大荒れのラストコース(宇登呂~網走)  8月11日

 知床半島をあとに今回の最終目的地・網走をめざしましたが、なかなか大変なラストコースとなりました。

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     知床をあとに・・・雨の中でパンク

 知床のキャンプ場を出発したのは6時45分。気温22度。曇り。天気はまた下り坂のようだ。
 静かな宇登呂の街を抜けて、まもなく雨がポツポツと落ちてきた。今のところ、大したことはないが、弁財岬の覆道で念のためサイドバッグにレインカバーをつけ、テントもビニール袋でくるんでおく。
 すぐ止むかと思った雨はなかなか止まない。知布泊ではリュックにもレインカバーをつけ、知床半島の基部に位置する峰浜ではレインウエアの上を着る。
 雨はだんだん強くなり、朱円でレインウエアのズボンも穿いて、もう完全防水態勢になった。そして、水飛沫をあげて突っ走っていると、あろうことか、以久科(いくしな)で後輪がパンクした。工事区間で砂利が散乱していて、それを踏んでしまったせいらしい。今度の旅は一度もパンクしなかったなぁ、なんて考えていた矢先の出来事である。しかも、雨の中のパンクなんて最悪としか言い様がない。
 あたりは見渡すかぎりの畑だが、不幸中の幸いというべきか、100メートルほど戻った地点に西3線というバス停の待合小屋があったので、そこまで自転車を押して引き返す。

(西3線バス停でパンク修理)

 刈り入れの終わった小麦畑に面したトタン張りのボロ小屋で、重心を移動すると小屋全体がグラッと傾く。小屋ごと畑に転げ落ちるかと一瞬あせった。天井からは雨の滴がポトポトと落ちている。時刻は9時25分。

     斜里で雨宿り

 タイヤチューブを予備のものに交換し、しばらく雨宿りをして10時過ぎにまた走り出す。
 20分ほどで斜里市街に入り、JR釧網本線の知床斜里駅に到着。駅は旅人の心の拠りどころであり、ホッとする。
 レインウエアを脱いで、ベンチに座り込むと、再び走り出そうという気にはなかなかならない。今回の自転車ツーリングは40キロ先の網走をゴールにして、大きな荷物は宅配便で東京に送り、あとは列車で輪行して帰るつもりだが、もうここで打ち切りにしようかとも考える。
 とりあえず、自転車を駅前に残し、傘をさして街に出て、近所のスーパーで寿司を買ってきた。たしか700円ぐらいだったが、美味かった。

     またパンク!

 1時間以上休むうちに雨が小降りになった。ようやくまた走ろうか、という気になってきた。再びレインウエアを着て、出発。
 市街地を抜け、斜里川を渡り、国道244号線に出て、また見渡すかぎりジャガイモ畑や麦畑が広がるなかを行く。雄大な裾野を広げているはずの斜里岳はまったく姿が見えない。
 またしてもシャワーのような強い雨になった。南風も強いが、その南の空が少し明るいのは天気が回復する兆しだろうか。いくらか心も明るくなる。
 ところが、なんとまた、後輪からゴツンゴツンという硬い震動が伝わってきた。オイオイ、またですか?
 やはりまたパンクである。一体どうなっているのか?! 過去の旅も含めると、斜里町内でのパンクはこれが3回目である。

 幸いにもまた近くにバス停があった。斜里町美咲3号6線という停留所で、ログハウス風の新しい待合小屋がある。立派な造りで、ここなら寝泊りもできそうだ、とすら思う。

(3号6線バス停でまたパンク修理)

 ちなみに停留所の名前はさっきの西3線もそうだが、道路の番号で、「3号6線」とは3号(正確には南3号)と6線が交わる地点を示している。
 このあたりは碁盤の目のように開拓農道が整備されていて、東西方向が「号」で、南北方向が「線」である。北海道でも札幌をはじめ都市部では「条」と「丁目」の組み合わせで場所を表わすことが多いが、農村部はたいてい「号」と「線」である。無味乾燥だが、北海道らしさも感じる。

 とにかく、居心地がいいので、レインウエアも脱いで、すっかり寛ぎ、ラジオをつける。札幌の放送局の番組で、田中義剛がゲストで喋っている。
 今回は予備チューブを2本用意していたので、またもや交換(もうパンクしませんように!)。修理はすぐ終わったが、しばらく雨宿り。窓の外を飛沫をあげて行き交う車をぼんやり眺めているうちに、雨がほぼ上がり、薄日も射してきた。

     浜小清水

 結局、1時間以上休んで、13時25分に出発。なおも国道を西へ向かう。
 斜里町から小清水町に入り、止別の交差点で外国人チャリダーとすれ違い、そこを右折。ラーメン屋になっている止別駅の前を過ぎて、海岸砂丘に沿って鉄道線路と並行して進む。この辺はもう馴染みの道である。

 止別川の河口にかかる橋を渡り、開拓地を買い上げて森林を復元したナショナルトラスト「オホーツクの村」を左に見て、まもなく浜小清水の集落で再び国道に出会った。

 浜小清水では過去に通算12泊もしていて、広い北海道の中でもとりわけ愛着のある土地だったが、最近はずいぶん様子が変わってしまった。
 昨年、ここを通った時は思い出の多い浜小清水駅の駅舎が取り壊されていて、ショックを受けたものだが、その跡がどんな風になったかと思っていたら、やけに立派な建物が完成しつつあった。ただの駅舎ではないようで、「葉菜野花」なんていう看板が出ている。これで「はなやか」と読むのである。あとで知ったことだが、これは小清水町活性化センターとかいう公共施設で、道の駅「はなやか(葉菜野花)小清水」も兼ねるそうだ。

 浜小清水駅の変遷(上段左から1981年、1997年。下段左から1999年、2000年)
 

