桜 島 (志布志~鹿屋~桜島~鹿児島)  8月4日


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    志布志~鹿屋

志布志のホテルを6時半に出発。やや雲が多いが、青空ものぞいている。また暑くなりそうだ。
 今日は大隈半島を横断し、桜島からフェリーで鹿児島へ渡る予定。桜島までずっと国道220号線を行けばよい。
 西方に聳える山は桜島かと思ったが、地図を見ると標高1,000メートル級の山々が大隈半島の北西部に連なっている。高隈山地というらしい。桜島はその向こうだ。国道220号線は高隈山地を避けて、その南側を迂回する形で桜島方面へ通じているのだ。
 少し走ると志布志町から有明町に入り、コンビニがあったので、朝食用の買い物。サンドイッチ、コーヒー、ヨーグルト、それに青さの残るミカンを買う。
「ツーリングですか?」
 と店のおじさん。ここまでの走行ルートと今日の予定を話すと、「都井岬は坂がきつくて大変だったでしょう」という。この先も小さなアップダウンがいくつかあるそうだ。
「すぐそこを左に曲がって海岸に出ると、この間の台風で折れたタンカーが見えるから、そこで朝食にしたらいいですよ」
 おじさんの言葉に従い、菱田川の橋を渡って左折し、小さな蟹が蠢く川沿いの野道を行くと海岸に出た。
 くの字形に折れた大型タンカーは浜からすぐのところに座礁していた。事故が起きたのは7月
25日のこと。九州地方を直撃した台風9号に巻き込まれたのだった。

(座礁して船体が折れたタンカー)

 その周辺で作業船が2隻ばかり動いているのを眺めながら朝食。その間にも何組かの見物人が車でやってきて、また帰っていった。キジやコジュケイの声が聞こえ、のどかな気分ではある。

 30分ほど海岸で過ごし、7時50分に出発。
 国道220号線は志布志湾を離れ、大隈半島横断にかかる。大崎町、東串良町、串良町、高山町と馴染みのない土地を坦々と走る。
 このあたりが小学校の社会科で習ったシラス台地なのだろう。畑や雑木林が多いが、国道沿いだから人家もあるし、コンビニもある(セブンイレブンはない。宮崎県南郷町の“今のところ日本最南端のセブンイレブン”を過ぎたので…)。パチンコ店や大型ショッピングセンターなどもある。川の流れる部分だけ土地が低く、水田が広がっている。その前後が下り坂、そして上り坂になっているわけだ。
 全体として、特に面白みのある風景ではないが、沿道の植物などやはり南国的ではある。いずれにせよ、ひたすら忍耐のサイクリング。
 道端に「動物注意」の標識。北海道だとシカの図柄だが、ここではタヌキだった。

(鹿児島をめざして炎天下をひたすら走る)

 志布志から27キロほど走って、1055分に鹿屋市の中心部に着いた。鹿屋は大隈半島の中核都市で、高隈山地の南側の台地上に開けた街である。太平洋戦争中、特攻隊の基地があったことで知られる。現在の航空自衛隊・鹿屋基地である。
 ここにはかつて旧国鉄大隈線の鹿屋駅があったはず。駅跡を探してみたが見つからず、かわりに城山公園というのがあった。池のほとりのあずまやで大休止。

     錦江湾

 さて、国道220号線は鹿屋付近では立派な高架のバイパスが建設され、市街地を避けてずっと北側を通っている。国道から逸れて市街地に迷い込んだので、元のルートに戻るのに苦労した。
 結局、だいぶ遠回りをして国道に復帰できたものの、暑さと空腹で、ガス欠状態。高隈山地南端をトンネルで抜けて、ようやく大きなそば屋を見つけたが、店内は家族連れなどで満席、しかも順番待ちの行列ができている。ところが、僕は1人なので、まったく並ばずにカウンターに1人分だけ空いていた席にすぐ案内された。ひとり旅にもたまにはいいことがある。

 そば定食を食べて店を出たのが1315分。そこから炎天下を4キロほど走ると、急カーブの連続する下り坂になり、ついに眼下に海が見えてきた。鹿児島湾、またの名は錦江湾である。対岸の薩摩半島に三角形の開聞岳が雲をかぶっている。北方には桜島の姿も見えてきた。この一帯は霧島火山帯に属し、開聞岳や桜島はもちろん火山だが、鹿児島湾そのものも太古の火山活動によって生じたカルデラなのだそうだ。

