美瑛の丘サイクリング              8月3日


 美瑛町美馬牛の民宿に連泊して美瑛の丘を気の向くままにサイクリングしました。

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     小鳥

 美瑛町美馬牛の民宿。早朝4時10分に足を忍ばせて外出。早朝サイクリングに出る。
 雄大な丘の彼方に昇る朝日を拝みたいと早起きしたのだが、あいにくの曇り空で日の出は見られなかった。
 まだ人も車もほとんど通らない道を気の向くままに走っていると、アカハラやウグイスやホオジロやカワラヒワやキジバトの声が聞こえてくる。ヒマワリ畑には猫がいる。

 


 拓真館に近い新星地区の小さな神社のそばに「新星開拓碑」というのがあった。

「当地は明治四十年より陸軍演習場であった。開拓は太平洋戦争終結と共に初まり、獣医日下部宏氏により新星と命名された。以来百五十名余りの入植者の手に依り幾多の苦難を乗り越え、現在の新星郷が創られた」



 真冬には氷点下30度にもなる厳しい気候(民宿のおばさんによれば今年の冬は氷点下32度を記録したという)。ほとんど平地のない丘陵地帯。そんな過酷な条件の下で森林を切り開いて入植した人たちは、ここがやがて日本だけでなく海外からも大勢の客が訪れる観光地になろうとは想像すらしなかっただろう。
「農田乃農家的重要生産場地、請千万不要進入農田内」
 今では畑にこんな注意書きまで立っているのである。

 ポツポツ雨が落ちてきた。今日は一日かけて、美瑛の丘めぐりをするつもりなので、ぜひとも晴れてほしいのだけれど。
 霧雨の中、10キロほど走り回って、宿に戻る途中、路上に茶褐色の小鳥がうずくまっていた。種類は不明。弱っているのか、逃げようともせず、手のひらに乗せても、不安げにじっとしているだけ。このままでは車に轢かれるのも時間の問題なので、道路際の茂みの中に避難させてやる。あとのことは天に委ねるしかない。

     美瑛

 5時半に宿に帰って、7時半から朝食。
 嬉しいことに早朝の雨も上がり、上々の天気になった。
 ここにもう1泊することにして、大きな荷物は部屋に残し、8時に出発。
 自転車が軽いと、そのぶん心も軽やかで、気分はまさに最高!

 衰弱した小鳥が気になって、先刻の場所をまた通ってみた。避難させてやった茂みに姿は見えず、少し離れた路上に車に轢かれて無残に潰れた小鳥の新しい死骸があった。軽やかだった心が急にずしりと重くなる。

 気を取り直して、とりあえずは美瑛の市街をめざす。
 とにかく、どこまで行っても、大地はうねうねと激しく起伏して、道は右へ左へ曲がりくねりながら上っては下リ、下っては上る。

(リアトリスが咲き、美馬牛小学校の塔が聳える丘)

 丘は乾いた土の赤茶色と麦畑の枯草色に野菜畑や牧草地や雑木林の色々な緑色を組み合わせた幾何学模様で彩られ、時折、ヒマワリやリアトリスなどの花畑や道畑に咲く野の花が華やかなアクセントを添えている。そのどこを切り取っても絵になりそうで、しばしば自転車を停めてカメラを取り出したくなる。

(咲き乱れるオオハンゴン草)

 美馬牛から北へ7キロほどで美瑛の中心市街に着いた。堂々たる石造りの美瑛駅の前にはやはり台湾だか香港の若者グループがいて、記念写真を撮った後、レンタサイクルで丘の散策に出かけていった。僕も駅前の観光案内所で地図をもらって走り出す。



 それにしても、美瑛は一体いつからこんな観光地になったのだろう。自宅にある1980年発行の北海道旅行ガイドには美瑛町なんて十勝岳中腹の白金温泉以外はまったく紹介されていない(富良野だって「へそ祭り」とスキー場に簡単に触れている程度だ)。
 考えてみれば、美瑛の丘といっても、要するにただの畑に過ぎないわけで、元来、観光の対象になるようなものではなかったはず。やはり、前田真三氏の作品あたりをきっかけに「ヨーロッパ風」「メルヘンチック」といったイメージでテレビCMや広告写真に美瑛の風景が使われるようになり、1980年代以降、『北の国から』の影響もあって富良野・美瑛観光ブームが巻き起こったということなのだろう。『北の国から』は台湾でも放映されたと昨日民宿で聞いた。
 きっかけが何であれ、とにかく今や美瑛は北海道を代表する“国際的”観光地である。丘のあちこちに展望台が整備され、元はただの農道だった道が立派に舗装され、デラックスな観光バスが走り回る。そういう場所になっている。カメラマンにとっては画面に観光客やバスが入らないように風景を撮るのは至難の状況だろう。

