阿寒横断道路(屈斜路湖~阿寒湖)        8月15日

 走行ルート:屈斜路湖・和琴半島~弟子屈~双岳台~阿寒湖畔
 

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     和琴半島~鵺(ヌエ)の鳴く夜明け

 午前4時。寝袋にくるまったまま、夢うつつの中で不思議な声を聞いていた。
 ヒィー、ヒィー。
 口笛のように、細く、長く、もの悲しく…。
 あるいは、金属と金属とが触れあい、軋む音にも似て…。誰もいない真夜中の公園で、ブランコがひとりでに揺れている…そんな幻想も浮かんでいる。
 しかし、意識が覚醒してくるにつれて、その声の主が何であるか、分かってきた。
 鵺(ヌエ)である。昔から真夜中に不気味な声で鳴く怪鳥として恐れられた鵺。その本当の正体はトラツグミという。鳥の鳴き声とは思えない、なんとも不思議な声で、一度聞いたら決して忘れない。しかも、真夜中から夜明け前にかけてよく鳴くのだという。昔の人でなくても、正体を知らなければ、薄気味悪く感じるに違いない。

     和琴半島~ミンミンゼミの鳴く朝

 
今日は朝から晴天で、和琴半島の森ではミンミンゼミが賑やか。
 なーんだ、ミンミンゼミか、なんて言ってはいけない。気候が寒冷な北海道では南部を除いて生息できないはずのセミである。それがなぜかこの和琴半島にだけ局地的に発生するというので、北限のミンミンゼミ発生地として国の天然記念物にも指定されているのだ。
 そのわりには昨年も一昨年も全く声を聞かなかったので、本当にこんな場所にミンミンゼミがいるのか、と半信半疑だったが、今年は暑い夏だからか森の奥でミーン、ミーンと盛大に大合唱している。
 説明板によれば、今から数千年前、現在よりも日本列島が温暖だった頃、ミンミンゼミは北海道のほぼ全域に分布を広げたものの、その後の寒冷化とともに道南地方を除いて姿を消してしまった。ところが、地温の高い和琴半島でだけ生き延びることができたのだという。
 この説明だけでは、和琴半島以外にも地熱の高い場所は各地に存在するのに、なぜ和琴半島だけか、という疑問が残るが、自然現象には合理的必然性と偶然性の両方の要因に基づくこともあるのだろう。

     阿寒横断道路

 さて、8時に和琴半島を出発。
 今日の目的地は阿寒湖畔。60キロ足らずの道のりだが、途中には長い上りが控えている。屈斜路湖の湖面標高121メートルに対して阿寒湖は420メートルもあり、途中の峠の標高は693メートルだという。
 国道243号線を約15キロで弟子屈の町に着き、8時50分に道の駅「摩周温泉」で休憩。隣接するヨーロッパ民芸館やアジア雑貨などを売る店に寄り道。10時過ぎにまた走り出す。

 ここからは国道241号線、通称「阿寒横断道路」。阿寒湖畔まであと41キロ。
 しばらくは右手に電波塔の立ち並ぶ美羅尾山を見ながら牧草地帯を走り、弟子屈から10キロ地点を過ぎると森林地帯に入って、上りが始まる。
 センダイムシクイのさえずりやエゾゼミの合唱を聞きながら、とにかく「マイペース、マイペース」と自分に言い聞かせつつ、重みを増したペダルを踏む。急ぐ必要はないから、のんびり行こう。

 上るにつれて、右手は深い谷となり、国道は山の中腹を巻くように急カーブの連続となる。車やバイクだとかなり神経をつかう区間だろう。ノロノロ運転の自転車としては、邪魔にならないように接触されないように道路の左端をカメのようにちょっとずつ進むばかり。



 先の見えないカーブを曲がるたびにもうそろそろ峠かと期待するが、何度も何度も期待は裏切られた。そのうち落石防護か雪崩避けの覆道が現われる。そうだった、覆道をいくつも抜けて、そこからさらに上るのだった。忘れていた去年の記憶が蘇ってきた。
 ひたすら忍耐を重ね、長い長い坂道を汗だくになって上っていると、道端でおじさんライダーが休憩していた。
「がんばって。尊敬するヨ」
 何も尊敬されるようなことはしていないわけだが、とにかく声援を受けて、さらに力を込めてペダルを踏み続け、ついに弟子屈町と阿寒町の境界を通過。峠はもうすぐだ。




