最果てルート 天塩~ノシャップ岬 8月6日


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     雨の天塩

 いま北海道の日本海側、天塩町の鏡沼海浜公園キャンプ場にいる。
 きのう知り合った自転車旅行の仲間たちと星空の下で夕食を共にして楽しい夜を過ごしたのに、真夜中にテントを叩く雨音で目が覚めた。
 明け方には雷まで鳴って、雨も強まったり、弱まったり、断続的に降るなか、夜が明けた。



 空はすっかり灰色で、湿った大気はひんやりしている。昨日は夏空が広がって暑かったのに、天気は一変してしまった。涼しいのはありがたいが、嬉しくもない。ほかの仲間たちも空を見上げて、浮かない表情だ。
 そんななか、京都の高校生O君が9時ごろになって、みんなに見送られて旅立っていった。きょうは稚内まで行くという。海沿いのルートであと70キロほどの距離である。
 僕も出発の頃合を見計らっていたが、いくらか小降りになった10時15分にようやくスタート。
 先を急ぐ、というわけではないが、小雨程度ならカンカン照りの炎天下よりはずっと楽に走れる。レインウェアを着込み、荷物の防水も万全を期したことは言うまでもない。

     天塩川

 雨を衝いて走り出し、天塩市街を抜け、ここからは道道106号線「稚内天塩線」を行く。
 日本海に沿って稚咲内(わっかさくない)まで北上し、そこからサロベツ原野を横断し、サロベツ北部の兜沼のキャンプ場をめざす、というのが一応の予定である。
 まもなく雨は止み、左手に天塩川が見えてきた。北見山地の天塩岳に源を発する天塩川は道北地方の内陸部を北へ流れ、幌延で西へ向きを変え、やがて日本海にぶつかるが、すぐには海に出ずに、今度は海岸線に接するように10キロほど南下して、ようやく海にそそぐ。
 その河口の町から左岸を5キロほど遡ったところで、川幅の広い濁流を長い橋で渡る。南西からの風が非常に強く、川面が波立って、逆流しているように見える。
 対岸の砂州に渡ると幌延町で、しばらくは右に天塩川、左に鉛色の日本海を見ながら走る。悪天候のせいか、荒涼とした印象が強く、雨雲が低くて利尻島も見えない。向かい風でないのが救いである。

     道道106号線

 いつしか天塩川が右に遠ざかり、小さな沼や湿地の散在するサロベツ原野にさしかかる。といっても、砂丘林に視界を遮られて、まだ広さは感じない。海岸部は土地改良が進んで、牧草地になっているところも多いようだ。
 11時にサロベツパーキングという休憩所があり、小休止。稚内方面から来たチャリダーがいたので、少し話をする。昨夜はこの先のサロベツ原野のレストハウス近くで野宿をしたそうだ。南へ走る彼にとってはひどい向かい風で1キロ走るのに7分かかると言っていた。時速9キロ足らずということになる。

 11時19分に北緯45度線を通過。Nの字をかたどったモニュメントがあり、「北半球ど真中」と書いてある。これまで「北緯45度」という数字について深く考えたことがなかったが、そうなのだ。赤道が北緯0度で、北極点が北緯90度であるから、45度というのは赤道と北極点を結ぶ線の中間点にあたるのだ。北海道の最北部までやってきて、緯度ではまだ北半球の真ん中に過ぎないのか、と思う。ちなみに北緯45度付近にある世界の主な都市といえば、フランスのボルドーやイタリアのトリノ、カナダのモントリオール、中国・東北地方のハルビンなどがある。

(北緯45度) 

 とにかく、北緯45度線を通過して、すぐ原野のただなかにあるシェルター(地吹雪よけか?)をくぐり、なおも北へ走る。
 ほとんど何もない原野の道で、豊富町に入ると、道路沿いの電柱もなくなった。そこに道路が敷かれていることを除けば、まるで文明以前の風景で、前後に車がまったく見えない時などは少し寂しく感じるほどだ。
 原野は彩りにも乏しく、わずかに濃いピンクのエゾカワラナデシコが咲いていたほかは、くすんだ緑の中にオバケみたいな巨大なセリ科の植物がのっそりと立っているばかりで、だいぶ最果ての色が濃くなってきた。

 

