釧路~霧多布 1998年8月5日

 走行ルート:釧路~昆布森~尾幌~厚岸~あやめが原~涙岬~琵琶瀬展望台~霧多布岬(112.2キロ)

 道東地方といえば、阿寒湖や摩周湖、あるいは知床半島ということになりますが、本当の最果てムードを味わいたければ、釧路から根室へ向かう海岸ルートが断然素晴らしいです。夏でも霧に包まれ、めったに太陽が出ない、厳しい風土の中をひたすら走るサイクリング。十分な食料や水の準備をお忘れなく。

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    雨の釧路を出発

 釧路の街は朝から雨だった。しかし、さほど強い降りではないので、そのうち止んでくれるのではないかと勝手に期待しつつ6時半に出発。

(釧路駅。左がツーリングトレイン)

 濡れた道路を飛沫を上げて走るクルマの音と上空を飛び交うカモメの鋭い鳴き声を聞きながら駅前大通りを南へ走り、旧釧路川の河口にかかる幣舞橋を渡って、急な坂道を上がると、あとは道なり。太平洋岸の丘陵の尾根伝いに道道142号「根室浜中釧路線」を行く。当面の目標地点は厚岸。夕方までには霧多布に着ければと思う。

 初めは大した雨ではないと思っていたが、少し楽観的すぎたかもしれない。荷物の防水については万全を期したものの、自分自身に関してはレインウェアの上着だけで、下は短パンのままである。すでに頭を覆うフードの先から滴がしたたり、ずぶ濡れ状態。朝食はまだなので、釧路市郊外の住宅街を抜ける前に食料を調達しなければならないが、すでにお店に入るのが迷惑な姿になっている。
 それでも、コンビニエンスストアのセイコーマート桜ヶ岡店というのを見つけると、背に腹は替えられず、水滴をポタポタ垂らしながら、おにぎりなどを買い、また雨の中を走り出す。
 食料は手に入ったが、食べるのに適当な場所がなかなかなくて、しばらくは袋をハンドルにぶら下げて走り続ける。
 やがて、町並みが後方に遠ざかり、道路の交通量もぐっと少なくなって、あたりが山林ばかりになってくると、釧路市から釧路町に入る。道路の真ん中でクルマに轢きつぶされたカモメの死骸が濡れている。雨がだんだん強くなってきた。

     又飯時

 7時45分頃、又飯時(またいとき)というバス停を通りかかる。わりと立派な待合小屋があるので、自転車ごと避難して、やっと朝食タイム。
 又飯時の集落は細い坂道をずっと下った海岸部にあるらしく、バス停周辺には何もない。当然、人影もない。時折、水飛沫を上げてクルマが走り過ぎるばかりで、バスも先刻すれ違ったから、次は当分来ないだろう。
 とりあえず一息ついて、粗末な食事を終えたが、強い雨足にしばらくは出発を見合わせ。ぼんやりとベンチに座って雨宿りするのも、旅の一場面として悪くはない。あまり嬉しくもないが。

 いくらか小降りになったようだ。そろそろ行こう。調べてみると、短パンのポケットの中の財布の中身にまで水が染みている。慌てて財布をビニール袋でくるみ、短パンの上にレインウェアのズボンを重ねて穿く。これで顔面以外は全身完全防水態勢の出来上がり。こんな格好になると、なんだか悲壮感が漂うが、とにかく8時15分に再出発。

