ハルニレの木   1998年8月19日

 走行ルート:足寄~池田~豊頃町ハルニレの木~大津~長節湖

 足寄をあとにして、池田のワイン城に立ち寄り、有名な豊頃町のハルニレの木を訪ねた後、十勝川河口の大津をめざします。

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    松山千春の家を見にいく

 昨日は夏らしい晴天だったのに、今日はまたしても曇り空である。
 足寄の里見が丘キャンプ場を出発したのは7時20分。まずは足寄駅から程近い松山千春の実家というのを見にいく。いかにもミーハーな感じだが、家の所在地を示す案内板も出ているから、観光名所になっているようである。
 家そのものはごく普通の住宅という印象だったが、若い頃の(つまり髪の毛があった頃の)松山千春の大きな肖像画が目立つように2枚も掲げてあったので、すぐに分かった。とりあえず、写真を1枚撮ってきた。

(松山千春の実家)

     本別

 さて、足寄からは国道242号線を南へ下る。利別川に沿って、ちほく高原鉄道ふるさと銀河線と並行して池田方面へ通じる道路である。
 仙美里で利別川の左岸へ渡ると本別町に入り、足寄から15キロほどで中心集落の本別に着く。ここも鉄道駅は「ステラプラザ」というモダンな建築に建て替えられ、地域センターの役割も果たしているようだ。

(本別駅のあるステラプラザ))

「北海道は広いでしょ」
 掃除のおばちゃんが僕が自転車で旅しているのを見て、感嘆しながら言う。
「釧路原野あたりに比べると、この辺はハデだけど…」
 確かにこれまでは町をはずれると、ほとんど無人の原野や海辺や山中を走るというパターンが多かったけれど、この付近は常に文明の匂いを嗅ぎながら走る感じである。豊かな農業地帯の十勝平野にさしかかったせいだろう。
「ケガをしないで帰りなさいよ。気をつけてね」
 別れ際のおばちゃんの一言を心に留めて、さらに南へ走る。まもなく、雨がポツポツと降り出した。

 本別駅の南隣の駅は岡女堂(おかめどう)という変わった名前。甘納豆メーカーの工場に隣接してできた駅で、観光客向けの見学施設もあるそうだが、まだ時間が早くてひっそりしているので、通過。
 やがて、本別町から池田町に入る。時計を見ると、9時14分。

     高島駅

 9時35分には高島駅前に着いた。ここは国鉄時代のままの古い木造駅舎が残っている。青いトタン屋根と板張りの壁が北国の駅らしい風格を感じさせる。ただし、今は無人化され、ひっそりとしている。

(高島駅。木の向こうに列車が見える)

 駅でしばらく休憩していると、近くの建設現場の作業員がやってきて、駅舎の中をしげしげと眺め回し、駅前にこんもりと葉を茂らせる木を見上げて、ひとこと呟いた。
「木だけは立派だな」

 9時51分発の北見行きディーゼルカーがやってきて、すぐに発車していくのを見送り、僕も当面の目的地、池田をめざす。

(ふるさと銀河線・様舞駅)

     池田ワイン城

 雨に濡れながらひた走り、結局、ふるさと銀河線とJR根室本線が接続する池田駅前には10時50分に到着。足寄からは45キロ弱の距離。根室本線の特急も停まる主要駅で、久しぶりに大きな町へやってきたな、と思う。

 池田といえば、十勝ワインが有名で、町を見下ろす丘の上にワイン城というのがあるので、行ってみた。幸い雨は上がっている。
 ワイン城は町営のワイン製造所やレストラン、売店が入った、西洋のお城を模した建物で、隣には小さな遊園地もあって、観覧車が回っている。

(丘の上のワイン城と観覧車)

 観光客で賑わうワイン工場をざっと見学し、ワインを一口試飲し、十勝牛のレストランで昼食にしようかと思ったが、高いのでそれはやめた。
 この近くのキャンプ場に泊まっているという自転車旅行の男の人が赤い顔をしている。
「ワインを試飲しすぎて酔っ払っちゃって…」

(ワイン城から池田の街を見下ろす)

