根室サイクリング
  ~長節湖・花咲岬・納沙布岬
    1997年8月8日


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 根室市落石の民宿「カジカの宿」で迎える朝。
 昨夜の星空がそのまま明るくなって、青空が広がっている。天気は下り坂との予報だったが、この分だとまだしばらくは持ちそうだ。ただし、落石岬はまた霧に包まれ、灯台の霧笛がここまで聞こえてくる。

 

 7時前に出発した2人が朝飯は釧路の和商市場で食べると言っていた。クルマなら釧路まではわずか2時間なのだ。べつに驚くほどのことではないが、あちこちで寄り道や遠回りをしたとはいえ、ここまで自転車で2日がかりで走ってきた道のりを思い返すと、信じ難いスピードに思われる。浮き世離れした旅を続けていると、距離と時間の感覚が現代の常識からどんどんズレていくようだ。まぁ、現代の常識が必ずしもマトモだとは限らないけれど…。
 こちらはゆっくりと朝食をとった後、宿代5,000円を支払い、ペットボトルに水をもらって、8時半頃出発。落石から根室市街までは鉄道に沿って一本道である。

 
(根室本線・落石駅)

 根室まで19キロ地点にある落石駅前を過ぎて、まもなく浜松海岸に出る。沖合に海鳥の楽園で天然記念物に指定されたユルリ、モユルリ両島を望む景勝地らしく、かつてドラマ『北の国から』の撮影も行なわれたそうだ。立派な駐車場が整備されているが、相変わらず海上には霧が立ちこめていて、島は見えなかった。

 ところで、そろそろ追い抜かれる頃だ。昨夜同宿した旭川の個人タクシーの運転手さんである。観光客を乗せて道東めぐりの途中ということで、今朝は9時半に根室のホテルまでお客さんを迎えに行く約束なのだと言っていた。僕の方が一足先に出発したのだが、もうまもなく抜かれるはずだと思っていると、落石の次の昆布盛駅の手前でタクシーがクラクションを鳴らして走り過ぎていった。こちらもミラーに向かって手をあげて応えたが、ひとり旅ではこういう瞬間が妙に嬉しいものである。

 森が途切れて左側になだらかな牧草地が広がり、向こうに極めて美しい湖水が見えてきた。温根沼(オンネトー)。対岸には蒼々とした原生林が続き、写真で見たスカンジナビアの森と湖の風景を思わせる。

(温根沼)

 そして、牧草地の片隅にはまたエゾシカが1頭。昨日の夕方から動物の姿を見かける頻度が高くなってきたが、これはべつに運がいいとかいうことではなくて、単にこの辺では野生動物がごく日常的に人々の視界に現われるというに過ぎない。
 とりわけ最近その数が急増しているというエゾシカは農家にとって作物を食い荒らす害獣でもあって、牧草地の入口には猟銃によるシカの駆除を行なっているため牧草地への立ち入りを禁止するという注意書きがあった。僕が見たシカはやがて森の中に姿を消したが、いつまで無事でいられるだろうか。

 再び走り出して坂を上ると、「長節湖入口」の標識があった。どんなところか知らないが、急ぐ旅でもないので寄ってみよう。
 右へ折れて、雄大な牧場地帯を太平洋岸へ下っていくと、左に美しい沼が見えたが、何の表示もない。さらに道なりに行くと海辺の集落があり、昆布を干す広場の先にもう少し大きな湖があった。これがそうらしい。
 周囲は鬱蒼とした森林に覆われ、湖岸にはヨシが密生する原始的な佇まいだが、対岸近くの小島には赤い鳥居が見える。ほかに人影はなく、ただオオセグロカモメの群れだけが騒いでいる。
 湖畔には「根室十景・長節湖」の看板があり、その片隅に小さくLAKE CHOBOSHIとある。チョウブシ湖かと思っていたが、チョウボシ湖と読むのが正しいらしい。

(長節湖)

 湖の周囲には45体もの観音像が安置され、一周約4.5キロの遊歩道で結ばれているというが、その遊歩道の入口には「熊出没注意」の警告が出ている。どの程度の確率で出てくるのかはともかく、警告があるからには近くに生息しているのだろう。いま現在、僕のほかに観光客がいる様子もないし、ひとりで歩くのはやめておく。
 
