整備され、日中は観光バスやクルマやバイクがひっきりなしに停車する宇登呂・斜里間では唯一の観光名所になっている。僕も去年は大勢の観光客に混じって下から滝を見上げたが、正直なところ、それほどの滝とは思わなかった。
 しかし、この旧道からだとオホーツク海と滝を同時に眺めることができるし、周囲の木々の緑や真っ白な滝の水が朝日に照り映えて、なかなか見事な美しさである。
 下から観光客が滝を見上げ、カメラを構えている。ファインダーの中に滝と一緒に小さく僕の姿が収まっているはず。あいつ邪魔だなぁ、と思われているに違いない。

     トド

 さて、オシンコシンの滝をあとに坂を下ると再び海辺の国道に合流。すぐに記憶に残る海岸を通りかかる。目印は消防車。

 ちょうど1年前にここを通った時、あの消防車が置いてある海岸にトドの死骸が打ち上げられていたのだ。体長が3メートル近い、かなりの大物で、死後どれくらい経過しているかは不明ながら、すでに腐敗が始まって異様に変色し、口元と後肢の先は骨がのぞいていた。
 あれはその後、一体どうなったのだろう。町の環境衛生課のような部署がきちんと処理したのか。それとも、そのまま放置され、カラスやキツネのご馳走にでもなったのか。
 何か痕跡が残っているかもしれない。そう思って、わざわざ自転車を止めて、石ころ海岸へ下りてみた。

 トドはまだそこにいた。完全な白骨と化して…。
 誰がそうしたのか、板の上にきれいに並べられた骨は朝日を浴びて輝くように白い。あれだけの巨体が腐乱して白骨化するまでには相当凄まじい光景が展開したはずだが、今となってはもう清らかなものである。あまりにきれいなので、拾い上げた骨を1本、リュックに忍ばせたい欲求に駆られたが、それは止めて、周辺に散らばった骨も板の上に並べてやった。それにしても、これだけ巨大な動物の死骸が1年経っても、そのまま放置されているとは、やはり地の果て・知床というべきかもしれない。

     ツバメのマンション

 それからはもう坦々としたサイクリング。昨年タイヤがパンクした地点も無事通過して、スタートから20キロほどで日の出という土地にさしかかる。ここにレストハウス知布泊という喫茶店があったので、ちょっと休憩。時刻は8時10分。

(レストハウス知布泊)

 モーニングセットを頼み、海の見えるテラスで過ごすひとときは僕の旅の中では珍しく優雅な時間である。
 店の軒下にはイワツバメの巣がずらりと並び、とても賑やか。店のおばちゃん曰く、
「ツバメのマンションになっているの」
 とのこと。店内の壁には作家・立松和平氏の色紙が飾ってあった。8時45分に出発。

     以久科原生花園

 昨年キャンプをした峰浜を過ぎると知床半島も終わりで、ここからはジャガイモや小麦やビートやトウモロコシの畑の中を行く。釧路・根室地方は夏も寒冷で農作物は育たないから牧草地ばかりだったが、このあたりは豊かな畑作地帯である。整然と並ぶカラマツの防風林がいかにも北海道らしい。
 雄大な裾野を広げる斜里岳は山頂を雲に隠し、その全容を見せてはくれない。
 途中、分岐点でチャリダー青年に網走方面への道を聞かれ、教えてあげる。彼が乗っているのは、いわゆるママチャリ。けさは岩尾別ユースホステルからで、これからサロマ湖まで行くという。結構な長丁場だから、なかなか大変だ。
 ひたすら目的地をめざす彼を見送り、僕は以久科(いくしな)原生花園に寄り道。

 

 オホーツクの穏やかな波が寄せては返す浜辺の砂丘は夏草に覆われ、わずかにハマナスやエゾフウロやクサフジが咲いているだけ。原生花園というには寂しいが、東京から来たという中年女性が1人、熱心に花の写真を撮っていた。
 いま走ってきたばかりの知床半島が蒼白く霞んでいるのを見はるかすと、この旅がひとつのピークを過ぎたのだという、ある種の虚脱感が去来するが、先はまだ長い。