     昆布森

 宿徳内という土地を過ぎて、まもなく分岐点がある。左へ行けば国道44号線で、厚岸方面への近道だが、ここはあえて右へ行く。ずっと海岸線を辿るルートである。遠回りになるし、恐らくアップダウンも多いはずだが、こちらの方が面白そうではある。
 というわけで、分岐点を右折すると、すぐに急カーブの連続する下り勾配になり、眼下に昆布森漁港が見えてきた。釧路以来ずっと海岸集落を無視して尾根の上を走ってきたが、ここで初めて海岸まで下るのだ。昆布森はそれだけ大きな集落なわけだが、その先にまた山登りが待っているのは明らかで、この長い下り坂はちっとも嬉しくない。
 かなりの標高差を一気に下って、そぼ降る雨の中、立派な漁港のある静かな集落を俯いたまま通り過ぎ、すぐにまた上りにかかる。
 地図によれば、この先はかなり急峻な海岸線が連なり、崖下にうずくまるように人家ないしは番屋が点在しているようだが、道はもうそのような場所に寄ることもなく、ひたすら丘陵の尾根上を行くようである。
 それにしても、坂はかなり長くてきつい。一体いつまで続くのかと思いながら、曲がりくねった道をどこまでも上っていく。尻を浮かせてフラフラしながら延々と上って、ついに息切れして、一旦停止。フーッと大きく息をつく。それから気を取り直して、また上り始める。しばらく走って、また休む。思っていた以上に辛い。
 唯一の心の慰めは野鳥のさえずり。山林の奥でエゾセンニュウの澄んだ声がするし、ウグイスの声もあちこちで聞こえる。ほかに耳に届く音といえば自分の息遣いと自転車のタイヤの摩擦音、そして全身を打つ雨音ばかり。クルマも滅多に通らないし、旅のライダーもほとんどいない。ましてや、自転車で走っている奴なんてまったく出会わない。

     超難読地名

 ようやく長い上り坂が終わり、やがて来止臥という地名が現われる。これでキトウシと読むそうだ。北海道には読み方の難しい地名が多いが、とりわけこのあたりは超難読地名が並んでいる。
 浦雲泊跡永賀冬窓床初無敵入境学賎夫向分遺瀬老者舞知方学などなど。
 いずれもアイヌ語地名に漢字を無理やり当てたものだが、知らなければ絶対に読めないこんな漢字表記はヨソ者にとっては冗談か嫌がらせとしか思えない。むしろカタカナ表記の方がスッキリするのではないか。そう思う反面、この突飛な漢字表記の想像を絶する読み方が分かってくると、なぜかそこはかとない感動が込み上げてきたりもする。ちなみにこれらの地名は順にポントマリ、アトエガ、フユマ(またはプユマ)、ソムテキ、ニコマナイ、セキネップ、ワカチャラセ、オシャマップ、チッポマナイと読むのである。

     岬と霧の花街道

 ところで、釧路から根室にかけての海岸ルートは「北太平洋シーサイドライン」と呼ばれ、沿道には「岬と花の霧街道」などという標識も立っているが、今のところは走っていても海が見えることはない。
 静かな森の中を上っては下り、下っては上っていると、突然、すぐそばでバキバキバキッと大きな音がした。あまりにびっくりして心臓が止まるかと思ったが、音のした方に目をやると、茂みの奥に逃げ込む大きなエゾシカの白い尻が見えた。
 心臓のドキドキが鎮まる間もなく、また上り。どこまでもアップダウンの繰り返しで、しかも、下る距離より上る距離の方が長いから道路の標高はだんだん高くなっているようだ。



 雨は相変わらず。風も出てきて、吹き降り状態。スッポリかぶったフードをパチパチと雨粒が叩き、眼鏡のレンズも水滴で埋め尽くされる。前が全然見えないので、何度も眼鏡を拭くが、ハンカチ自体が湿っていて、拭いても拭いても視界はクリアーにならない。おまけに霧も出てきたようだ。なんでこんな雨の中を走っているのだろうかと思う。ほかに自転車で走っている仲間でもいれば、少しは励みにもなるが、一人も会わない。すれ違うクルマもほとんどないし、沿道には一軒の民家もない。
 やがて、森が途切れて、波打つ草原に出た。右側は大地が切れて真っ白な虚空が広がっている。恐らく太平洋の打ち寄せる断崖上に出たのだろうが、下界には霧が立ち込めて、何も見えない。なるほど、これで「霧街道」か。