 ところで、長節湖に来る途中に見つけたもうひとつの小さな沼であるが、こちらにも捨てがたい魅力がある(長節小沼というそうです)。なだらかな起伏のある緑の草原に囲まれた海辺の水面で、ほとりに立つ赤い屋根の古い農家が絶妙のアクセントになっている。
 頭上は晴れているが、眼下の沼には海から濃霧が押し寄せてきて、せっかくの風景が白く霞んできた。

(霧に霞みつつある長節小沼)

 そこへ坂を下ってきたのは、髭面のライダー。
「あれがナガフシ湖ですか?」
「いや、もう少し先です」
 わざわざ読み間違いを訂正しなくても、行けば自分で気づくだろう。彼を見送って、僕も走り出す。まもなく、昆布を満載したトラック2台とすれ違った。 

 次の目的地は花咲岬。根室市街のはずれの太平洋に面した小さな岬で、12年前(1985年)の早春に訪れたことがあり、懐かしいところである。そのとき下車した花咲駅とあわせて訪ねてみたい。
 空に少し雲が広がってきた。時折、路上にも霧が流れてくる。海岸付近は真っ白に霞んでいるが、海から離れるにつれて霧は濃淡さまざまに拡散して、やがて消えていくようだ。とはいえ、霧は後から後から発生しては大地に這い上がってくるので、緑一色の単調な風景を覆う乳白色の霧が微妙な階調を生み出して独特の味わいを醸している。

 さて、花咲駅にやってきた。
 まえにこの駅に降り立った時は無人駅ながらまだ古びた木造駅舎が残っていたが、今はそれも姿を消し、更地となった広場に使い古しの貨車が待合室代わりに置かれているだけ。青く塗られた車体に描かれた鮭のイラストが余計に侘しさを感じさせる。

 
(花咲駅。左は1985年3月。右が1997年8月。駅は2016年3月に廃止)

 太平洋側にあって冬も凍らない花咲港は根室の漁業基地で、街もそれなりに大きい。ところが、花咲駅は港から遠く離れた不便な場所にあって、駅前に立っても港や岬に通じる道は見当たらない。花咲から根室へはバスの方が断然便利だし、そもそも大抵の人はクルマ移動だから、この駅を利用する人は極めて少ないのだろう。

 さて、駅からまっすぐ岬へ行くには、ホームから線路に飛び下りて、その向こうに生い茂った草むらを突破すれば道に出られる(前回は夏草の代わりに膝まで積もった雪を踏み越えてその道に出た)。しかし、自転車ではそうも行かないので、1キロほど線路に沿って走ると、根室と花咲を結ぶ広い通りにぶつかり、そこを右折して線路を陸橋で越えると、ようやく岬へ通じる道が見つかった。

 久しぶりに訪れた花咲岬もまた様子が変わっていた。何もなかったはずの岬に駐車場やトイレ、遊歩道が整備され、観光客も何組か来ている。こちらはずいぶん立派になったものだ。

 
(霧の花咲岬)

 もともと霧多布岬や落石岬に比べるとずっと小さな岬なのだが、ここには灯台下の岩場に国の天然記念物に指定された「車石」という奇岩があって、それが見どころとなっている。その名の通り、車輪を思わせる玄武岩の放射状節理で、千島火山脈の活動を通じて形成されたものらしい。最大のものは直径6メートル。ほかにも大小さまざまな車石が数多くあり、世界的にも珍しい景観だという。
 ここにも車石観察用の展望台が新設されていた(正直なところ、車石というのはさほど面白い物ではなく、写真を撮り忘れたので、下に1985年の写真を載せておきます)。

 (花咲岬と車石 1985.3.1)

 前回は雪晴れで太平洋もキラキラと輝いていたが、今日は紅白の灯台も霧に包まれ、沖合に浮かんでいるはずのユルリ島、モユルリ島も相変わらず全く見えない。もちろん、ここの灯台にも霧信号所が併設され、一定の間隔で霧笛が吹鳴されている。暑さとも無縁で、今が夏であることを忘れそうになる。
 それでも、岬の断崖にはオオセグロカモメが営巣し、周辺の草原にはその名に相応しく白や黄や紫の花がひっそりと咲いている。紫色の花はクサフジだと思うが、あとの花の名前は不明。これからはもっと花の名前を勉強するようにしよう。

