「北の国」へ (振内~日高峠~占冠~金山峠~麓郷)  8月1日

 振内を出発して、記録的な猛暑の中、日高峠、金山峠を越え、ドラマ「北の国から」のロケ地・麓郷をめざしました。

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 平取町振内(ふれない)を6時頃出発。朝靄の中、沙流川の急流に沿って237号線「日高国道」を北へ走る。
 気温は23度近い。北海道の朝にしてはかなり高めだろう。

(朝靄の沙流川)

 地図によれば振内付近の標高は90メートル程度で、今日はこれから500メートルほどの峠を二つ越えることになっている。朝から気合を入れて走らないといけない。
 幌尻岳を主峰とする日高山脈の山々が迫り、だいぶ山あいに入ってきた印象だが、振内の次の仁世宇あたりでは少し土地が開けて、牧場のほか稲作やハウスでのトマト栽培も行なわれている。道路沿いの電線のあちこちでホオジロがさえずり、道端にはヒルガオが咲いている。
 この区間はかつて富内線が並行していたはずだが、線路跡はどこに消えたのか、見当たらない。一方の国道は猛スピードで飛ばす大型貨物トラックが多い。後方から轟音が接近してくるたびに緊張する。
 陽が高くなり、靄も消えて、気温が上がってくると、エゾゼミの大合唱が始まった。草むらではキリギリスも鳴いている。今日も暑い一日になりそうだ。
 岩知志を過ぎると、平取町から日高町に入った。あたりは鬱蒼として、沙流川の峡谷も深く険しくなってくる。山林から「キョロン、キョロン、ツリリ」とツグミの仲間のアカハラの澄んだ声が聞こえてきた。

     日高町

 やがて自転車の青年と互いに手をあげてすれ違い、まもなく山に囲まれた平地に出て、水田が広がると、そこが日高町の中心集落である。振内から26キロ。時刻は7時半。 
 もっと山奥の村かと想像していたが、意外に立派な町で、道幅があるせいか、空が広い。ここは札幌と十勝方面を結ぶ国道274号線と国道237号線が交差する交通の要衝なのだ。この町にはキャンプ場もあるため、ライダーやチャリダーも多く、交差点に面したセイコーマートはとても賑わっている。
 この日高町はかつての国鉄富内線の終点でもあったが、どこに駅があったのかは分からなかった。
 僕もセイコーマートでコーヒーとサンドイッチ、ソーセージ、ヨーグルトを買って朝食。

     日高峠

 さぁ、いよいよ最初の峠越えだ。めざすは日高峠。標高500メートル。いきなりの急坂をグイグイと上っていく。



 しかし、敵は勾配ではなく、陽射しである。すでにカンカン照りで、路上に日陰はほとんどない。白く光るアスファルトの上で僕の影が苦しげに喘いでいる。しかも、セミの大合唱が凄まじく、暑さを何倍にも増幅させる。まつ毛の先でキラキラ光る汗の滴がまばたきと同時に目の中に流れ込み、目がしみる。延々と続く上り勾配も徐々に効いてくる。超低速で、ふらふらしながら重いペダルを踏む。
 悪戦苦闘が30分以上続き、ようやく日高峠を越えると、占冠(しむかっぷ)村に入り、一転して軽快に下る。

(日高峠)

     占冠

 日高町から14キロほどで占冠中央に到着。
 真冬に「北海道の占冠では気温が氷点下30度にまで下がりました」といったニュースでよく耳にする地名である(そう伝える東京のアナウンサーは占冠の正確な位置を知っているのだろうか?)。
 鵡川の源流域に位置する人口1,800人の小さな村だが、道幅は広く、歩く人はいないのに立派な歩道まである。
 これまた立派な道の駅のような観光案内所やショッピングモールもあって、ここで休憩。通りすがりの観光客やライダーがほかにも数人休んでいる。洗面所で顔を洗い、ついでにタオルを水で濡らす。これを首にかけると気持ちがいいのだ。オヤジくさいけど。