 それからまたしばらく山林の中を抜けていくと、再び草原台地に出て、セキネップ駐車公園というのがあった。晴れていれば、海の展望が素晴らしいに違いないが、海側は霧で真っ白。休憩しようにも、駐車場のほかには何もない。もちろん、人っ子ひとりいない。
 道路上にもだんだん霧が流れてきた。センターラインの見え具合から判断すると、視界は60~70メートル程度だろうか。

(霧の立ち込める中を走り続ける)

 現在位置もよく分からないまま、ただ黙々と走っていると、ようやくこのコースの最高地点を越えたらしく、ついに長い下りが始まった。標識によれば最大7パーセントの連続勾配で、ぐんぐん加速。濃霧による視界不良の中を勢いよく下っていく。
 やがて、カモメの声だけが聞こえる静かな漁港の前に出た。鉛色の海は厚岸湾。霧は消え、雨もいくらか弱まった。濡れたアスファルトの路面にもなんとなく明るさが感じられる。
 本当は太平洋と厚岸湾を仕切るように東へ突き出た尻羽岬へ寄ってみようかとも考えていたのだが、今はそういう寂しそうなところへ行く気分ではない。このまま先へ進もう。
 今までずっと東へ向かっていたが、厚岸湾にぶつかったので、ここからしばらくは北へ走る。道は平坦になり、あたりは牧草地に変わった。

(直進・オタクパウシ)

 途中に「オタクパウシ」という方面標識があって、未舗装の道が原野の奥へ伸びていく。どんなところだろうかと興味が湧くが、寄り道はせず、「厚岸・国道44号」方面へ進む。

     国道44号線

 さて、ようやく10時50分に根室本線の尾幌駅前根釧国道44号線にぶつかった。尾幌は釧路から32.5キロ地点にある駅だが、遠回りをしたせいで、僕の走行距離はすでに50キロを超えている。体力的にもかなり消耗してしまったが、なんとか俗世間に生還したというようなホッとした気分にもなる。

 道道142号線はここから厚岸までは国道44号線に吸収されてしまうので、しばらくは交通量の多い国道を走る。牧草地ばかりの平坦ルートで、今日初めて自転車旅行者(チャリダー)とすれ違ったりもする。もちろん、ライダーともたくさん出会う。
 とにかく疲労困憊でちんたらちんたら走っていたが、それにしてもペダルが重い。ずっと雨の中を走ってきて、チェーンのオイルが流れてしまったようだ。そういうこともあるだろうと、今回は潤滑オイルを用意してきたので、自転車を止めて、チェーンやギアに注油したら、調子がよくなった。

 尾幌から9キロほどで門静駅前。ここでちょっと休憩。あとからマウンテンバイクの青年が追いついてきた。自称「超低速の男」という彼は釧路からずっと国道を走ってきたそうだ。僕が海岸沿いの道を通ってきたと言うと、
「それってむちゃくちゃ遠回りじゃないスカ」
 と感心したような呆れたような口調で言う。彼も今日は霧多布へ行くというから目的地は一緒であるが、走るペースはそれぞれ違うので、別々に走り出す。

     厚岸

 釧路以来の町らしい町に入り、厚岸駅前には11時50分に到着。釧路と根室の間では一番大きな駅であり、釧路から46.6キロ。国道でもほぼ同じ距離である。僕はもう65キロ以上走ってしまったが。

(厚岸駅前)

 それにしても、走るのをやめると、急に不快感が増してくる。レインウェアの下で汗が吹き出し、Tシャツも短パンも湿っているし、靴の中まで浸水している。髪の毛もグシャグシャで、かなりみすぼらしく見えるはず。とりあえず、濡れたレインウェアを脱がないと、駅の待合室で休憩するのも気が引ける。
 駅には列車を待つ人々が集まっていた。ちょうど根室行きと釧路行きが来るようだ。地元客に混じって、大きなリュックを背負った若い旅行者の姿も見えるが、さすがに身なりがこざっぱりとしていて、チャリダーとは違う。僕も昔はあんな風だった。ちょっと前まで汽車旅専門だったので、逆に自転車で旅する人たちのワイルドな無精髭や日焼けした顔や太ももなどを見ると、とても僕には真似のできない超人的な体力と勇気の持ち主に思えて、引け目を感じたものである。まさか自分が北海道の大地を自転車で走るようになるとは思わなかったが、べつに超人的な体力と勇気を身につけたわけではない。ただ、物好きという病気が少々悪化しただけである。
 さて、待合室ではライダーも何人か休んでいた。みんな名物駅弁の「かきめし」を食べている。カキは厚岸の特産である。僕もキオスクで900円の「かきめし」を買って味わった。

