筑波山ツーリング 1997年10月10日~11日


   

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 今日は体育の日なので、自転車で茨城県の筑波山まで行ってみることにした。
 筑波山は父方の祖父が晩年に家を建てて住んでいた地であり、子どもの頃から何度も登った山である。祖父が亡くなった後も家は残ったので、毎年の夏休みやゴールデンウィークには必ず行っていたし、それ以外にも週末を利用してしばしば出かけた。泊りがけの家族旅行の行き先といえば、ほとんどが筑波山だったといっていいほどである。
 しかし、家族揃って旅行する機会がなくなるとともに、筑波山へも足が遠のいてしまった。祖父の家もだいぶ荒れてきたようだ。
 その久しぶりの筑波山へ今日は自転車で行ってみようというわけ。100キロ以上あるし、一番最後に山登りが待っているものの、まぁ、なんとかなるだろう。かつて父の運転する車で走った懐かしい道を記憶の糸をたぐりながら走ってみたい。

 東京・世田谷区の自宅を出発したのは5時35分。まずは環状7号線を北へ向かうが、都心から放射状に伸びる鉄道と交差するたびに歩道が階段になっていたりして、なかなかスムーズに走れない。6時半過ぎには沿道の公園で父子が2人でラジオ体操をしている体育の日にふさわしい光景をみかける。
 隅田川や荒川を渡り、7時15分に足立区梅島の交差点を左折して国道4号線・日光街道に入る。
 竹ノ塚、保木間を過ぎ、西保木間からは日光街道の旧道を進む。車だとバイパスを走っていたが、旧道の方が近道である。
 埼玉県に入って、煎餅屋の目立つ草加市内を抜け、越谷元荒川を渡ると、県道の越谷・野田線へ右折。
 まもなく「山田うどん」があった。「山田うどん」は家族でも筑波の行き帰りにあちこちでずいぶん利用した。関東一円にチェーン展開していて、あの案山子のマークの看板を見ると、つい立ち寄りたくなる。先月の檜原村サイクリングでも五日市に近い引田の「山田うどん」で朝飯を食べたのだが、今日もここで朝食にする。

 8時27分に再び走り出し、県道を野田に向かう。
 古利根川を渡って松伏町に入ると、宅地開発が進んでいるとはいえ、まだ田園の風情がいくらか残っている。春の田植えの頃に通ると、古利根川が満々と水を湛えて、ゆったり流れていたのを思い出す。

 8時50分に江戸川にかかる野田橋を渡って千葉県へ。ここまででちょうど50キロ。醤油工場が目につく野田市街を抜け、東武野田線の愛宕駅前を過ぎ、県道土浦・野田線を行く。
 国道16号線を横切り、やがて低湿地に下っていくと、彼方にトラス橋が見えてきた。利根川にかかる芽吹大橋だ。あれを渡れば、いよいよ茨城県である。子どもの頃はずいぶん遠く感じたけれど、今日は意外に早くここまで来たな、と思う。ちなみに当時、家から筑波までは車で3時間余り、渋滞すると4時間、5時間とかかることもあった。

 9時10分に利根川を渡り、岩井市に入ってまもなく茨城県自然博物館の案内板が目に留まる。横道に逸れて寄ってみた。時刻は9時25分。
 入館料710円を払って館内に入ると、まず目に飛び込んでくるのは体長9.1メートルと世界最大の松花江マンモスの複製標本。ほかに体長26メートル、高さ9.75メートルの恐竜ヌオエロサウルスの複製標本などもあり、いきなり圧倒される。
 予想以上に充実した博物館で、茨城県の自然はもとより、「進化する宇宙」「地球のおいたち」「自然のしくみ」「生命のしくみ」「人間と環境」といったテーマごとにさまざまな実物標本、模型、ジオラマ、映像、その他最新のテクノロジーを駆使した展示がいっぱいで、非常に面白いし、勉強にもなる。
 また、屋外に出れば、広々とした芝生や「野鳥の森」「昆虫の森」「どんぐりの森」「とんぼの池」、コスモスで埋め尽くされた「花の谷」などがあって、遊歩道を歩きながら自然と触れ合うこともできる。一日いても飽きないところだ。
 さらに敷地の東側のヨシの茂る湿地の中には菅生沼が静かな水面を南北に広げている。ここには冬になるとカモ類ばかりでなく、コハクチョウも飛来するそうだ。
 沼を取り巻く雑木林からは季節に取り残されたツクツクボウシの声が聞こえてきた。

(菅生沼)