     斜里町立知床博物館

 9時45分に斜里の市街に着き、町立の知床博物館を訪れる。
 いわゆる郷土資料館で、知床の自然とそこで暮らしてきた人々の民俗を紹介する膨大な資料、野生生物の剥製標本、映像展示など、かなりの充実ぶり。去年も立ち寄ったが、またまた最初から最後まで熱心に見学してしまい、館外へ出たところで、「しれとこ自然村」で最初の晩に同宿し、一緒に食事に出かけた埼玉の青年と顔を合わせた。
 彼は昨日宇登呂からオシンコシンの滝まで10キロ近く歩いた後、ヒッチハイクをしたら、乗せてくれた人たちと一緒に峰浜のキャンプ場で一夜を過ごすことになり、けさは斜里駅前まで送ってもらい、今は町なかをひとりで散策しているところだという。
 この博物館には屋外施設もあって、事故などで傷ついた動物や鳥類が保護飼育されているので、彼と一緒に見にいく。
 鳥類保護舎には翼を傷めたオオワシなどが収容されていた。元気になればまた大空を舞う日もくるのだろうが、王者の風格を持つこの巨大な鳥たちにとって、この国の環境は悪化の一途をたどっている。近年は「有害動物」として駆除されたエゾシカの死骸を食べ、シカの体内に残った銃弾による鉛中毒で死亡するワシが急増しているそうだ。
 ここにはまた交通事故で重傷を負ったエゾシカもひっそりと暮らしている。立派な角を持ったオスジカが奇妙に折れ曲がったままの後脚を引きずって歩く姿は哀れでもあり、健気でもある。彼は去年もここにいた。もう自然に戻ることはないのだろう。抗議の声を上げることもできず、運命をただ受け入れるしかない。すべてを諦めたような静かな黒い瞳が妙に悲しい。
 隣で埼玉の彼がこんなところで「エゾシカを見るのはこれが初めて」なんて言う。これまたちょっと寂しい話である。

     止別

 さて、彼と別れて、再び自転車の人となる。
 JR釧網本線の斜里駅(いつのまにか知床斜里に改称されていた)の前を過ぎ、斜里川を渡り、やがて国道244号線に出る。

 
(むかし歩いた未舗装の道をちょっとだけ走ってみる。左は海別岳。右は雲をかぶった斜里岳)

 この一帯の道は広大な農場がどこまでも広がって、北海道を旅する喜びを存分に感じさせてくれる。道端にクルマを停めて景色をカメラに収める人も見かけたから、きっと誰でも同じような感動を味わえるに違いない。

(浜小清水まであと11キロ)

 かつて斜里から列車で2駅先の浜小清水までの区間、約20キロをずっと歩いたこともあるので、僕にとってはとても懐かしい風景でもある。
 青空の面積も広がって、夏らしい陽射しが降りそそぐ中、シアワセ気分いっぱいで走っていくと、斜里町から小清水町に入る。北海道の中でもとりわけ愛着を感じる土地である。今日は網走市の能取岬まで行こうと思っていたのだが、やっぱり浜小清水で一泊しようかという気になってきた。それなら、もう急ぐ必要はない。のんびり行こう。

 斜里から10キロほどで止別(やんべつ)の交差点。その交差点を右折すると、1キロほどで止別駅
 この閑散としたローカル線の小駅は合理化で駅員がいなくなった後、古い木造駅舎の内部がラーメン屋「えきばしゃ」に改装され、結構な人気を集めている。ちょうど正午を過ぎたところで、今日も店内は順番待ちの客が出るほどの混雑ぶりだったが、もちろん、みんなクルマで来ているのである。僕もカウンターの隅に席を見つけて、塩ラーメンを食べた。

 
(止別駅と北見鉄道分岐点跡の碑)


     オホーツク海岸道路

 昔、内陸の小清水市街まで北見鉄道という私鉄(昭和14年廃止)が通じていたという分岐点跡の石碑が残る止別駅前を13時に出発して、釧網線沿いに浜小清水へ向かう。

(釧網線の踏切)

 かつては原野の中を細々と続く土の道で、何度か歩いたり、スキーでたどったりしたのだが、今は立派に舗装され、2車線の町道「オホーツク海岸道路」に変身している。
 右に夏草の生い茂る海岸砂丘、左には広大な畑や雑木林を見ながら、自転車を走らせると、まもなくヤンベツ川を渡る。
 川のほとりにあった開拓農家の跡に屋根を失ったレンガ造りのサイロだけが今もオブジェのように残っている。

(草原のオブジェ)

 ヤンベツ川の対岸には、ナショナルトラスト「オホーツクの村」のヤチダモやカラマツの人工林。開発によって消えていった森を復元しようという取り組みの成果である。

 

 自転車を止めて、木漏れ日がゆらめく林の中に足を踏み入れたら、いきなり蜘蛛の巣に顔を突っ込んでしまった。自然とのふれあいは、えてしてこういうことになりやすい。

(オホーツクの村付近を行く釧網本線の列車)


     浜小清水・前浜キャンプ場

 線路沿いの道が再び国道と出合うと浜小清水駅前である。時刻はまだ13時半だが、やはりこの町に泊まろう。

(浜小清水駅)

 これまでは浜小清水へ来たら小清水ユースホステルに泊まるのが常だったけれど、今日は海岸の町営・前浜キャンプ場にテントを張ろう。
 管理人のおじさんに利用料金200円を支払い、砂浜に自転車ごと乗り入れ、さっそくテントの設営にかかる。ほぼ同時に着いた自転車のカップルは青森県からで、フェリーで室蘭に上陸後、襟裳岬を回って、ここまでやってきたとのこと。ほかに中学生のグループがキャンプをしているが、とにかく場所はいくらでもある。
 風が強くて、少し苦労したが、無事に今夜のねぐらが完成して、荷物を放り込むと、あたりの散策に出かける。浜小清水の美しい風景の中を自転車で気ままに走り回るという、夢のような時間が始まるのだ。昨年はうすら寒い小雨模様だったが、今日はまずまずの空模様。