 雨はほとんど上がったようなので、とりあえずレインウェアの上だけ着て、12時25分に厚岸駅を出発。午前中の疲労も一掃して、改めて、さぁ、行くぞ、という気分。
 厚岸の市街は厚岸湾厚岸湖によって南北に分断されていて、ふたつの市街を結ぶのが厚岸大橋。厚岸湖の湖口にかかる長大な赤いトラス橋で、橋上から左に眺める厚岸湖にはカキの貝殻が自然に堆積してできた島がいくつもあり、弁天様がまつられている。
 橋を渡ると厚岸の旧市街。厚岸は北海道の中では古い歴史を持つ町で、古来、アイヌのコタン(集落)として栄え、江戸時代に入ると、幕府の東蝦夷支配の拠点となった。当時の史跡としては蝦夷三官寺の1つに数えられる臨済宗の国泰寺がある。しかし、ここは昨年訪れたので、今日は寄らない。
 厚岸から先、国道も鉄道も厚岸湖の北岸に広がる別寒辺牛湿原を横断して内陸部を根室へ向かうが、僕はここから再び国道44号線を離れ、厚岸湖の南岸を通る「北太平洋シーサイドライン・岬と花の霧街道」を行く。正式には道道123号「別海厚岸線」。めざす霧多布まであと39キロ。
 桜の名所である子野日公園を過ぎて、また長い上りが始まる。ここからまた海岸沿いの丘陵地帯を行くのである。

(彼方にうっすら厚岸湖が見える)

 しばらく上り続けると、左側の白樺やトドマツの林の切れ間に厚岸湖が見えた。曇天のせいで湖面は色彩を失い、対岸も霞んでいるが、ここからだとスカンジナビアの湖みたいな印象で、なかなかよい(スカンジナビアなんて行ったことはないけど…。あくまでもイメージです)。

 長い坂道がようやく一段落した頃から薄日が漏れてきた。天気は回復しつつあるようだ。きっと霧多布に着く頃には晴れてくれるのではないか。夏の霧多布といえば、文字通り霧で何も見えない日が多いそうだが、前回もほぼ2週間ぶりという晴天にぶつかったし、霧多布とは相性がいいのだ。まだ一度しか行ったことがないので、根拠は薄弱だけど、そんな自信も湧いてくる。

     あやめが原

 厚岸から10キロ近く走ると、「あやめが原」の入口。右折して、海側へ続く緩やかな坂道を下っていくと、ジーッと単調な鳴き方をするエゾゼミの声が聞こえる林の中の駐車場に出る。観光客の姿はほとんどないが、あとからバイクが1台やってきた。

 
 (林を抜けると花の咲く草原)

 白樺の林を抜けると雄大な草原が広がった。正式名を「チンベノ鼻」という岬で、この一帯にヒオウギアヤメの大群落が見られることから「あやめが原」と呼ばれている。なだらかな起伏のある広い草原台地が一転して急峻な断崖となって太平洋に落ち込む海岸風景が素晴らしい。アヤメの花の季節はすでに過ぎて、今は可憐なピンクのエゾフウロ、薄紫の釣鐘型の花をたくさんつけたツリガネニンジン、黄色いトウゲブキの花が草原を彩っている。

 

 この草原一帯には牛や馬も放牧されていて、遊歩道にもあちこちに糞が落ちているので要注意。牛の姿は見当たらなかったが、馬は数頭が人の近づけない斜面で草を食んでいた。

 
(散策路の先に展望台。右写真には大黒島)

