日本海オロロンライン 小平~天塩      8月5日

この日は日本海に面した小平(おびら)町の望洋台キャンプ場から国道232号線「日本海オロロンライン」を最北端の稚内めざしてひたすら北上します。

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    オロロンラインを行く

 日本海に面した小平(おびら)町・望洋台キャンプ場の夜明け。
 早起きして、天塩山地の彼方に昇る御来光を拝む。今日もまた暑くなるぞ、と覚悟を迫るような日の出であった。



 7時05分に出発。ひと晩眠って疲労も回復。今のところ、さわやかな気分で走り出す。
 望洋台の下を貫く小平トンネルを抜けると、あとはずっと海岸沿い。海に落ち込む丘陵の裾を縫うように232号線「天売国道」を行く。
 天売(てうり)とは羽幌町の沖合に浮かぶ島の名前で、ウミガラスの繁殖地として知られている。ウミガラスはその鳴き声からオロロン鳥の別名があり、それにちなんで、この日本海岸ルートは「オロロンライン」とも呼ばれている。札幌と稚内を結ぶメインルートにもなっているが、道は平坦で、走りやすく、穏やかな日本海を左に見ながらの快適なサイクリングである。



     羽幌線の記憶

 ところで、このルートにはかつて羽幌線という鉄道が通っていた。留萌で留萌本線から分岐して日本海沿いに北へ向かい、幌延で宗谷本線に合流する141.1キロの長いローカル線で、僕は高校生の時、雪の季節に一度だけ乗ったことがある。幌延から南下したのだが、なぜか印象が薄い。なんとなく冬の日本海の陰気なイメージだけが記憶に残っている。
 その羽幌線は昭和62年3月末に、ちょうど国鉄が民営化されるのと同時に廃止され、今はもう線路跡も夏草に埋もれてしまったようだ。

     道の駅「おびら鰊番屋」

 潮風に吹かれながら、12キロ余り走ると、道の駅「おびら鰊番屋」がある。ここにはかつて北海道のニシン漁が盛況だった頃の網元・花田家の番屋が保存されている。明治37年頃の建築で、国の重要文化財にも指定されているそうだ。まだ時間が早くて、見学はできない。
 坊主頭の自転車少年があとから来て、少し言葉を交わす。今日は留萌市のキャンプ場から来たとのこと。
 とりあえず道の駅のスタンプを捺して、彼より一足先に出発。

     鬼鹿

 
さらに2キロほどで鬼鹿(おにしか)の集落。羽幌線にそういう名前の駅があったのは覚えている。
 ローソンがあったので、サンドイッチやヨーグルト、紅茶、それから『北海道新聞』を買って、鬼鹿の北はずれの海岸で朝食タイム。
 札幌のラジオ局の放送を聞きながら、新聞を読んでいたら、やはりここ数日の北海道は異例の暑さである、と伝えていた。今日は昨日の快晴に比べると少し雲が出ているものの、気温は早くも上がっている。

     苫前

 道はずっと平坦なのかと思っていたら、小平町から苫前(とままえ)町に入った途端にアップダウンの連続になった。
 海岸沿いの丘陵上には風力発電用の風車がずらりと並んでいる。風力発電施設は各地の海岸部で見かけるようになったが、これほどたくさんの風車を備えた大規模な施設は初めてだ。でも、まだ稼動していないのか、風車はどれも静止状態だった。

(苫前町からはアップダウンの連続になる)


     羽幌

 苫前の中心集落を過ぎると、やがて羽幌(はぼろ)町に入る。
 羽幌は日本海に浮かぶ天売・焼尻両島へのフェリーが出る港町で、かつては炭鉱で賑わった町でもある。人口は1万人弱だが、留萌~稚内間に点在する町村の中では最も大きく、街路は碁盤の目状に整備されている。

 海辺にはサンセットビーチという海水浴場とキャンプ場がある。苫前にも夕陽が丘というキャンプ場があった。この地方はどこも夕陽の美しさを最大の売り物にしているようだ。留萌市にも黄金崎というのがあり、「日本一の夕陽」と宣伝している。逆に言えば、それ以外に目立った観光資源がないということかもしれない。

 まずは海岸通りから少し奥まったところにある旧羽幌駅の跡を訪ねてみた。今はバスターミナルになり、鉄道時代の名残といえば、わずかに腕木信号機などが保存されているばかりだった。