     双岳台

 弟子屈から24キロ。11時55分にようやくたどり着いた最高地点が双岳台。名前の通り、雄阿寒岳と雌阿寒岳を一望できる場所である。
 去年は霧で真っ白だったが、今日は素晴らしい晴天で、富士山のような雄阿寒が間近に聳え、その左後方に雌阿寒が噴煙を上げている。



 さて、ここからは待望の下り。あたりは笹原にダケカンバやトドマツがまばらに生える美しい風景で、刻々と位置を変える雄阿寒岳を目で追いながら、ビュンビュンと風を切って疾走する快感はたまらない。




     双湖台

 3キロ下ると、今度は双湖台。大樹海の中に密やかに水面を広げるペンケトーとパンケトーの展望地で、ここには駐車場と売店がある。
 2つの湖はそれぞれアイヌ語で上の湖、下の湖を意味し、手前のペンケトーは原生林の中に北海道の形に似た青い湖面を見せているが、それより遥かに大きなパンケトーはここからでは水面の一部がちらりとのぞくだけで、知らなければ、その存在に気がつかないかもしれない。



 これらの湖はかつては阿寒湖と一体の大きな湖であったといい、十数万年前に形成された阿寒カルデラの底に水を湛えていた古阿寒湖(今の阿寒湖の10倍も広かったらしい)が1万2~3千年前に噴出した雄阿寒岳の成長とともに現在の阿寒湖やペンケトー、パンケトーに分断されたのだそうである。
 そんな大自然の創造と破壊のドラマの凄まじさが俄かには信じられないほどの静謐の中で、樹海からコマドリの声が響いてきた。

     エゾシカ飛び出し注意

 それからまた快調に下って、阿寒湖畔まであと少しのところで、道路際にエゾシカが出現。この区間はシカの交通事故の多発地帯で、沿道にシカ避けフェンスが張られているが、フェンスのない場所で道路を横断しようとしていたのだ。
 僕が接近したため、一度は林の中に引き返したものの、シカは少し場所を改めて一気に道路に飛び出し、走ってきた車に危うくはねられそうになった。なんとか無事に道の反対側の林に姿を消したが、こんな状態ではシカにとっても人間にとっても危なくてしようがない。
 事故の多発はシカの増え過ぎが一因だというが、それは人間も同じことで、増え過ぎた者同士、なんとかうまく共存する方法はないものだろうか。

     阿寒湖畔

 さて、13時頃、阿寒湖畔に着いた。大きなマリモなどが展示されているビジターセンターに立ち寄った後、温泉街にある「あずさ」という食堂で塩コーンラーメンを食べる。ここのコーンラーメンは焼きトウモロコシ(もちろん、丸ごとではない)がのっていて、とても美味いのだ。ちょうど甲子園で北海道代表の旭川実業高校と新潟明訓高校の試合が始まったところで、店の人もお客もみんなテレビに見入っていた。

 それにしても、すごい賑わいである。巨大なホテルや旅館が林立し、メロンやカニやガラス容器入りのマリモ、木彫りの民芸品などを売る店が軒を連ね、観光ツアーのデラックスバスが続々と到着し、大勢の観光客が闊歩している。
 そうした湖畔の観光街を走り抜け、街はずれの林に囲まれたキャンプ場に到着。利用料は1泊400円。

 キャンプ場受付の掲示板で阿寒ネイチャーセンター主催の体験ツアーのメニューに「オンネトー夜間散策&温泉ツアー」というのを発見。これは面白そうだと思い、テントを設営後、さっそくネイチャーセンターに出向いて、参加を申し込んできた。出発は夜8時とのこと。