 ひと息ついて、再び走り出すと、占冠駅前に出た。札幌から帯広・釧路方面への短絡ルートとして1981年に開通した石勝線の駅である。この路線はほとんど無人の山中を行くので、途中駅が少なく、占冠は西隣の楓駅から28.6キロ、東隣のトマム駅からも21.3キロ離れている。列車で通ると、「こんな山奥に人家があるの?」と驚くような土地で、僕も陸の孤島のような印象を抱いていた。こんなところまでまさか自転車でやってくることになるとは夢にも思わなかった。駅の表札の下には「海抜348m」と書いてある。

(占冠駅にて)

 閑散とした駅前にも村の物産館があり、山菜などを売っている。アイスクリームを買ってしばらく休憩し、再びタオルをビショビショに濡らして出発。

     金山峠

 新幹線みたいに立派な石勝線の高架橋をくぐって、次の金山峠に挑む。490メートルの峠だが、占冠駅が348メートルだったから、標高差は150メートル足らずだ。闘うべき相手はやはり暑さだろう。相変わらず日陰はほとんどない。山からコマドリの声がする。

(富良野38㎞、金山11㎞)

 汗だくになって重いペダルを踏んでいると、暑さに加えて、新たな敵が団体で現われた。細めのハエみたいなブヨである。汗の臭いを嗅ぎつけたか、こいつらが5匹から10匹近くも手足にまとわりつき、いきなりチクッと刺したりする。全くいまいましい連中だ。追い払うにも、上り坂では脚力と同時に腕力も必要なので、ハンドルから簡単に手を放せない。いちいち自転車を止めては、手当たり次第に叩き落す。走り出すと、すぐにまたふくらはぎの辺にチクッとくる。奴らにしてみれば、今、この山の中で僕が唯一の餌と言っていい状況なので、集中的に狙われているようなのだ。お陰で遅々として進まない。本当に腹が立つ。

(金山峠)

 とにかく、ブヨを叩いたり払ったりしながら、ちょっとずつ進んでいくと、ようやく金山峠の標識が現われたが、実際にはさらに上りがしばらく続いて、ついに長さ456メートルの金山トンネルに突入。やっと下りになる。ここから南富良野町である。

 夏空の下、雄大な山の風景を眺めながら、カーブの多い道をぐんぐん下り、やがて金山の集落に着いた。正午を告げるサイレンが鳴り出した。
 金山にはJR根室本線が通じている。金山駅から東へ2つ目の幾寅は高倉健主演の映画『鉄道員(ぽっぽや)』の舞台になった駅で、昨年訪れた留萌本線の恵比島駅(NHKドラマ『すずらん』の舞台)みたいなことになっているらしい。映画を観ていれば行ってみようかと思うかもしれないが、僕はまだ観ていないから行かない(その後、観ました)。

     富良野盆地

 とにかく、これで今日の峠越えはおしまい。あとは富良野盆地へ向かって下っていくだけだ。
 金山郵便局前の日陰に座り込んで、汗を拭きながら、すっかり温まったボトルの水で喉を潤し、再び走り出す。
 国道は金山から根室本線と空知川に沿って北へ続く。鵡川や沙流川は太平洋へ注ぐ川だったが、空知川は石狩川の支流で、日本海に注ぐ川である。

 当面の目標だった2つの峠を越して、気が抜けたような虚ろな気分で、ただ黙々とペダルを踏み続ける。全体的に下り基調だが、ペダルを踏まなくても進むほどではない。我ながら「一体何が楽しくて、こんなことをやっているんだろう?」と思う。
 下金山駅前を通過して、まもなく富良野市に入り、空知川を渡ると、滝川市と釧路市を結ぶ国道38号線に合流。ここから富良野市街までの18キロ余りは国道237号線と38号線の共有区間となる。
 あたりは東大の演習林、道路際の木々には「ヨーロッパカラマツ」など樹木名を記した札がついていて、「熊出没注意」の標識もあった。
 前方には夕張山地が立ちはだかり、最高峰の芦別岳(1,727m)の谷筋には白いものが光っている。わずかだが、雪があるようだ。



 まもなく休憩所があったので、水道でボトルの水を詰め替える。くどいようだが、とにかく暑い。去年(1999年)の北海道も暑かったが、今年もまたこんなだとは思わなかった。
 演習林を抜けると、ついに富良野盆地に出て、再び日陰が全くなくなった。もうバテバテだ。腹も減っている。沿道にはスイカやメロンの直売所が多い。冷たいスイカが食いたい!