 続いて、鉄道駅に代わって国道沿いに建設された道の駅「ほっと・はぼろ」に立ち寄る。
 この道の駅は「サンセットプラザはぼろ」という客船を模した豪勢なビルの中にあって、温泉や宿泊施設も備わり、海鳥センター(天売島のウミガラスなどの海鳥に関する資料を展示)やバラ園が隣接している。旅のライダーが目につく。ここでしばらく休憩。
 現在の時刻は10時を過ぎたところ。すでに小平から40キロ余り走って、スタート時のさわやかな気分も吹き飛び、ヘトヘトである。
 自動販売機で冷たい紅茶を買うつもりが、間違ってホットのボタンを押してしまった。あちち。



 さて、セイコーマートで水やキャンディーやバナナを仕入れて、羽幌の市街を抜けると、再び海沿いの原野の一本道となる。相変わらず起伏が激しい。たちまち全身汗まみれになる。

 前方に自転車が見えてきた。麦わら帽子をかぶり、ばかでかい荷物を背負っている。自転車は最近流行の折りたたみ式。小平のキャンプ場で見かけた兄さんである。
 あちらはタイヤの径が小さい自転車なので、スピードはあまり出ないようで、どんどん追いついてしまう。後方についてペースを合わせてみたら、速度計の数字は時速15キロで一定している。まさにマイペースで坦々と走っている感じ。いつまでも後ろについていても仕方がないので、速度を上げて「お先に」と声をかけて一気に追い抜いた。

     初山別

 11時05分に羽幌町から初山別(しょさんべつ)村に入り、人口も希薄な地帯を何度も小休止しながら北上。
 村役場のある中心集落には11時50分に着いた。道路の両側に建物が並ぶが、空が広くて、陽射しを遮るものは何もない。道行く人影もほとんどない。
 初山別郵便局の前に「聚山別駅逓所跡地」の碑が立っていた。駅逓は北海道開拓時代の道路交通の中継地点として、宿泊施設を備え、馬を飼育し、郵便業務も担った施設で、いわば道の駅の元祖とも言うべき存在である。ここには鉄道の駅もあったはずだが、その跡地には気がつかなかった。

 初山別をあとに走り出すと、海に迫る丘陵の斜面にへばりつくような羽幌線のコンクリート橋が残っていた。かつての羽幌線の列車の撮影名所である。貴重な鉄道遺跡にも思えるが、廃止後12年が過ぎて、ようやく撤去工事が始まっていた。



     みさき台公園

 そこから海岸を離れて急勾配を上ると、まもなく「みさき台公園」の入口で、そこを左折。休むきっかけさえあれば、いつでもどこでも休みたい、というのが今の状況である。
 みさき台公園は日本海を一望し、豊岬の集落を見下ろす広々とした草原台地にあり、天文台やキャンプ場、レストランなどがある。辺地のわりには賑わっている。



 まずは灯台を見にいく。昭和44年初点灯の金毘羅岬灯台。「赤白横線塗、塔形、コンクリート造」の灯台で、灯質は「単閃赤光、毎4秒に1閃光」。地上から頂部までの高さは12メートル、水面から灯火までは55.6メートル。灯台の名前は海の安全を祈願して岬に金毘羅神社を祭ったことに由来するという。

 灯台の次はしょさんべつ天文台。平成元年に環境庁主催の「星空コンテスト」で、初山別村が「美しい星空」のひとつに選定されたのを記念して建てられたらしい。
 この天文台には「マイ・スターズ・システム」というのがある。天文台からは約1億個の星が見えるそうだが、その大半は名前をもたない。そこで名もない星に自分で名前を付けて登録してしまおうという趣向である(ただし、その名前は初山別村でしか通用しない)。どこの自治体も村おこし、町おこしにあれこれ知恵を絞っているのだ。

 この岬のキャンプ場に泊まって、星空観察というのも魅力を感じるが、まだ正午を過ぎたばかりだし、もう少し進もう。
 その前にとりあえずレストラン北極星(ポラリス)で昼食。本州なら夏の真昼のレストランといえば冷房が効いているのが今や当たり前だが、北緯44度の土地には冷房なんて存在しないのだ、という事実を改めて認識した。テーブルについた途端に滝のような汗である。額の汗が口に流れ込み、しょっぱい。もう全身塩味の男になっている。体内塩分が不足したせいか、塩ラーメンが食べたくなった。
 タオルで汗を拭いつつ、ラーメンを腹に入れて、みさき台公園を出発。さらに北上の旅を続ける。