 結局、2時間近くも過ごしてしまい、11時20分に出発。
 トイレ休憩したことのあるドライブイン、田圃の真ん中に孤島のように浮かぶ雑木林、子ども心に気になっていたモーテルの看板…。沿道風景の記憶の断片が自転車で走ることによって、次々とひとつに繋がっていき、妙に感動する。

 鬼怒川を渡って、12時過ぎに水海道を通過。
 関東鉄道常総線と交差する手前の「踏切注意」の標識が最近増えている電車の図柄ではなく、昔ながらの汽車の絵だった。僕の好きな道路標識である。「あ、ここにもあるな」と思いながら走り過ぎたが、瞬間的な印象がなんだかいつもと違う。汽車の吐き出す煙の角度が微妙に違うような気がしたのだ。そのまま素通りしてしまったが、後日、手元にあるいくつかの写真を調べてみると、汽車の煙の立ち昇る角度には少なくとも2通りあることが判明した。まぁ、こんな発見をしたところで、何の役にも立たないけれど(右の写真は2011年に同じ場所で撮影)。

 さて、水海道市街を抜けたところでルートを見失ってしまった。新しいバイパスができたせいで、昔の記憶と眼前の風景がまるで結びつかないのだ。
 小貝川を渡り、道に迷っていると、高須賀という初めての地名に出合い、地図で確かめると、いつも通っていた道からは少しはずれているが、方向としては間違っていないようなので、そのまま走る。初めての道を走るのも悪くはない。時間に余裕さえあれば、道に迷うのは旅の楽しみでもある。ここは関東平野の真ん中の農村地帯。畑と雑木林ばかりの単調な風景だが、それなりに味わい深い。

 すでにつくば市に入っていて、そろそろ筑波山が見えてもいいはずなのだが、薄曇りのせいか、まだその姿を視界にとらえることはできない。そのため、途中で何度も方向が分からなくなり、そのたびに地図を出して、現在位置と進むべき方向を確認する。

 立派な門構えの農家が多い集落を結んで県道133号線を10キロ近く北上して、吉沼という集落で右折、県道56号線を東へ約3キロ行くと今度は県道45号線にぶつかる。その交差点の角にセブンイレブンがあり、ここで昼食用にパンなどを購入。時刻は13時半。

 ここまで来れば、もう大丈夫。筑波山もうっすらと見えてきた。45号線を北へ5キロも走れば、国道125号線に出合い、これを東へ行くと筑波山はもう間近である。
 1987年春に廃止になった筑波鉄道(土浦~岩瀬)の線路跡がサイクリング道路になっていて、旧筑波駅まではこれを走る。路上にバッタが多くて、何度も轢きそうになる。
 かつては筑波山をバックに走る愛らしい気動車の撮影名所として知られた地点で愛車の記念写真を撮ってやると、とうとう筑波まで自転車でやってきたのだ、という実感が湧いてきた。数年前まではこんなことができるなんて考えてもみなかったのに、我ながら大した進歩である。といっても、大した方向に進んでいるわけではないけれど…。



 さて、今は関東鉄道バスのターミナルとなっている旧筑波駅前から中腹の家をめざして、いよいよ山登り開始。つづら折りの急勾配を最後のひと踏ん張り。3連休の初日だけあって、行楽のクルマも多いが、その脇をこちらは汗だくになって、休み休みゆっくり上る。子どもの頃のままの懐かしい風景が次々と目の前に現われて、辛い気持ちはあまりない。むしろ、嬉しさが込み上げてくる。

 結局、標高200メートルほどのところにある家に着いたのは14時45分。何と言ったらいいのだろう。まるでお化け屋敷である。きれいな芝生だった庭は見る影もなく雑草に覆われ、荒れ放題。祖父が植えた桜の木はモンスターのように枝を伸ばしている。盛大に生い茂る雑草に門も覆い隠されそうな状態。知らない家だったら、なかに足を踏み入れるのも嫌だろう。
 こんなになってしまったのか、と軽いショックを受けたが、とりあえず、門の中に自転車を入れ、勝手口の鍵を開けて、家の中に入る。庭の惨状に比べれば、内部はそれほど変わっておらず、ひと安心。一応、電気と水道も通じている。雨戸を開けたら、戸袋から大きなゴキブリが出てきた。
 まずは仏壇の中の祖父母に手を合わせ、とりあえずひと休み。ここまでの走行距離は110キロ。

 それから、夕食用の買い物に再び麓へ下り、帰りは自動車道路より距離の短い、しかし勾配の急な登山道を自転車を押して登る。途中で日が暮れ、家には17時半に着く。暗くなると、ますますお化け屋敷のようだ。
 麓のお店で買ってきた弁当や缶詰などで粗末な夕食。こんなところで一人だとさすがに寂しい。旧式のテレビがちゃんと映ることだけが救いである。