 やがて山部の集落にさしかかり、ドライブインを見つけて、そこで昼食。時計を見ると13時になっていた。
 本州なら店内は冷房のお陰で「ひんやり涼しい!」となるのだが、北海道ではそうならないところが悲しい。お客が多い中で、僕だけが日焼けして、汗だくで、ものすごく暑苦しい人になっている。昨日に続いてまたまた冷しラーメンを食べる。嫌いなはずだったが、だんだん好きになってきた。

 13時半に店を出て、また炎天下を走り出す。
 すぐに山部駅前を通過。富良野市街まであと12キロ。
 当初の考えでは、今日中に富良野か、さらにその先まで行くつもりだったが、昨日平取(びらとり)の義経神社で神主さんに麓郷のライダーハウスを紹介され、「電話しておくから」と言われてしまった。麓郷は富良野の6キロ手前の布部から東へ入った地点にある。『北の国から』を毎回熱心に見ているわけではないが、まぁ、行ってみるか。
 ここで予想。麓郷には、さだまさしがスキャットで歌うあのテーマ曲が流れている!

     麓郷への道

 とにかく、平坦な水田地帯をちんたらちんたら走っていると、「お先に」といってチャリダーに抜かれた。悔しいので、ちょっと気合いを入れ直して追走する。まだ少しは余力があった。やはり人間、持てる力をすべて発揮するには競争相手が必要なのだ。といっても、抜き返すような大人げないことはしないけれど。

 空知川にかかる布部大橋を渡ると布部集落。前を行く青年はそのまま直進していったが、べつのマウンテンバイク青年が富良野方面から来て、麓郷方面へ曲がるのが見えた。僕も彼に続いて右折し、あとを追うように走るが、向こうはやけに元気があって、とてもついていけない。こちらはこのクソ暑いなか、二つも峠を越えてきたのだ。もう頑張るのはやめて、のんびり行こう。布部から麓郷まで11キロだ。

 道は空知川の支流・布部川の清流に沿って雑木林の中をいく。
 沿道には黄色いキク科のオオハンゴン草(大反魂草)がたくさん咲いている。北アメリカ原産の帰化植物だ。『北の国から』の中で、蛍(中嶋朋子)に幼なじみの正吉が「百万本のバラ」の代わりに百万本のオオハンゴン草を送りつける、という場面があったのを思い出す(バラでも何でも百万本も送られたらすごい迷惑だ)。あれはこの辺で集めたのかな、と考えながら走る。

 疲労がピークに達したのか、体力の限界に近づいたのか、いよいよ本当にきつくなってきた。ペダルがやけに重い。
 木陰があるたびに停まって、ひと息つく。ペットボトルの生ぬるい水を口に含んでも、ほとんど喉を通らない。全身から大量の汗がドッと吹き出す。気を取り直して走り出すと、汗が冷却水の代わりになって、濡れた肌に風が涼しく感じられる。といっても、その効果は長続きしない。次の日陰でまたストップ。また汗が流れ落ちる。それでまたちょっと前進。
 そんな調子で、少しずつ進んでいくと、やがて林が切れ、雄大な丘が見えてきた。うねるように丘が連なる、いかにも富良野っぽい風景だ。しかし、今は暑くて辛くて、感動する余裕もない。風景を眺めるのは後回しにして、とにかく重いペダルを踏み続ける。

     麓郷

 疲労困憊で麓郷の中心部に着いたのは15時頃だった。振内からちょうど100キロ。
 交差点の角にスーパーマーケットがあったので、そこで冷たいジュースを買う。もうすっかり虚脱状態で、何もする気にならない。
「あ~あ~、あああああ~あ~」
 さだまさしのゆったりしたハイトーンの歌声がどこからか聞こえてきた。やっぱりね。