 展望台でTシャツを着替え、今日は帯広から納沙布岬まで行くというライダーに写真のシャッターを頼み、遊歩道を歩き尽くして引き返す。とても美しい声で複雑にさえずる小鳥がいて、双眼鏡で探したが、草原に隠れていて、正体を突き止めることはできなかった(あとで分かったが、声の主はシマセンニュウ)。




     涙岬

 14時10分に「あやめが原」をあとにして、すっかり路面の乾いた北太平洋シーサイドラインをさらに東へ進む。シーサイドといっても、沿道には鬱蒼とした森林が続き、海は見えない。鹿の図柄の「動物注意」の標識が頻繁に現われる。
 ほとんど誰にも会わないまま、道端に咲く色とりどりの草花に視線を配りながら、黙々とペダルを踏む。

 

 天気はどんどん回復するのかと思ったが、曇り空のまま、海辺に出た。
 太平洋に屹立する断崖上にうねるように連なる草原の丘の風景が素晴らしい。しかし、海から霧が這い上がってきて景色が霞んできた。ついでに僕が霧多布に行くと晴れる、という妙な自信も急速に霞んできた。

 
(再び霧が出てきた。霧に霞む海)

(厚岸・浜中町境)

 まもなく、「霧多布19㎞」の標識が立つ厚岸・浜中町境を越え、14時45分に涙岬に着く。
 涙岬は僕のお気に入りの場所のひとつである。鯨の背中を思わせる丘のたおやかな曲線美、ビロードのように密生する笹の葉を撫でる緑色の風、明るいブルーの海原と真っ白な波飛沫、そして岬を取り巻く海蝕崖に自然が刻んだ少女の横顔…。決して絶景ではないが、さりとて凡庸でもなく、北海道の果てを旅する喜びを感じさせてくれる岬である。雨続きだった去年の旅の中で最高の晴天に恵まれた一日だったせいもあって、涙岬の記憶はとりわけ鮮やかな光に彩られていると言ってよい。

 その岬も今日はひどい霧に包まれ、人影もなく、寂しげだった。それでも、特に失望したというわけでもなく、一面の笹原のそこかしこを飾る花々に目を留めながら海へ向かってどんどん歩いていった。
 咲いているのはエゾフウロやツリガネニンジン、トウゲブキのほかシロワレモコウやエゾカワラナデシコなど。原生花園と称して大勢の観光客を惹きつけるほどのはでやかさはないが、人知れず慎ましく咲いている感じが好ましい。

(ピンクのエゾフウロなどが咲いている)

 さて、岬の先端に立つと、太平洋はすっかり霞んでいた。海面はすぐ近くがわずかに見える程度。水は青黒く冷たそうで、逆巻く白波はまるで冬の海を思わせる。そして、涙岬の名の由来となった崖に刻まれた女の横顔にも今日は乳白色の紗がかかって、その表情もなぜか少女というよりは老婆のように見えた。

  (霧にかすむ涙岬)

 


     琵琶瀬展望台

 15時20分に涙岬を出発。

(熊出没注意)

 「熊出没注意」の看板も立つ林の中を走って、ようやく急坂を下ると、厚岸以来の集落が現われ、小さな藻散布沼(モチリップトー)の湖口にかかる橋を渡る。
 さらにトンネルを抜けると、今度はやや大きめの火散布沼(ヒチリップトー)の湖口にかかる火散布橋。いずれも厚岸湖と同じように海と直接繋がり、原生林に囲まれた湿原の湖で、その湖口には漁港がある。
 商店やガソリンスタンド、学校もある火散布集落を過ぎると、左に湖を見ながら、また上り。結構長くてきつい坂である。
 もうすぐ霧多布湿原を見下ろす琵琶瀬展望台だ、着いたら休憩だ、と自分を励ましながら火散布から5キロ以上も走って、ようやく再び海が見えてきた。そして、左側の視界もパーッと開けて、眼下に大湿原が広がり、姿は見えないものの、丹頂鶴の甲高い声まで聞こえてきた。ちょうど16時である。