     豊頃町へ

 池田からは根室本線に沿って道道73号線を釧路方面へ走る。次の目的地は豊頃町。豊頃には写真集やテレビCMで有名なハルニレの木があって、一度は訪れてみたいと思っていた。

 鉄道は十勝川の氾濫原の縁を走る平坦コースだが、並行する道路はその氾濫原に接する丘陵地帯を行くので、かなりきついアップダウンが連続する。
 夏の十勝平野といえば、目の覚めるような青空の下に広がる雄大な農業地帯のイメージがあるが、こんな曇り空では風景も気分も冴えない。



     ハルニレの木

 池田から14キロほどで豊頃。単線の根室本線を豊頃駅の手前でオーバークロスして、まもなく国道38号線にぶつかる。滝川と釧路を結ぶ道東の幹線道路である。
 その国道沿いにセイコーマートがあったので、昼食用の弁当などを買い、案内標識に従って農道を行く。めざすハルニレの木まで2.5キロとのこと。

 ところで、あのハルニレ。僕は広大な原野の真ん中にポツンと孤独に立っているイメージを抱いていた。一体、どんな場所にあるのだろうかと想像を巡らせていたが、実際に探し当ててみると、予想とはずいぶん違っていた。



 木は十勝川の河川敷にあった。見渡すかぎりの平原というイメージからすれば、思いのほか狭い。それ以上に意外だったのは、木が1本ではなく3本も生えていたことである。その中で一番奥の最も姿のよい木に向かって人の踏み跡が続いている。なるほど、あれが有名な木か…。初代「この木、何の木、気になる木」である。

 土手の上には観光客向けの休憩施設があり、十勝川の洪水の写真パネル(この土地は十勝川の氾濫に何度も苦しめられてきたそうだ)の展示のほか、展望室や畳敷きの部屋まで完備している。とりあえず、そこで弁当を食べる。

 


 さて、ハルニレの木である。高さ17メートル、周囲3.6メートル、推定樹齢は130年。何度も洪水に根元を洗われながら、この土地の歴史を見つめてきたのだろう。豊頃町の文化財にも指定されているそうだ。来訪者も意外に多くて、次々とクルマでやってきては、木の下で記念写真を撮っていた。
 どのアングルから写真を撮ると、果てしない大地にただ1本…という風に写るのか、よく分からなかったが、旅行後に写真集などを調べると、どうやら土手から見て右奥のほうから撮るのが正解のようだった(僕は逆方向から撮っていた)。

     十勝川河口へ

 ハルニレの木がある十勝川の左岸から長い橋を渡って対岸に渡ると豊頃町の中心集落・茂岩で、ここにはキャンプ場がある。そこに泊まるつもりで、実際に丘の上のキャンプ場まで行ってみたのだが、気が変わって、もう少し先へ進むことにした。
 十勝川に沿って河口まで19キロ下ると、太平洋に面した港町の大津がある。今夜は天気も不安だし、できれば、屋根の下で寝たいという気持ちになってきた。大津がどの程度の集落なのか知らないが、民宿ぐらいならありそうな気がする。勝手な想像にすぎないわけだが。

 走り出して、すぐにまた雨が落ちてきた。大した降りではないが、まとわりつくように、しとしと降る雨である。レインウェアのフードをすっぽり被って走る。
 もう観光ルートからはすっかりはずれて、ライダーやチャリダーと出会うこともない。進めば進むほど、寂しい感じになってきて、雨にも濡れて、身も心も冷えてきた。
 途中で出会った旅来(たびこらい)なんていう地名も旅愁を引き立てる。



 十勝川沿いとはいえ、川の水は土手に遮られてほとんど見ることができないまま、ほぼ平坦な道をどこまでも走っていくと、いつしか周囲が瀟条たる湿原に変わり、霧が出てきた。河口が近いようだ。それにしても、この先に本当に人が住んでいるのだろうか、と不安になる。
 道路際に「動物注意」の標識が現われた。その途端にバキバキバキッと草木を踏み分ける大きな音。エゾシカだ。白い尻尾が跳ねるように草原の奥へ逃げ込んでいく。あぁ、びっくりした。