     遠別町

 13時15分に遠別町に入ると、ようやく道が平坦になった。初山別村には最北のリンゴ園があるとのことだったが、この遠別町は日本の稲作の北限であるという。
 13時19分には「稚内まで100㎞」の標識を通過。

(稚内まであと100km)

 このあたりは右側には牧草地らしき緑野が広がり、その中に羽幌線の線路跡がずっと続いている。それと知らなければ分からないほどに草むしているが、川の部分にはコンクリート橋が残っている。

(羽幌線の線路跡が続く)

 左側は草原をはさんで日本海。目を凝らすと、はるか遠い水平線に空の色よりわずかに濃い青色の三角形が浮かんでいる。利尻富士だ。いよいよ利尻島が望まれるところまでやってきた。

 まもなく対向車線のクルマの若い女性に声をかけられる。
「すみません。この先にバッグが落ちていませんでしたか?」
「いや、気がつかなかったですけど…」
 どうやら途中でバッグをなくしたらしく、引き返して探しているようだ。彼女はすぐに初山別方面へと走り去ったが、クルマを運転中にバッグを落とすなんてことがありうるだろうか。そんなことを考えているうちに遠別町の中心集落が近づき、道の駅「富士見」が見えてきた。

     道の駅「富士見」にて

 「富士見」とは北海道らしくない、ずいぶん地味というか平凡なネーミングだが、利尻富士が見える土地にちなんでいるのは言うまでもない。
 とにかく、ここでまた大休止。時刻は13時45分である。
 家族旅行のクルマやツーリングのライダーが多いが、自転車旅行者も何人かいる。
 そのうちの1人は今朝、「おびら鰊番屋」の道の駅で会った彼だった。あとで互いに名乗りあったのだが、京都の高校2年生で、O君という。若いわりには渋いドロップハンドルのツーリング車に乗っている。
 ほかにマウンテンバイクの男女2人組。岐阜県から来たG君とHさん。
 結局、この3人と一緒にここから北へ20キロ弱の地点にある天塩町のキャンプ場へ行こうという話がまとまった。そのキャンプ場の近くに入浴できる施設があるらしいという、僕が提供した情報が決め手である。やはりサイクリングの後は風呂でゆっくり汗を流したいと誰もが思うようだ。

 先に出発したG君たちに遅れて、14時半に僕も走り出す。
 遠別川を渡り、遠別の集落を抜けると、国道は日本海から離れて、内陸の牧草地帯を走るようになる。再び起伏が多くなり、牧草の丘をいくつも乗り越えて進む。北へ、北へ、ひたすら北へ!

     鏡沼海浜公園キャンプ場

 天塩町は名前の通り道北の大河・天塩川の河口に開けた町である。
 その河口の近くに鏡沼という美しい沼があり、その周囲が鏡沼海浜公園キャンプ場になっている。利用は無料で、設備も整っているし、居心地はよさそうだ。
 キャンプ場に備えつけの2槽式洗濯機が無料で使えたので、O君と一緒に洗濯をした後、鏡沼を見下ろす高台に立つ林業研修センターの公衆浴場へ出かける。
 料金310円を支払って風呂へ行くと、窓の大きな展望浴室で、強烈な西陽が射し込んでいた。浴室内は猛烈な熱気で息が詰まるほど。今日もまたお湯につかる気にはとてもなれず、ごく低温のぬるま湯をかぶって満足する。G君もO君もこの自転車旅行のために初めて坊主頭にしてきたそうで、洗髪が楽だとふたりして笑っていた。



 それから町のスーパーマーケットへ買い物に出かけ、夕食はG君たちのコンロと鍋で自炊。
 太陽がようやく熱を失い、西の空をオレンジ色に染め、利尻島のシルエットの彼方に沈んでいく頃、4人でテーブルを囲む。こういうひとときは本当に楽しい。肉だんごやエビ餃子、ごぼう天ぷらなどをおでん風に煮込んだのが大変美味かった。いつしか頭上には星空が広がっていた。
 本日の走行距離は112.9キロ。


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