 琵琶瀬展望台は太平洋と霧多布湿原の狭間にあたかも岬のように突き出た標高60メートルほどの高台に位置する絶好の展望地である。ただし、霧の名所だけに何も見えないことが多いらしい。しかし、去年は翌日の地元の新聞にカラー写真が載るほどの晴天だったし、今日もガスで少し霞んでいるとはいえ、湿原も、その中を蛇行する琵琶瀬川もちゃんと見えているから、霧多布とはやっぱり相性がいいと言うべきだろう。逆に下界に雲海のごとく霧が立ち込めて完全に真っ白という風景を一度見てみたいと思うほどだ。贅沢な話だが。
 とにかく、僕と同様に幸運な観光客やライダー(チャリダーはいない)に混じって湿原を眺め、海を眺め、売店でつい誘惑に負けて茹でた北海シマエビ(4匹300円)を買ってしまう。

 16時15分に出発。急勾配をビューンと下る。
 琵琶瀬川を渡って、霧多布湿原琵琶瀬湾の狭間を行く。右側の海上に浮かぶ断崖に囲まれた平坦な島はケンボッキ島。今は無人だが、かつてムツゴロウこと畑正憲さんが住んでいたそうだ。
 一方の左側の湿原には紫色のノハナショウブ(ハナショウブの原種)が点々と咲いている。木道が整備されていたので、自転車を止めて少し歩いてみた。

(ノハナショウブが咲く霧多布湿原)

     霧多布岬

 さて、琵琶瀬湾の東側に突き出ているのが霧多布半島である。もとは島だったのが、砂の堆積により陸続きになったものらしい。その基部に現在は水路が切られ、橋がかかっていて、これを渡ると霧多布市街である。このあたりでは目立って大きな町並みで、浜中町の役場もここにあるし、旅館や民宿もある。僕はこの先のキャンプ場に泊まるつもり。
 今夜の夕食と明日の朝食用の買い物を済ませて、最後のひと踏ん張りで半島の台地への急坂を上ると、あとは草原の中の一本道。キャンプ場は半島の先端・湯沸岬の灯台近くにあり、霧多布市街から3キロほど離れているが、ここまで来ればもう着いたも同然。さすがにホッとする。雨の中をずぶ濡れになって昆布森あたりを走っていたのが、とても今日のこととは思えない。
 走るにつれて、また霧がどんどん深くなってきた。景色がぼやけて前が見えにくくなったので、歩道をゆっくり行くと、灯台から霧笛のくぐもった音が耳に届き、ようやくキャンプ場に到着。時刻は17時20分。
 無料で利用できる浜中町営のキャンプ場で、すでに大きさも色もさまざまなテントが並び、ライダーやチャリダーや家族連れで賑わっているが、場所はいくらでもある。さっそく今夜のねぐらを組み立てた。



 とりあえず、荷物を全部テントに放り込んで、灯台まで行ってくる。べつに用はないが、灯台があれば、そばへ寄って眺める、というのが僕の旅では普通である。
 馬の背のような岬の先端に立つ紅白の灯台は濃霧に包まれ、近くに寄らないと見えないほどになっていた。断崖の下の海もすっかり掻き消され、潮騒だけがそこに海があることを教えてくれる。

(すぐそこにある灯台が見えない)

 灯台の正式名称は湯沸岬灯台。昭和26年6月15日に完成点灯。灯台の高さは地上から頂部までが12.2メートル、水面から灯火までが49.4メートル。「白地に赤横帯一本塗、塔形、コンクリート造」の灯台で、灯質は「単閃白光、毎5秒に1閃光」だという。また、現在も鳴っている霧笛(霧信号所)は20秒間隔で10秒間ずつ吹鳴している。さらにこの灯台には沖合約3キロにある帆掛岩を照らす照射灯も併設されて、霧に包まれることの多いこの海域の船舶の安全を守っているという。
 岬一帯にもさまざまな花が咲き、曖昧模糊とした世界を彩っていた。
 本日の走行距離は112.2キロ。明日は根室まで行くつもり。


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