     大津

 豊頃町大津。十勝地方全域の水を集めて流れる十勝川の河口の集落。昨日訪ねたオンネトーの水も螺湾川となって流れ出し、足寄川に流れ込み、利別川に合流し、最後は十勝川の水となって、ここで海に注ぐのである。
 十勝の開拓はここから始まり、四方八方へ枝を広げるハルニレの大樹のように幾筋もの支流を持つ十勝川水系に沿って奥地へと広がっていたのだ。明治の頃には十勝の玄関口として大いに繁栄したというが、根室本線が開通して以来、人と物資の輸送ルートから完全にはずれて、寂れたという。

 その十勝発祥の地ともいうべき大津は深い霧に紛れて、不気味なほどの静けさであった。歩く人も走る車もない。まるで死に絶えた町のように沈黙している。見知らぬ旅行者を歓迎するものは何もないかに思われた。まさかこんなに寂しい土地だとは思わなかった。もはや宿を探そうなどという気にもならない。唯一の救いは雨が止んだことだが、これもまたいつ降り出すか分からない。

     霧の中の風景

 ひどい霧で旅の道筋をすっかり掻き消され、悄然たる思いで、大津をあとにする。
 ここから海辺を5、6キロ西へ行くと長節湖という湖があり、そのほとりにキャンプ場があるようだ。手元のガイドブックには売店もあると書いてある。そこへ行ってみよう。

 途中の湿原で2羽のタンチョウを見かけたが、心が躍るというより、あまりにも無垢な自然が却って人恋しい気持ちを引き立てる。

(霧の湿原にタンチョウ2羽)

 浜辺に出ると、霧は一段と深くなった。白く波立つ鉛色の海もおぼろげで、まっすぐに伸びる道路もミルク色の風景に消え入っている。

(太平洋岸の道)

 その中から不意に小さなバスが現われた。車体に「はるにれ」と書いてある。車内には誰もいない。もちろん、運転手はいたはずだが、すれ違ってから思い浮かべると、運転手すらいなかったような気がしてくる。まるで異次元空間をさまようバスの幽霊を見たような不思議な気分に囚われた。それは霧が醸し出す幻想的なムードのせいでもあり、また、住民を一人も見かけないのにバスが走っているという非現実的な事実がもたらす心理的作用のせいでもあるのだろう。

 そんなリアリティーの欠如した夢幻的な世界を、ただひたすら進んでいくと、突然、犬に吠えられた。見ると、道路際に青いビニールシートで覆ったテントがあり、そこに犬が繋がれている。
 似たようなテントは海辺にもいくつかあった。人影もあった。どうやら鮭や鱒を釣る人たちのようだ。ここで長期滞在しながら、ひたすら獲物を狙っているのだろう。僕の存在に気を向ける人など誰もいないが、とりあえず、そこに人がいたことで、いくらかホッとした。

     長節湖

 やがて、道は長節湖畔の盛りを過ぎた原生花園へと導かれていく。足寄を出発してから107キロ。ようやくたどりついた本日の宿泊地は海と湖にはさまれた砂州の上である。

 これまであちこちのキャンプ場に泊まってきたけれど、どこもそれなりに人がいて、色とりどりのテントが立ち並んでいた。どんなに辺鄙な場所にあっても、意外なほどに賑わっていたものである。例外もあるのだということを、ここへ来て初めて知った。広い駐車場には1台の車もない。バイクもない。食堂や売店があるが、すべてシャッターを下ろしている。
 誰もいないのかと思ったら、ひとつだけテントがあった。そばに自転車が1台。先客はわずか1人だけであった。
 テントの主は網走を起点に北海道を一周中という大学生で、今日は襟裳岬から120キロほど走ってきたという。何はともあれ、このあまりにも寂しい状況を共有できる相手がいたことは喜ばしい。

 ところで、彼は湖岸に設置されたテント屋根の下に自分のテントを張っている。管理事務所の人(ちゃんと駐在しているらしい)に今夜は大雨になるからとその場所を勧められたそうだ。
 僕もどこか屋根があって雨を避けられる場所はないかと物色したが、そう簡単に見つかるはずもなく、結局は管理事務所のすぐ脇の芝生にテントを張った。ちなみに利用料はタダだった。

(長節湖畔の寂しいキャンプ場)