     サロベツ原野

 天塩から25キロ余り走って、小さな港のある稚咲内で右折。利尻・礼文島とともに国立公園に指定されているサロベツ原野の横断ルートに入る。さっそく砂丘林の中からエゾセンニュウのさえずりが聞こえてきた。
 砂丘林を過ぎれば、見渡すかぎりの泥炭湿原。初夏にはワタスゲやエゾカンゾウ、エゾスカシユリなどが一面を彩る原生花園となるが、今はもう花も少なく、緑一色の草原である。しかも、雲が低くて、草原の輝きもない。
 天塩川の支流で、幻の大魚イトウがすむというサロベツ川を渡って、とりとめのない風景の中を走り、ちょうど12時にビジターセンターに着いた。南北27キロ、東西8キロのサロベツ原野のほぼ真ん中で、ここにはレストハウスもある。
 ノビタキが草原から飛び立った。夏羽のオスは頭部と翼、尾羽が黒くて、腹は白、胸から喉にかけては赤茶色という特徴のハッキリした小鳥である。
 ここはサロベツ観光の中心だけあって、さすがに観光客が多い。といっても、たかが知れているが。自転車は僕のほかに折りたたみ自転車の青年が1名。
 ビジターセンターを起点に1.1キロの木道の自然観察路が整備されていて、一周してみた。

 

 サロベツ原野は元来、地下水位が高く、また年間を通じて気温が低いため、枯れた植物が腐敗分解しないまま堆積して、いわゆる泥炭層をなしている。
 植物で目についたのは紫色の花をつけたタチギボウシ。そして、本来は湿原には生えないはずの笹。近年、サロベツ原野の地下水位が低下して、乾燥化が進み、笹が侵入しつつあるそうだ。周辺部の土地改良などの人為的な要因が影響しているのだろうか。

(サロベツ原野を横断して豊富へ)

     豊富

 レストハウスで昼食をとり、13時過ぎに出発。雨は上がったので、レインウェアのズボンだけ脱ぐが、上着はそのまま。今日はやけに涼しい。
 電柱も何もない湿原の中を東へ走り、ホルスタインのいる牧場や人家が現れ、豊富の市街地にさしかかる頃、雨がまたポツポツと落ちてきた。

 JR宗谷本線(旭川~稚内,259.4km)の踏切を渡り、13時50分頃に豊富駅前に到着。稚内まであと43.5キロの地点にある駅で、石油採掘中に湧き出したという豊富温泉の玄関口である。サロベツ観光の拠点でもあるから、ちゃんと駅員もいる。昔は駅に駅員がいるのは当たり前だったが、合理化が進んで北海道では無人駅が増えたから、駅員の姿があると、却って新鮮な気がする。
 もうすぐ稚内行きの列車が来る。先刻、サロベツ原生花園のビジターセンターで見かけた青年がやってきて、駅前で自転車を折りたたんでいた。走りたい時だけ走って、あとは列車やバスに乗る。そんな旅も悪くないな、と思う。

 再びレインウェアのズボンも穿いて、14時10分に雨の中を走り出す。
 ここからは国道40号線を行く。サロベツ原野の東側の小高い丘陵地帯の裾を縫って、北へ、北へ。
 雨がまた強まってきた。たちまち全身がズブ濡れ状態になる。水滴が額から頬へ口へと、どんどん流れるが、一切構わず、水飛沫をあげて突っ走るしかない。
 国道と並行していた宗谷本線のかぼそいレールがいつしか濡れた緑の彼方に遠ざかっていった。線路はここから海岸部へ向かうのだ。
 国道はまっすぐ牧草の丘を越えて稚内へ直行するが、僕も豊富から13キロほど走った地点で左折して、道道1118号線を西へ向かう。



 ここはもうサロベツ原野の最北部に近く、サロベツ川を渡って3キロも行けば、目標にしていた兜沼のキャンプ場が近い。が、陰鬱な天気のせいか、思いのほか寂しい土地である。実際にキャンプ場に行ってみれば、それなりに賑わっているのかもしれないが、こんなところに泊まるよりは今日中に稚内まで行ってしまおうと思い直した。
 宗谷本線の兜沼駅前を過ぎ、道道510号「抜海兜沼停車場線」に入って雄大にうねる丘陵地帯を越える。雨は上がったが、霧が出てきたようだ。大した標高ではないのに、まるで高原の牧場みたいな風景である。