 
(前浜キャンプ場と海岸に通じる踏切から見た浜小清水駅)


     小清水原生花園

 まずは国道244号線を網走方面へ向かおう。
 右にはオホーツクの海岸沿いに緑の砂丘が連なり、左には涛沸湖の瀟条たる湖面が草原の中に広がって、水辺には牛や馬が放牧されている。その狭間を道路と鉄道が並行して走っているのだ。

(涛沸湖)

 このあたりは小清水原生花園として知られ、小清水町の観光の目玉になっている。まもなくログハウス風の原生花園駅と駐車場があって、観光客で賑わっていたが、花はほとんど咲いていない。わずかにハマナスがちらほら残っている程度。すでにエゾキスゲエゾスカシユリエゾカンゾウセンダイハギなどが咲き乱れる最盛期は過ぎているせいもあるが、近年は周辺の農地からの外来植物の進出が著しく、原生花園の花の数が激減しているという話も聞いた。

ハマナスの咲く原生花園バス停)


     音根内

 涛沸湖が海に通じる湖口を渡り、網走市に入ると北浜駅。オホーツク海に一番近い駅として有名だ。その北浜で国道から左折して、涛沸湖の西岸沿いに内陸部へと進むと、道はやがて湖畔の低湿地から台地の上へと導かれていく。
 涛沸湖の南側は畑作地帯である。有名な美瑛ほどの起伏はないが、パッチワークのような丘の風景が展開し、なかなかいい感じ。ジャガイモや小麦、ビート、ニンジン、トウモロコシなどの畑がなだらかに、のびやかに広がり、薄青い空にそびえるカラマツや白樺の防風林が果てしない空間に整然とした秩序を与えている。
 林の切れ目からは涛沸湖の青い湖面がのぞき、その対岸の緑の砂丘の彼方にはオホーツクの水平線。こんな道なら坂道だって苦にはならない。道端に咲く草花にも目を向けながら、のんびりと自転車を走らせ、至福のサイクリングである。

 

 

 昨年、たまたま通りかかって内部を見学させていただいた上、校長先生にお話まで伺った網走市立音根内小学校。数年前にドラマ「みにくいアヒルの子」の撮影にも使われたというこの古い小学校も近い将来、周辺校との統合により廃校になるという。遠い時代からこの土地の移り変わりを見つめてきた木造校舎をもう一度眺めて、さらに走る。

 
(網走市立音根内小学校)

 1997年の訪問記


     網走市の農村地帯

 かつてフクロウに出会った雑木林が完全に消滅して農地に変わっていたのには軽いショックを受けたが、小さな集落を通るたびに、地元の子どもたちが「どこまで行くの?」とか「なにやってるの?」などと関心を向けてくれたのは、この土地との間に小さな繋がりが生まれたようで、孤独な旅行者としては、ちょっと嬉しかった。

 


 

 

 
(涛沸湖)

 涛沸湖の奥地に広がる大地を気ままに走り回ってから、湖のくびれた部分に架かる平和橋を渡る。ここが網走市小清水町の境界になっているが、橋の周辺にはなぜかハクセキレイが10羽以上も集まっていて、ここでしばらくバードウォッチング。ヨシの生い茂る岸辺にはアオサギの姿もあった。

     浜小清水の夕暮れ

 懐かしい小清水ユースホステルの前をいくらか人恋しさを感じつつ走り過ぎて、浜小清水の集落に戻り、食料品店で買い物をした後、浜小清水駅へ寄って、駅のレストラン「汽車ポッポ」で夕食。 

(浜小清水・前浜キャンプ場の夕暮れ)

 それからキャンプ場へ戻り、月見草(マツヨイグサ)が咲き始める頃、海岸砂丘の頂上にあるピラミッド形のフレトイ展望台から夕陽が沈むのを眺めたら、あとはもうすることもない。
 炊事場では中学生たちが楽しげに夕食の支度をしているが、こちらはテントの中で寝袋にもぐり込んで、波音を聞きながら地図を眺める。やっぱりユースホステルに泊まったほうが楽しかったかなぁ、とも考えたが、仕方がない。

 夜が更けて、テントの外に出てみると、星空が広がっていて、しばらく見上げていたら、スッと星が流れた。しばらくして、またひとつ。さらにまた…。結局、三つか四つは流れたようだが、なかには気のせい、というのもあったかもしれない。風が冷たくなってきた。首も痛い。もう寝よう。
 今日の走行距離は103.0キロ。


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