 それよりも当面の問題は夕食である。あてにしていた売店が閉まっているので、食料は何もない。また大津まで行ってこなければならない。食堂ぐらいはあるだろう。もし食堂がなくても食料品店ならあるはずだ。
 というわけで、「ちょっと食事に出かけてくる」と大学生(ちゃんと自炊道具を持っている)に言い残して、夕暮れの道を大津へ急ぐ。
 途中でまた先刻のバスと出会った。あとで知ったことだが、民営の路線バスが廃止されたため、豊頃町が町の中心部と大津の間に走らせているバスだそうである。
 もうひとつ、大津がかつては大津村として独立していたのが、過疎化が進み、豊頃町に併合されたということもあとで知った。

     大津の食堂にて

 相変わらず霧が流れて人気のない大津の集落の中に食堂の看板を見つけて、入ってみた。
 店は開いていたが、誰もいない。いくら声をかけても、誰も出てこない。さらに声をかけても、何の応答もない。本当に誰もいないのだろうか。
 諦めかけた頃、店の前にクルマが停まり、おじさんとおばさんの陽気な話し声が聞こえてきた。
「あら、ごめんなさい」
 おばさんが厨房に入っていったから、この店の人らしい。ホッとして、カウンターの席に着く。隣におじさんが座った。
「えーと、豚丼をお願いします」
 豚丼は十勝地方の名物らしく、帯広には行列のできる店もあるという。この店のメニューにもあったので、迷わず注文してみた。
 それで僕が自転車旅行中で今夜は長節湖のキャンプ場に泊まっていることなどを話していると、豚丼を頼んだのに、なぜかラーメンが出てきた。
「ちょっと豚丼のご飯が足りないから、サービスね」
「あ、ずるいなぁ。いいなぁ」
 これは隣で酒を飲んでいるおじさん。おじさんは僕にも酒をすすめてくれるが、酔っ払い運転になってしまうので、丁重にお断りする。ところで、おじさんもクルマのはずなんだが…。
 さて、ありがたくラーメンを食べているうちに豚丼が出てきた。ご飯が足りないというわりには普通以上の盛りに見える。豚丼というのは薄切りの豚肉にタレをつけて焼いてご飯にのせた素朴なものである。初めて食べたが、美味かった。
 さらにもう一品。鱒の煮付け。これもおばさんのサービスで、今日、近所の人からもらったばかりで、4キロもある大物だったという。さっそく煮付けて、お客さんに振る舞い、僕が食べさせてもらったのが、最後の一切れだそうだ(ということは、こんなに寂しい土地でもそれだけのお客さんが来るということか…)。夕方、大津に着いた時にはこんなに温かいもてなしを受けるとは思わなかったから、嬉しさと感謝の気持ちでいっぱいである。

 おじさんは大津のアキアジは日本一だなどと地元の話を色々と聞かせてくれ、最後には僕の分までお金を払ってくれるという(豚丼は確か800円だったと思う)。あまりに申し訳ないので、それだけは固辞しようとしたのだが、「いいから、いいから」ということで、結局はお言葉に甘えてしまった。たらふく食べて、一銭も払わなかったのだから、お二人には本当にいくら手を合わせても足りないぐらいである。

 お店を出たのは19時15分。外はすっかり暗くなっていた。おばさんに聞いても今夜から明日にかけて大雨になるとのことだったが、まだ降り出してはいない。走り去るおじさんのクルマのテールランプを見送り、僕もキャンプ場へ急ぐ。

 街灯もない完全に真っ暗な湿原地帯ではシカやキツネが飛び出してくる恐れがあるので、道路の端は避けて、センターライン上を突っ走る。どうせクルマは全く通らない。
 太平洋岸に出ると、海上を照らすサーチライトのような光が一定の間隔で頭上を走る。海に面した丘の上に灯台があるのだった。

 その晩、雨が降り出したのは夜がだいぶ更けてからだった。一度降りだすと、それはかなり本格的な雨で、風も強まってきた。浜に打ち寄せる太平洋の荒波がドーン、ドーンと鳴り、不安な一夜になりそうだった。
 本日の走行距離は118.9キロ。明日は襟裳岬まで行くつもりだが、天気が大いに心配である。


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