 次は花咲岬に抱かれた天然の良港・花咲港。花咲ガニの水揚げで知られる北洋漁業の基地で、町なかには浜茹での真っ赤なカニを売る店が軒を並べている。また、近年、ここには北方領土のロシア漁船も入港するようになったらしく、町を歩くロシア人の姿もちらほら。
 前回根室に来た時はまだソビエト連邦が健在で、東西冷戦が続いていたからロシア人が根室の街を歩き回るなんてことは考えられなかった。それが今では街のそこかしこにロシア語の看板が目につき、根室市民の間にはロシア語を学ぶ人が増えているというから、ずいぶん時代は変わったものである。そういえば、冷戦を終結させ結果的にソ連崩壊のきっかけを作ったゴルバチョフ政権が誕生したのは12年前の旅の最中だった。

(花咲の街にはロシア語の看板も)

 さて、花咲をあとにいよいよ根室市街をめざす。あと6キロほど。
 だんだん住宅が増え、あたりはすっかり街らしい風景に変わってきた。小さな地方都市に過ぎないが、これまで極端に人口の少ない土地ばかり走ってきたので、大都会に感じられる。

 11時半過ぎに根室駅前に着いた。
 本当は昨日のうちに根室に着くはずだったが、あちこち寄り道したおかげで予定よりだいぶ遅れてやっと日本最東端の街に到達した。はるばる根室まで(といっても釧路からだけど)自転車でやってきたかと思うと、なかなか感慨深いものがある。

(根室駅)

 根室へは5度目。観光インフォメーションセンターとバスターミナルが整備されたほかは駅前の風景にさほど変わりはないようだ。どこかの大学のサイクリング部らしき一団がたむろしている。
 根室駅にも釧路駅と同じようにう古い客車を使った簡易宿泊施設(ツーリング・トレイン)があることが分かったので、今夜はそこに泊まることにして、午後は納沙布岬まで行ってこよう。どんなところであるかはもう分かっているが、ここまで来たからには本土最東端をめざしたい。

 まずは街なかの回転寿司店(ネタが新鮮で大きくて美味かった)で腹ごしらえしてから出発。
 空はいつのまにか青さが失せて、市の中心部の電光式気温計は「17.2℃」という夏の昼間の気温とは思えない数字を表示している。でも、これが根室のいつもの夏なのだろう。

 さて、納沙布岬行きのバスは根室半島の太平洋側を辿るが、今日は根室海峡に面した北岸ルートを走ってみよう。岬までは片道23キロほどである。
 鳴海町、汐見町、海岸町などいかにも港町らしい名前の町を過ぎると、道はまた雄大な大草原へと出ていく。左手には夏の輝きとは無縁の寒々とした海が続き、バスの通る南岸ルートよりもいっそう寂しげな最果ての道。しかし、バイクや自転車で旅する人々とはわりと頻繁に出会う。やはり道東まで来れば誰しも納沙布岬を訪れるようだ。

 そもそも岬をめざす旅人の心理には、登山家と一緒で、大地の先端にまで自分の足跡をしるしたいという征服欲のようなものがあるのだろう。それが本土最東端の岬ともなれば、なおさらそういう気持ちが強くなるわけで、僕にしても「はるばる納沙布岬まで自転車で行った」という事実を自分の経験コレクションに加えたいという欲求がペダルを踏み続ける主要な原動力になっていることは否定できない。

 とにかく、なだらかな起伏を繰り返す草原の道を東へ東へと10キロほど走ると、納沙布岬より先に「ノッカマップ岬」という看板が現われた。初めて知る地名だが、草原の彼方に海をバックに灯台が立っている。心惹かれて岬へのデコボコ道に自転車を乗り入れる。

 
(草原の彼方に灯台が見える)



 ノッカマップ岬。岬と呼ぶほど突き出ているわけではないが、白や黄色やピンクの花が咲き乱れる草原の尽きたところに白と黒に塗り分けられたシックな装いの灯台が立っていた。