 夕食後は縁側に出て、庭の草むらで鳴く虫の声を聞きながら、きれいな星空や麓の夜景を眺めつつ、晩年の3年間ほどをここで独りで過ごした祖父のことを想った。
 夜が更けて、またゴキブリが出没。ほかに畳の上を大きな黒い蟻がたくさん歩き回り、その足音が気になってなかなか眠れない。本日の走行距離は123.1キロ。


 翌日はさわやかな晴天。パンで簡単な朝食を済ませ、最後にまた仏壇を拝んで、8時に出発。
 筑波山の東肩にあたり、ロープウェイ乗り場のあるつつじヶ丘をめざして登山道路を上るが、途中の風返し峠(標高412m)の料金所から先は自転車通行禁止ということで、仕方なく引き返す(現在は通行できます)。

(風返し峠より)

 それで中腹の筑波山神社の参道入口に自転車を止め、神社に参拝し、子どもの頃にザリガニ釣りをした池や川などを見て歩き、神社裏手の宮脇駅から9時10分発のケーブルカー始発便で筑波山頂へ向かう(往復1,020円)。山頂の土産物屋の人たちも一緒に乗っている。

(筑波山ケーブルカー)

 男体山女体山の二峰の間の御幸ヶ原の様子は昔とほとんど変わっていないように思われた。古びた土産物屋も回転式のコマ展望台も健在で、遠い日に子供の目で眺めた風景がそっくりそのまま残っている。浦島太郎とは逆に、自分では長い年月が流れたと思っていたのに、久しぶりに筑波山へ戻ってきたら、実はあれから全く時間が経過していなかった、といった感じである。

(御幸ヶ原)

 なんとも言えない不思議な気持ちで、筑波山の最高地点である女体山頂(877m)まで歩き、関東平野を一望し、10時のケーブルカーで下山。最後にもう一度、雑草に覆われた家を眺め、10時35分に山をあとにした。

(筑波山の最高地点・女体山頂からの眺め)

 山麓の旧筑波駅。観光シーズンには上野からの直通列車もあったこの駅はレールが撤去されたほかは駅舎もホームも改札口もそのままだった。今日はこの筑波鉄道の廃線跡を土浦まで辿ってみよう。

(旧筑波駅前から眺める筑波山)

(今もそのまま残る改札口)

(線路が消えた駅構内)



 筑波駅・思い出写真(1978年ごろ)

(筑波駅に到着する気動車)

(上野からの直通列車「筑波号」)

(12系客車が使われていた)

(筑波線内で列車を牽引したDD501)




 町村合併でつくば市ができる以前の旧筑波町の役場があった北条には常陸北条駅があったが、ここは駅舎が撤去され、ホームだけが残っていた。路盤には雑草が生い茂り、ホームのコンクリートの割れ目からも草が勢いよく生えて、徐々に自然に回帰しつつあるようだ。

(常陸北条駅跡)

 線路跡は場所によってサイクリング道路となっていたり、まだ工事中だったり、手付かずのまま草に埋もれていたりで、線路際の距離標や勾配標が残っているところもあった。そうした遺物もいずれはすべて撤去されてしまうのだろうか。

(常陸藤沢駅跡)

 常陸藤沢駅跡では踏切部分にだけレールが残っているのを発見し、坂田では近くの民家の前に駅名標が置いてあった。
 廃止からすでに10年。この鉄道にも何度となく乗ったけれど、その経験そのものが今となっては貴重な宝物である。

(坂田駅の駅名標) 

 蓮田の広がる虫掛付近で線路跡を見失ったまま、土浦市街には12時過ぎに着いた。俳優梅宮辰夫「カレー&コロッケ・梅辰亭」というのを見つけ、ここで昼食。芸能人の経営する店というのは鉄道以上にいつ消滅するか分からないので、一応記念に店の前の梅宮辰夫人形の写真を撮っておいた(数年後に通ったら、店がなくなっていた)。

(梅辰亭)

 さて、土浦からは国道6号線を東京までひたすら走るだけである。東京まで65キロ、というのは日本橋までの距離だろうか。だとすれば、自宅までは80キロ以上はありそうだ。まぁ、とにかく走るしかない。
 牛久市内を抜け、牛久沼を右手に見ながら竜ヶ崎市を横切り、藤代町取手市と過ぎて、利根川を越え、千葉県に入る。我孫子市柏市と来て、松戸市内のガソリンスタンドではなぜかウルトラマンが客引きをしていた。
 16時半頃には江戸川を渡って東京都内へ。浅草通過が17時15分で、結局、19時10分に帰宅。
 今日の走行距離は122.6キロ。2日間の通算では245.7キロになった。


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