 ようやく活動再開する気になって、また自転車でノロノロと走り出し、ライダーハウスを探す。ライダーハウスとはライダーやチャリダー向けに寝場所だけを提供し、各自が持参の寝袋で寝る、というのが基本の格安な宿泊施設である。



 神主さんが書いてくれたメモによれば「フレンドあい…(なんとか)」という焼肉屋がライダーハウスもやっていて、麓郷のHさんという人を訪ねて行けば分かるはず、というずいぶん大雑把な話だったが、ここらしい、という店はすぐに見つかった。「サフォークあいランド」という店。神主さんが言ったのと微妙に(?)違うけど(「あい」だけ合っている)、看板の下に「ウッディライダーハウス」と書いてある。しかも、聞いていた通り、向かい側にはヒツジ小屋がある。たぶんここでしょう。それで、お店に入って、
「Hさんのお宅はこちらですか?」
 と尋ねると、おばさんが、
「神主さんの紹介で来た人ね?」
 ということで、ちゃんと話は通じていた。
 お店の隣のログハウスがライダーハウスで、1泊700円。神主さんによれば、ライダーハウスといっても個室に泊まれる、というウソみたいな話だったが、やっぱりウソだった。べつに騙すつもりはなかったのだろうが、個室ではなく、部屋が一つしかない(孤室?)の間違いだった(正確に言えば、女子部屋と屋根裏もあるが)。
 なかにはまだ誰もいなかったが、漫画雑誌やビールの空き缶などが散らかり、屋根裏には万年床のように寝袋が広げてある。いい雰囲気とはとても言えない。
 とにかく、僕も屋根裏の一角に荷物を投げ出し、寝袋を広げ、それからコインシャワーで汗を流して、洗濯もしてしまう。
 テラスのロープに洗濯物を干していると、新たにライダーがやってきた。札幌の大学生で、バイクは買ったばかり。これが初めてのツーリングだそうだ。

 まだ日没には間があるので、ちょっと近所を回ってこよう。とりあえず、気力、体力ともに回復した。

 なだらかな起伏のある畑の中をまっすぐに伸びる道をさらに奥へと進むと、麓郷小学校があり、校庭に今では珍しい二宮金次郎の像があった。薪を背負って本を読んでいる、あの有名な像で、昔はどこの小学校にもあったというが、僕は初めて見た気がする。「昭和14年11月10日寄贈」と書いてあった。

(麓郷小学校の二宮金次郎)

 さらにゆるやかな坂を上っていくと、広々とした畑の彼方に十勝連峰が聳え、実に雄大な風景が広がる。こういう場所を自転車で気ままに走り回るのは、やはり気分がいい。

 
(麓郷の風景)

 そんな中に『北の国から』のロケ地が点在し、黒板五郎(田中邦衛)が建てた丸太小屋「石の家」には大勢の観光客が集まっていた。

 
 (丸太小屋と石の家)

 夕張山地の彼方に沈む夕陽を眺めて帰る。



 夕食はHさんの焼肉屋で札幌の彼と2人で食べる。店のおばさんによれば、今日の北海道は気温が37度を超えたところもあって、異常な猛暑だったらしい。本州では連日こんな暑さだと言うと(それは実はちょっとオーバーなのだが…)、おばさんは考えただけでもぞっとするといった顔つきだった。でも、本州には冷房があるから、まだマシかもしれない。ちなみにおばさんは『北の国から』にエキストラで出演したことがあって、草太(岩城滉一)が死んだ時、葬式の参列者としてガッツ石松のそばに座っていたそうだ。

 ところで、この日のライダーハウスの同宿者は男ばかり5人だった。残りの3人はいずれも長期滞在で、一人は農作物の集荷場でアルバイト、一人はスーパーマーケットで働き、もう一人はアジア雑貨の露店商。なかなかユニークなメンバーが揃い、それなりに楽しい一夜ではあった。夜更けまでテラスで喋っていると、羊のくしゃみが聞こえてきた。
 今日の走行距離は114.9キロ。明日は美瑛あたりまで行くつもり。


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