(海の向こうに雲をかぶった開聞岳)

 鹿屋港に隣接した公園で再び休憩。ここまで志布志から45キロ、時刻は1335分。鹿児島市の対岸の桜島港まではまだ35キロ近くあるのだが、フェリーは24時間運航だから何時に着いてもよい。つまり、時間はいくらでもある。
 というわけで、夾竹桃やハイビスカスの咲く公園の木陰のベンチにマットを広げて、ゴロンと寝転がる。
 思い切って2時間ぐらい昼寝してもよかったのだが、35分の休息後、再び走り出す。ここからは鹿児島湾を左に見ながら桜島をめざして北上していくわけだ。

 まもなく、鹿屋市から垂水市に入った。この区間は旧国鉄の大隈線が並行していたはずだが、廃線跡は消えてしまったのか、気がつかなかった。
 1450分、宮脇というバス停の木陰のベンチでまた休憩。日陰があると、つい休みたくなる。何をするわけでもなく、ぼんやりと道行く車を眺めるうちに15時を告げるドヴォルザークの「家路」のメロディーがどこからか流れてきた。ちょっと早すぎる気がするが…。まだ陽は高い。

 ところで、走っていて気づいたのだが、このあたりの墓地は、墓にそれぞれ屋根がかけてある。簡素なものから立派なものまで様々だが、恐らく桜島の火山灰をよけるためなのだろう。前方に見える桜島は今日も噴煙を上げている。
 15時半過ぎに垂水市の中心市街にさしかかった。垂水港からはフェリーが出ていて、鹿児島市の鴨池港まで35分で行ける。楽をしたいのは山々だが、ここは通過。
 1550分、荒崎パーキングに日陰のベンチを見つけて、またまた休憩。ヤシの木が植えられ、真っ赤なハイビスカスが咲き、ちょっとした公園風に整備されている。桜島もだいぶ近づいてきた。ここまでの走行距離は60キロ。ものすごく長い距離を走ってきたような気がするのだが、まだこれだけかと思う。




      桜島

 荒崎パーキングで30分近くも休んで、さらに5キロほど北へ走ると、道路は海上に橋脚を立てた高架橋となり、ついに桜島に取りついた。



 大正3年の大噴火で流出した溶岩により、桜島は大隈半島と陸続きになったが、今いる場所がその接続部である。国道220号線は桜島へは入らずに右折して、あくまでも大隈半島の西岸を北上していく。一方、ここで左へ分岐するのが国道224号線で、桜島の南岸を時計回りに半周して桜島港へ達している。地図によれば距離はあと13キロ。これを行けばいいわけだ。
 しかし、ここで一瞬ためらった後に僕はあえて右へ曲がった。そして、すぐに左へ逸れる道に進入。これも桜島の周回道路で、反時計回りで桜島港へ向かうルートである。こちらは港まで22キロ近くあって、断然遠回りだが、数キロ行った黒神集落に溶岩で埋没した鳥居があるというので、それだけ見て、引き返してこようと思う。

(桜島の溶岩地帯を行く)

 あたりはすぐにゴツゴツと荒々しい溶岩地帯になった。大正3年の噴火時に流出したものだそうだ。
 ゴジラの群れのような溶岩の間を縫う道は予想以上に起伏が激しく、急な坂を下るたびに、この道をまた引き返してくるのかと気が重くなるが、そのまま進み続け、やがて黒神集落に着いた。ここは行政区分の上ではすでに鹿児島市内である。

(黒神の埋没鳥居)

 目当ての鳥居はすぐに見つかった。なんとまぁ、上部だけを地上に残し、2本の柱が完全に埋没しているのだった。ぞっとするような光景ではある。そばに立つ解説板の文章は噴火当時の様子を生々しく伝えているので、少し長いが引用してみる。