(ノッカマップ岬灯台)

 曇り空を映す波静かな根室海峡は青みを含んだ銀色で、霧は出ていないものの、水平線の彼方は霞んでいる。晴天で空気が澄んでいれば、知床半島や国後島が見えるのかもしれないが、そんな日は滅多にないのだろう。うすら寒い天候のせいか、とても寂しい感じなのも僕は嫌いではない。灯台の傍らに廃棄された錆びついた自動車すらも荒涼とした岬の風景の一部と化している。
 そして、海辺の笹原にはあたかも人間に見つかるのを恐れるかのようにハマナスが密やかに濃いピンクの花を咲かせていた。
 これからめざす納沙布岬よりもノッカマップ岬の方がずっと好ましく思われたが、やはり先を急ごう。

(ハマナスの咲く海岸)

 すぐにまだ10代と思しき女の子2人組が納沙布岬方面から自転車で走ってきて、すれ違いざまに明るい声で「こんにちは!」と挨拶していく。あのような少女たちが重い荷物を自転車に積んで旅をしているというのは現代の一般的な風潮からするとなんだか信じられない気がする。

 木々が風になびくように変形したミズナラ林のある北方原生花園を過ぎて、まもなく道路際の牧草地にまたまたエゾシカがいた。今度は2頭で、いずれもメス。背中の白い斑点が数えられそうなほどの距離である。シカは牧草を食むのを止めて、大きな耳をそばだて、しばらくこちらの様子を窺い、それからまた草を食べ始める。牧草地の所有者が見たら、猟銃をぶっ放したくなるところだろう。なんだか知っている子どもが万引きするのを目撃してしまったような複雑な心境になる。

(牧草地にエゾシカ2頭)

 とうとう雨が落ちてきた。やはり予報通りだったか。ほとんど住む人のいない海辺の草原ルートはどこまでも続き、雨宿りする場所もない。とにかく走るしかない。

 茫洋とした根室海峡に沿って、雄大な草原の丘が連なり、その合間に瀟条たる湿原やトーサムポロ沼が現われる中を坦々と走り続け、ようやく見えてきた集落が温根元。岬までもうひと息だ。
 ホッとしたところで、あろうことか、大音響で軍歌を流しながら右翼団体の宣伝車が走ってきた。やはりこういうことになっているのか。実は昨日落石の宿で聞いたのだが、明日8月9日は日本全国の愛国的な団体が納沙布岬に大集結する日なのだそうだ。1945年のこの日にソ連軍が日ソ中立条約を無視して北方から攻め込んできた、いわば北方領土問題の発端になった日というわけで、北方領土奪還をめざして気勢をあげるらしい。
 だんだん俗っぽい雰囲気になってきて、日の丸や勇ましいスローガンを掲げた黒い車がズラリと並ぶ駐車場が見えてくると、納沙布岬である。早くも凄いことになっているようだ。夏は初めてとはいえ、納沙布岬はもう5回目なので、よく知っているつもりだったが、まさかこんなことになっていたとは!

 とにかく、北海道の最東端にまで自転車でやってきた。時刻は14時11分。この旅での通算走行距離は355.1キロ。天候は雨。気温は15.5度で少し寒い。
 霧が立ちこめ、ここが大地の果てであることは分かるものの、海はすっかり霞み、もちろん、北方領土の島々など見えるわけがない。

 関西方面のナンバーをつけた右翼の車が続々と到着するが、もちろん普通の観光客も多く、入れ替わり立ち替わり、「本土最東端・納沙布岬」の標柱の前で記念撮影をしている。マウンテンバイクの青年にシャッターを頼まれたので、僕もついでに1枚撮ってもらうと、そこへ若いカップルがやってきて、「すいません、シャッターを押してもらえますか」と頼まれるといった具合である。

 それにしても賑やかになったものだ。来るたびに土産物屋の数が増え、客引き合戦も熾烈になっている様子。店内では一般の観光客に交じって、ダークグリーンや紺の戦闘服に身を包んだあまり一般的ではない人たちもお土産を物色している。事情を知らずに来た観光客の目には納沙布岬は相当異様な場所に映ったのではないだろうか。