 

     古樋(フレトイ)駅逓跡

 その浜小清水駅前を過ぎると、まもなく道端の窪地に「古樋駅逓跡」の碑がひっそりとあった。以下は小清水町教育委員会が立てた説明板の記述。

「この駅逓は、明治19年、網走根室間の道路開通により設置され、塚本命吉氏が駅逓取扱人となり、駅逓所属の牧場12万坪で、牛馬を飼育していた。駅逓は、旅人宿、食糧品取扱を主な業務とし、移住者のための便宜をはかり、北海道開拓の大きな原動力となった。しかし、その後、交通の発達にともない、この駅逓も、昭和4年に廃止となった」

 ちなみに古樋(フレトイ)とはこの土地の古い地名である。今は浜小清水駅に近い海岸砂丘にフレトイ展望台というのが建てられ、失われた地名が辛うじて保存されている。

     再び雨宿り

 さて、浜小清水は今回はもう素通りするつもりだったが、そうもいかなくなった。行く手に暗雲が立ち込めたかと思うと、たちまち大粒の雨が落ちてきたのだ。
 そばにあった食堂に避難して、ラーメンを注文した頃には窓の外は真っ白になるほどの凄まじい土砂降りになっていた。網走まであと20キロ。なかなかスムーズに進めない。

 ラーメンを食べ終わる頃には雨もまた上がっていた。しかし、雨雲が波のように次々と押し寄せてくるようで、いつまた降り出すか分からない不安定な空模様である。でも、とにかく走るしかない。




     音根内小学校

 網走まではこのまま国道を海沿いに行けばいいが、ここはあえて遠回りの道を選ぶ。
 涛沸湖の手前を左折し、何度も泊まった小清水ユースホステル前を通過し、涛沸湖のくびれた部分にかかる平和橋を渡って、小清水町から網走市に入り、内陸の農村地帯を行く。美瑛の丘をなだらかにしたような風景が広がっている。
 昔、このあたりをずいぶん歩き回ったものだが、土の道が今はきれいに舗装され、雑木林もどんどん開発されて畑に変わった。もうこのあたりには自然の風景はほとんど残されていない。

 


 網走市音根内は雄大にうねるジャガイモや小麦やカボチャやタマネギやビートなどの畑とカラマツの防風林に囲まれた小さな集落である。
 その中に網走市立音根内小学校がある。いや、あった。3年前にたまたま通りかかった折、昔ながらの木造校舎に惹かれて自転車を停めると、敷地内に住む校長先生の奥さんが出てきて、校内を見学させていただいた上、校長室にまで通され、校長先生から色々とお話を伺うこともできたのだ。「みにくいアヒルの子」というテレビドラマの撮影にも使われたそうだが、近隣の小学校との統合で、閉校が決まっているという話であった。
(当時の訪問記はこちら

 その音根内小学校がどうなったか知りたくて、また訪ねてみた。

 
(誰もいない小学校)

 あの木造校舎は健在であった。草むした校庭もブランコや滑り台もそのままだ。でも、子どもたちや先生の姿はなく、道路に面して新しい看板が立っていた。

 「さようなら音根内小学校 たのしい思い出ありがとう 平成12年3月」

 敷地の一角にはすでに「網走市立音根内小中学校之跡地」の立派な碑も造られている。厳しい風雪に耐えながら、開拓者の子どもたちを見守り続けたあの校舎もいずれ取り壊され、まさに跡地を示す石碑を残すだけになってしまうのだろうか。
 その石碑には校歌が刻まれていた。

     校歌   作詩 柳沢英一  作曲 新野仁助

 一、あしたに雄々しく斜里岳の       二、ルリの波よる涛沸湖
   夕べにやさしい藻琴山            白鳥のつばさてり映えて
   ひろい大地にいだかれて          オホーツク海も限りなく
   未来を胸にのびていく            希望を胸にだいていく
   ああ、わが母校さかえあれ         ああ、わが母校すこやかに

 
(2000年春に廃校となった音根内小学校)

 (音根内小学校の校舎は2002年7月に取り壊されたそうです)

(涛沸湖)

     北浜駅にて

 
音根内をあとに涛沸湖の南岸を回り、海に面した北浜で国道と再会した。
 そこにオホーツク海に一番近い駅として有名な北浜駅がある。小さな木造駅舎の事務室を改造した喫茶店「停車場」で休憩。コーヒーとチーズケーキを注文する。時刻は16時半。



 薄暗い店内にはジャズが流れている。このトランペットはチェット・ベイカーだろうか。晩年の彼がイタリアで吹き込んだ「ブルー・イン・グリーン」がたまらなく聴きたくなる。東京に戻ったら、真っ先にあのCDを聴こう。旅の終わりが近づくと、その寂しさがこんな風に旅の後の楽しみを探し求める心の働きを生むのかもしれない。


     
網走

 北浜から網走までは猛烈な向かい風であった。しかも、網走市街に入ったところで、再び強い雨が降り始めた。
 真正面からの吹き降りの中、ノロノロ運転で、18時過ぎにようやく網走駅前にゴールイン。特に感慨はない。街なかの電光温度計によれば気温は19度。とにかく、どこかに落ち着きたい(写真は翌朝撮影)。



 網走駅には軒下で泊まろうというチャリダーたちが何人も場所取りをして、早くも寝袋を広げていた。みんな、こういうところで寝ているのか。一瞬、彼らの仲間入りをしようかとも考えたが、思い直して、繁華街に近いビジネス旅館に投宿。素泊まり4,000円。
 本日の走行距離は96.9キロ。旅の通算では1,235.5キロになった。北海道自転車旅行はこれで終わり。明日からは列車の輪行で東京をめざす。


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