「大正大噴火の前兆は、すでに3日前から始まっていました。島内いたるところで井戸が沸騰し、海岸には大量の死魚が浮き、地震が断続的に起きていたのです。
 安永噴火の言い伝えから、大爆発の前触れと感じた人も多く、村は騒然とした雰囲気に包まれました。
 1914年(大正3)1月12日、午前105分まず西桜島赤水上が黒煙を突き上げ、10分後には東桜島黒神の鍋山が大音響とともに爆発。黒煙は上空7000mに達し、全島を被いつくしました。間断なく轟く爆発音と火山雷、降り注ぐ噴石の雨、更に翌13日には溶岩の流出が始まり、30億トンの火の波が瀬戸海峡を横断、桜島と大隈半島を陸続きにしてしまったのです。ここ黒神でも全687戸が火山灰に埋没しました。
 高さ3mの原五社神社の鳥居は、笠木だけ残して辛うじて見えていましたが、時の村長野添八百蔵は爆発の猛威を後世に伝えるため発掘の中止を指示。そのままの形をとどめることになりました。現在この鳥居は県の文化財に指定されています」

 桜島というと、いつも噴煙を上げている活火山だが、そのわりにはのどかなイメージが僕にはあった。しかし、ひとたび活動が本格化すると、破局的な大災害をもたらす恐ろしい山でもあるのだった。
 ほかにも観光客がクルマでやってきたが、そのうち誰かが「火山灰だ」と空を見上げた。
 たしかに灰色の雪みたいなものがポツポツと降っている。急に硫黄の臭いも漂ってきた。いま走ってきた方角の空はいつしか噴煙に覆われている。
 こういう場合はやはり逃げた方がいいのだろうか。頭の上から火山灰が降ってくるなどという経験は初めてで、にわかには判断がつかないが、引き返すのはやめて、噴煙を背に周回道路を反時計回りに走り出す。遠回りになるが、仕方がない。

 火山灰はすぐに止んだ。しかし、道は激しいアップダウンの連続。海辺へ下ったり、山中に入ったり。通る車も少なく、時折人家があっても人の姿はほとんど見かけない。コンクリート造りの退避壕だけはあちこちにあった。
 急坂は自転車を押して歩くが、すっかり息切れして、もうヨレヨレである。
 やがて、18時を告げる「椰子の実」(だったと思う)のメロディがどこからか流れてきた。なんとなく寂しい気分になる。
 最後の長い上り坂をなんとか乗り切ると、鹿児島市から桜島町に入って、一気に下り、平坦な海沿いの道になった。
 18時半、黒神から10キロでようやく桜島の北部にある白浜温泉センターに到着。サイクリングのあとは温泉に限る。入浴料は300円で、露天風呂もある。地元の人ばかりで、旅行者は僕だけだった。
 風呂から上がると、入れ替わりに地元の小学生が5、6人やってきた。今どきの子どもはどんなパンツをはいているのかと観察していたら、僕の子ども時代と一緒で、みんな白いブリーフだった(1人、お尻にマンガのイラスト入り)。

 

さっぱりして、1925分に温泉センターを出発。
 夕闇が迫る中、桜島は色彩を失い、その上に白い噴煙が棚引いている。鹿児島湾の対岸は残照を背景に黒いシルエットとなり、チカチカと街の灯が瞬いている。海上には灯りが賑やかな納涼船も浮かんでいる。
 道はもう起伏もなく、風に吹かれながら、夕涼み気分でのんびり走る。街灯がないので、やがて、路上は真っ暗になった。

 白浜から8.5キロ。志布志からは90キロ走って、20時に桜島港に着いた。3キロ隔てた対岸が鹿児島市街で、両岸を24時間運航のフェリーが結んでいる。ちょうど花火が打ち上げられ、夜空を彩った。
 なんだか気持ちが緩んでしまって、しばらくはガランとした待合室でナイター中継をぼんやり眺めていたが、ようやく愛車のもとに戻り、21時発の桜島丸に乗船。運賃は150円で、自転車が100円。所要時間はわずか13分だった。
 船内で500円の天ぷらうどんを食べる。かき揚げのほかにさつま揚げがのっていた。

さて、とにかく鹿児島へやってきた。フェリー乗り場で夜明かしをしてもいいかな、と思っていたが、結局、近くのビジネスホテルに投宿。本日の走行距離は93.4キロ。明日は朝のフェリーでいよいよ屋久島へ向かう。



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