     アイヌコタン

 さて、午後の残りの時間は湖畔でのんびり過ごそう。
 まず、アイヌの生活や文化を素晴らしい木彫りの作品で紹介する「森と湖の藝術館」を見学し、僕ひとりのためにシマフクロウのスライドも上映してもらった後、アイヌコタンへ。



 阿寒湖のアイヌコタンは約200名のアイヌの人々が生活する道内でも最大のコタン(集落)である。広い坂道の両側にずらりと木彫りの民芸品などの商店が立ち並び、一番奥のオンネチセという劇場では観光客向けにアイヌ古式舞踊が演じられている。その宣伝カーが街なかを走り回っていて、スピーカーから流れるムックリの音が耳に残る。



 そして、このアイヌコタンで何よりも目につくのは丸太を組んで作った鳥居のようなものの上から全体を見守る木彫りのシマフクロウ。シマフクロウはコタンコロカムイ、つまり集落の守護神である。
 そのコタンの中にアイヌ詞曲舞踊団「モシリ」のメンバーが営む民芸品店「丸木舟」があり、その2階には喫茶店「宇宙人」(店名にインパクトありすぎ!)、さらに近くに「モシリ」という名前の支店もある。
 モシリの中心人物アトゥイさんには5男7女、計12人も子どもがいて、彼ら、特に娘さんたちが中心になって、これらの店の仕事をしていて、モシリの舞台にも交替で出演しているようだ。
 「丸木舟」(当然、店内にはモシリの音楽が流れ、CDも販売している)の店先で、その中の一人と立ち話。屈斜路湖畔の「丸木舟」で見たライブの感想などを述べる。
 彼女たちと話していて感じるのはアイヌ民族としてのアイデンティティの強烈さ。そして、プライド。幼い頃から父親のアトゥイさんに徹底的にアイヌとしての教育を受けてきたそうだ。
 しばらく話し込んでしまい、阿寒湖畔のおすすめの店なども教えてもらい、それから2階の「宇宙人」にも入ってみた。名前も変わっているが、内装も木彫りの芸術品のような不思議な空間で、ここはモシリの初期のアルバム(1~4作目まで)が録音された場所でもある。
 ほかに客がいなかったので、アイスコーヒーを飲んだ後、ここでも7姉妹の「私はちょうど真ん中」という女の子からいろいろな話を聞かせてもらい、僕がまだ持っていない、彼女おすすめのモシリの11枚目のアルバムをかけてもらったりもした(現在はモシリのアルバムはすべて持っています)。

 モシリは1996年1月から3月末にかけて「縄文の神々&弥生の神々の魂にふれる日本列島SPIRITツアー」と題して沖縄から北海道まで全国50ヶ所を回るツアーを行い、その時の模様がNHKで放映された。その番組の録画ビデオが支店「モシリ」にあるそうだ。
「すごく面白いから見せてもらうといいですよ。弟がいるから連絡しておきます」
 彼女はそう言って、支店に電話をしてくれた(彼女の言う「面白い」の中にはメンバーの女性たちがスッピンで映っている、という部分も含まれているらしかったが)。

 というわけで、今度はアイヌコタンの広場を下って、左へ曲がったところにある「モシリ」(ここも軽食・喫茶の店)のカウンター席で、店番のまだ10代らしい男の子にそのビデオを見せてもらった。一緒に見ていた小学生の女の子は末の妹さんだろう。いつしか夕方なので、カレーライスを注文する。

 60分の番組の中で印象に残ったアトゥイさんの言葉。アイヌの人々は大地をカムイ(神々)からの借り物だと考えるということ。だから、汚したり破壊したりしてはいけないのだ。大地といえば開発の対象としか考えない現代ニッポン人に反省を迫る言葉でもある。
 アイヌの人々は「カムイ」という言葉をしばしば口にする。モシリのメンバーたちも歌ったり踊ったりするのはまずカムイに聞いてもらい、見てもらうため、ということをよく言う。こういうことをごく自然に言葉にできる人たちというのはちょっとすごい。
 番組で紹介された日本縦断ツアーは有名ミュージシャンの大名旅行とは全然違って、マイクロバスを自分たちで運転し、行く先々で自炊しながらのキャンプ生活。子どもたちも1人10万円ずつ旅費を負担しての旅だったそうだ。揺るぎない民族的アイデンティティに支えられた家族的共同体として、全くお金にならない旅を神々と一緒に続ける人々。彼らの生き方に対する迷いのなさというのはある意味でとても羨ましく感じられた。
 ここでもまたしばらく話をして、結局、お店を出た時には19時になっていた。一体何時間いたのだろう。