     パッチワークの路

 とにかく、まず初めに美瑛町を南北に貫く国道の西側に広がる丘陵地帯へと向かう。この一帯は「パッチワークの路」と呼ばれ、テレビコマーシャルなどで有名な風景があるらしい。
 地図を頼りに最初に向かったのは「ケンとメリーの木」。昭和40年代に日産のクルマのCMに登場したというポプラの木である。
 丘にポプラが1本はえている、というのは確かに絵になる風景だが、そばに駐車場ができ、売店ができ、民宿が建ち…となると、売り物のはずの風景が損なわれると思うのだが、どうなんだろう。
 木の周囲にはブルーサルビアが咲いている。この花はラベンダーとよく似ているので、見間違えやすい。それが狙いなのかもしれないけど。まぁ、どちらも同じシソ科の花だ。
 そこで民宿で相部屋だった関西の2人組に会った。彼らはすでにレンタカーで丘めぐりをしてきたらしく、これから小樽へ行くそうだ。

 一般的な観光コースとしては、このあと「セブンスターの木」だの「親子の木」だの「マイルドセブンの丘」だのといった名所を回ることになっているが、ちょっと脇道に逸れてみると、見晴らしのいい場所に出た。
 美瑛の北方にも丘が連なり、その上を低くジャンボジェット機が飛んでいる。丘の向こうに旭川空港があるらしい。

 「セブンスターの木」というのはなだらかな丘の上にポツンとはえた柏の木で、ここにも売店などがあり、木の下に観光客が群がっていた。横目にちらっと見ただけで通過。

 

 せっかく自転車という自由な乗り物があるのだから、気の向くまま、ハンドルの向くままに走った方が面白い。といっても、アップダウンの連続で結構きついのだが。しかも、また暑いし…。

 

 うねるように続く丘。ホルスタインのいる牧場。モクモクと湧く夏雲。カラマツの防風林。オオハンゴン草の群落。林から聞こえるエゾゼミの大合唱。大空に向かって聳えるポプラ…。そんな中を走っていると、車が何台も停まっている場所があり、丘の稜線に整列したカラマツが見えた。それが「マイルドセブンの丘」らしい。夕陽をバックにしたら、いい写真が撮れそうだ。




     ジェットコースターの道

 いったん丘を下って美瑛の街に戻り、国道を上富良野方面へ戻り、深山峠のレストランで昼食。昨日は寄らなかったトリックアート美術館にも入ってみたら、予想外に面白かった(1,300円もしたけど)。

 

 それから、民宿のヘルパーの女の子がお気に入りの場所だといって教えてくれた道も走ってみた。
 国道の美馬牛付近から南南西方向に伸びる「西11線」という道。うねりまくる地形の上をひたすら一直線に続くので、まるでジェットコースターのように起伏が激しい。急坂を上りつめたかと思えば、急激にビューンと下り、すぐまた急な上りが待ち構え、それを越えるとまた下って上るという具合。

 

 

 そんな道を4キロほど走って、また戻ってきたが、ここにも観光タクシーや観光バスが来ていた。
 道の途中に里似公民館というのがあり、その庭に二宮金次郎像があった。もとは分校か何かだったのだろうか。

 

 その後、ソバの白い花が満開の丘などを見て、美馬牛に戻り、夕方まで新星地区一帯を走り回った。

 

  

 


     哲学の木

 拓真館の近くには「哲学の木」というのがある。
 刈り入れの終わった麦畑に、麦わらで作った巨大ロールケーキみたいなのが点々と転がる中に、1本の木が少し傾いて立っている。その様子が首をかしげて思考に耽る哲学者を思わせるということだろうか。昔は森の一員だったのが、開拓によって仲間を失い、ひとりぼっちになって畑の真ん中に寂しげに立っている。そんな風にも見える。
 たまには木が語る哲学に耳を傾けることも我々には必要なのかもしれない。

 

 

 「哲学の木」(ポプラ)は老化で倒木の恐れがあったことに加え、観光客やカメラマンの増加による迷惑行為(農地=私有地への不法侵入など)の多発を理由に、土地の所有者によって2016年2月24日に生命を絶たれました。最後は重機で呆気なく倒れたそうです。

     夕方の散歩

 その晩の夕食時、男は僕だけであった。昨日の女性7人は連泊していて、今日は新たに日本人の女の子4人が加わっている。男1人に女11人。こういう状況では、昨夜言葉を交わした香港3人組がいてくれることが救いである。彼女たちの中に1人だけ日本語が少し解かる子がいて、彼女が「今日もSunsetを見にいきますか?」と僕に聞く。彼女たちも一緒に行きたいというのだ。
 それで夕食後、4人で散歩に出たのだけれど、西の空にはまた雲が広がって、夕陽も隠れてしまった。徒歩だから遠出もできないし、とりあえず美馬牛小学校の先の丘のあたりまで行って帰ってきた。
 会話は日本語と英語のチャンポンと漢字の筆談。僕が日本の言葉を教えたり、彼女たちに広東語を教わったりしたが、広東語は発音が難しくて、ほとんど忘れてしまった。雑木林の中でアカハラの声が聞こえたことだけ記憶に残っている。
 宿に帰り、すっかり暗くなった頃、ライダーが1人やってきて、ようやく男が2名になった。
 今日の走行距離はピッタリ80キロ。明日は層雲峡まで行くつもり。香港の彼女たちは行ったことがあるそうだが、僕は全く初めての場所である。


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