     勇知でパンク

 丘を越えて豊富町から稚内市に入り、再び線路に出会うと、まもなく勇知駅前。稚内から3つ目、22.7キロ地点の無人駅である。
 ここで郵便局に立ち寄ったら、今年(1999年)6月に道道106号「稚内天塩線」クトネベツ付近の歩道で体長2メートルのヒグマが目撃されたと注意を呼びかける警察情報が掲示されていた。地図によれば、クトネベツは勇知の北、抜海駅に近いあたりの地名である。

 勇知の集落を出て、まもなく自転車の後輪から硬い震動が伝わってきた。
 あ、パンクした。
 確かな原因は不明だが、勇知の手前に砂利の散乱する工事区間があったので、そこで石を踏んだせいかもしれない。時刻は15時半。道路際でタイヤをはずしてチューブを交換。雨が止んでいて、助かった。




     抜海

 勇知から8キロ。16時過ぎに抜海駅前に着く。青いトタン屋根の木造駅舎があるが、駅員はいなかった。まわりには人家もほとんどない。

 

 駅前から西へ行けば、日本海が見えてきて、稚咲内で別れて以来の道道106号線に突き当たる。ヒグマが出没したのは、このあたりだろうか。

(抜海駅前通りを西へ行くと海岸に出る。稚内方面は右折)


     稚内西海岸

 さて、いよいよ稚内が近づいてきた。追い風に乗って、海辺の原野を時速30キロほどで快調にラストスパート。
 しばらくして、右手に迫る丘を見上げると、中腹に線路が通っているのが分かる。旭川からひたすら内陸部を北上してきた列車はここでほんの束の間だけ海辺に出るのだ。車窓から眺める日本海には利尻富士が浮かび、まさに宗谷本線の旅のハイライト区間である。最近は乗客へのサービスで、列車がわざわざ徐行して通るそうだ。今日は雲が低くて、利尻島がどこにあるのかもよく分からないが、空はいくらか明るくなってきた。 

 やがて、小さな海水浴場があった。地図でみるかぎり日本最北の海水浴場ではないか。寒々として、人の姿はまったくない。これでは真夏でも泳げる日なんて数えるほどしかないのだろう。
 そこで道路が分岐して、106号線は急勾配で丘陵を越えていく。丘の向こうは稚内市街であるが、僕は市街へは直行せず、そのまま日本海に沿って走り続ける。
 地図ではルエランだのルエベンルモだのとカタカナ地名が点在する稚内西海岸を走るうちに海上の一部に薄日が射し、雲の中に白い太陽が透けてみえた。昨日までの猛暑を思えば、憎らしいはずの太陽だが、雨上がりに拝むと、やはり心が明るくなる。

 

 濡れたアスファルトの路面にも光がさして、立派な温泉センターや民宿などがある富士見地区を過ぎ、右側に連なっていた緑の丘陵が高さを失って尽き果てたところに紅白の灯台が姿を現わした。あれがノシャップ岬。稚内市街の北はずれに位置する岬である。時刻は17時。いつしか上空には晴れ間ものぞいている。

     ノシャップ岬

 土産物屋やカニの直売店などが軒を並べる通りを抜けて、岬に着いた。
 もともと市街地に近いせいもあり、最果ての情感は乏しい岬という印象だったが、いつのまにか海岸が埋め立てられ、公園風に整備されている。観光客向けの過剰な装いのせいで、岬の風情は余計に失われたように思われた。ひとり旅の青年にシャッターを頼まれたので、ついでに僕も1枚撮ってもらった。



 今夜は岬のそばの民宿ノシャップ岬に投宿。1泊2食付きで6,500円。
 海の幸がいっぱいの夕食後、ノシャップ岬に夕陽を見にいく。今日の日没は18時53分との掲示が出ている。
 晴れたとはいえ、夕空にはまだドス黒い雲が群れをなし、印象は重苦しい。ようやく姿を見せた利尻島のシルエットも雲をかぶっている。風が強くて、肌寒い。北の果てへやってきたのだとの思いを新たにする。

 そばに立つ稚内灯台。周知板によれば、位置は北緯45度26分50秒、東経141度38分56秒。「紅白横線塗、円形、コンクリート造」で、地上から頂部までの高さが42.7メートルだから煙突みたいに背の高い灯台である。



 その灯台が宗谷海峡に向かって光を投げかけている。
「群閃白光、毎14秒を隔てて6秒間に2閃光」
 心の中で閃光の間隔を数えて確かめた。
 今日の走行距離は92.5キロ。明日は日本最北端・宗谷岬へ向かう。


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