     オンネトー夜間散策&温泉ツアー

 さて、明日の朝食用の買い物をして、一度キャンプ場に戻り、20時前に歩いてネイチャーセンターに出かける。これからが本日最後のお楽しみである。
 オンネトー夜間散策ツアーの参加者はなんと僕ひとりだった。料金は温泉入浴料込みで、2,800円。オンネトーまでの往復34キロはもちろんクルマで移動する。
 というわけで、ガイドの兄さんのクルマに乗り込み、出発。街灯もない国道を走り出すが、またエゾシカが飛び出してこないかとハラハラする。大きなシカにぶつかると、普通の乗用車なら廃車になるほどのダメージを受けるという。
 もう通る車もほとんどなく、完全に真っ暗な闇の中で、道路の端を示す反射板だけがヘッドライトに輝く幻想的な道を15分ほど走って、初めて明かりが見えてくると、そこが雌阿寒温泉。去年、この道をバテバテになりながら自転車で走ったが、クルマだとあっという間である。
 初めにここの国民宿舎で入浴。石鹸の泡が全く立たないほど硫黄分の強い温泉で、お湯の温度もちょうどよく、おまけに露天風呂もあって、最高の気分が味わえた。

 それからいよいよオンネトーへ。
 雌阿寒岳と阿寒富士の麓、標高650メートルの地に原生林に囲まれて不思議なブルーの湖水を湛えるオンネトー。昼間でも神秘的な気配が漂う、この山あいの湖は漆黒の闇に包まれ、恐ろしいほどの静寂に支配されていた。
 しかし、懐中電灯を頼りに湖岸に下りると、だんだん暗闇に目が慣れて、あたりの風景がぼんやりと浮かび上がってくる。対岸に小さな灯火が微かに見えるのはキャンプ場だそうだ。
 そして、見上げる空には満天の星。夏の夜空としては最高級の星の数だろう。三日月が黄色く輝き、雌阿寒岳から立ち昇る噴煙も確認できる。懐中電灯を上に向けると、光のすじがまっすぐ天に伸びていく。ガイドさんは天体に詳しくて、電灯の光で指し示しながら夏の星座をひとつずつ解説してくれた。ずっと見上げていると、流れ星がいくつかは見えた。

 その後、裏山の展望台へ続く散策路へ足を踏み入れる。もちろん、完全な闇の世界で、懐中電灯を消すと足元すら定かではない。あまりに静かで足音を立てるのもためらわれる。なんて厳かな夜。この森の奥できっとたくさんの生き物たちが動き回り、あるいは眠っているのだ。
 運がよければ、エゾモモンガが姿を見せることもあるといい、闇の奥の微かな物音も聞き漏らすまいと全身を耳にする。
「ゴロスケ、ホッホー」
 遠くでエゾフクロウの声がした。それに答えて「ギュー、ギュー」という声も聞こえてくる。2羽が鳴き交わしているようだった。それ以上は何の気配も感じなかったけれど、滅多にできない貴重な経験をした。

 この世の闇をすべて光で照らすことを善しとする現代文明に馴染んだ者にとって、暗闇は恐怖の対象ですらある。けれど、たまには人間も本物の闇に親しむことが必要なのかもしれない。光と闇、両方あって世界は成り立っているのだから。そうは言っても、ひとりだったら、こんな夜更けの森をさまよう勇気はちょっと出ないけれど。

 帰りは雌阿寒温泉付近でキツネ1匹とエゾシカ2頭を目撃して、22時に阿寒湖畔に戻った。
 午後はほとんど自転車を使わなかったので、本日の走行距離は62.1キロにとどまる。


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