(納沙布岬灯台)

 長居は無用とは思いながらも、一応、北方領土関連の展示施設を右翼の人たちに交じって見学し、ずんぐりした納沙布岬灯台も眺めて、15時前に岬を出発。雨はほとんど止んだ。

 帰りは太平洋側の南岸ルートを行く。こちらも牧草地と原野と湿原の中の一本道だが、さすがにバスが通るルートだけに、比較的人家も多い。珸瑤瑁(ごようまい)、歯舞(はぼまい)、フラリ…など停留所の名前が日本の果てを実感させてくれる。
 納沙布岬に最も近い珸瑤瑁の集落には「日本最東端の学校」の標柱が立つ珸瑤瑁小学校があり、立派な鉄筋コンクリートの校舎に「開校百周年まであと2年」の文字が掲げられている。こんなところにこれほど歴史の古い小学校があるとは意外だった。

(日本最東端の小学校)

 ほかにも「最東端の郵便局」とか「最東端のガソリンスタンド」とか、あやかり商売が目についたが、一番心に留まったのはフラリ停留所。どことなくユーモラスな名前で、前回バスで通った時から記憶に残っていた。漢字では「婦羅理」と書くのだが、やはりカタカナがいい。穴の開いた赤いソファが置かれたバス停小屋の壁には近々根室で行なわれるプロレス興行のポスターが貼ってあり、ジャイアント馬場やスタン・ハンセンなどの顔ぶれが見える。そして、民家の塀には黒地に白文字で「終わりの日に神の前に立つ」。プロレスのポスターと聖書の言葉、どちらも旅をしていると日本各地でしばしば見かけるものである。

(フラリ停留所)

(昆布干し場にエゾシカ3頭)

 なだらかなアップダウンが続いたものの、気分よく走り続け、途中、沿道の昆布干し場にまたエゾシカが3頭いるのを発見したりして、16時半頃に根室駅前に到着。今日のサイクリングはこれでおしまいにする。

 根室駅のツーリングトレインは釧路駅より100円安くて1泊500円。駅の窓口で申し込む。
 根室駅は根室本線の終点とはいえ、駅自体の規模は小さく、全列車が駅舎のあるプラットホームに発着する。つまり1番線しかない。ツーリングトレインはその隣の側線に留置された2両の客車で、僕に割り当てられたのは1号車16番。駅舎の脇の通用口から自転車ごと乗り入れて、ホームのはずれの駐輪場に自転車を止め、線路を横断し、タラップを使って乗り込むと、座席をすべて取り払い、畳を敷き詰めた車内にはすでに大学生サイクリストのグループが寝袋を広げて陣取っていた。先日、釧路のツーリングトレインに泊まった時は我ながら貧乏臭い旅をしていると思ったが、今ではこれが当たり前になってしまった。もともと高級ホテルや旅館で豪華なご馳走を食べるような贅沢な旅にはあまり関心がないが。

(根室駅構内に開設されたツーリング・トレイン)

 さて、銭湯に行ってくるか。衣類は最小限に抑えたので、そろそろ洗濯をしないと着る物がなくなってきた。さっきコインランドリー付きの「あけぼの湯」というのを見つけておいたので、リュックに洗濯物などを詰め込んで、自転車で出かける。
 銭湯の入浴料金は360円。風呂は少し熱めだったが、とりあえず汗を流してさっぱりしてから洗濯。コインランドリーというから勝手に洗濯機や乾燥機が何台も並んでいる光景を想像していたのだが、実際にはロビーにそれぞれ1台ずつあるだけで、しかも、先客がいたので、ずいぶん待たされた。それから洗濯30分、乾燥40分。番台のおばちゃん(途中から美人の娘さんに交代した)と地元のお客さんとの会話を聞きながら、ソファに座ってテレビを見ていると、根室という街が少し身近になったような気がした。
 その後、コンビニエンスストアのタイエー(ダイエーではない)で明日の朝食用にパンなどを買い、ラーメン屋で夕食を済ませて、駅に戻る。

(発車を待つ最終列車とツーリングトレイン)

 本日の走行距離は90.6キロ。通算では383.9キロになった。

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